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最後の1パーセント 


毎日毎日、普通の生活の中で
私は現れて来る。
 
人と関わるときには
ありがたい。

人と関わることで私が見えるから。
 
小さな違和感を感じた時に
それを見過ごさず採用出来るかどうか?
は、私がわたしにぴったり一致するのに
物凄く大切なんだってようやく気付いた。 
 
私がわたしと定義しているもの自体が
形がなくはっきり分かる物じゃないから
それは感覚で体感で微細にしか感じられない。

だから簡単に見落とす。
 
そして同じ場所で同じ人と同じ経験をしていても
私の中にあるものを感じるから
感じることは人によってそれぞれ違う。
だから、誰の意見も参考に出来ない。
 
私がわたしの感覚を信じることを試される。
 
 
正しそうなこと
良さそうなこと。

これを選ぶと安心感がある。
  

それでも良いと思う。
  

でも、私は
私を生きたいから
最後の1パーセントのズレも見逃したくない。

誰にも教えて貰えない。
誰にも見せて貰えない。
自分で選ぶ。 
 
自分だけを頼りに選ぶ。

これをして生きたときに
私は1番わたしになれるんだろうなー❤️
 
 
最後の1パーセント
それを今感じてるのかも。
 

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