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独断専行の奈良案内(2)

若草山焼き

 新型コロナの影響で中断されていた山焼きが3年ぶりに再開される。
 若草山の山焼きは昔は1月15日(成人の日)と決まっていた。ところが休日法の改正などで固定されなくなった。センター試験と重ならないように配慮されたこともある。しかしいつになってもこの日は底冷えの寒さの日になる。以前の体験を書いておこう。

 家から歩いて5分のところにある歩道橋に登って見るのが通例で、直線約5キロ向こうで山が燃やされる。遠いのであまり迫力はないが、正月も終わりという季節感はあった。

 直接山まで見物に行くことも何度かあった。開始40分前に暖かく着込んで家を出る。若草の中腹まで登って見物できるのだ。ただし結構な急斜面なので、直立して上方を見るには技術と体力がいる。座ったとしても頂上を向いては座りにくいから、皆、山を背にして座って開始を待っている。午後5時50分に200発の花火が打ち上げられ、6時ちょうどに枯れ草に点火される。この季節のこの時間は陽は落ちている。向かい側の生駒山の後ろに僅かの光が残っている。

 山の途中に、これ以上は立ち入り禁止のロープが張られ、そこまではギャラリーで埋まっている。種火となる焚き火の炎が燃え上がっている。そして大きな音響とともに花火が始まった。普通の花火大会と同じである。なぜ山焼きをするようになったのかといういわれはあるが(東大寺と興福寺の地所争い)、ここでなぜ花火なのかはわからない。どう考えても夏の夜の納涼のためのものであって、この寒空では首がちぢまるだけだ。それでも何か開始の合図がないと、話が進まないということだろう。

 花火が終了すると消防団の点火隊がロープの向こうに種火を持って駆け上がって火がつけられる。頂上のほうにも待機していて、横列の火の点がやがて線になり、上方へと炎が上昇していく。
観光写真では山全体が燃え上がるように写されているが、あれは何度もシャッターを切っているためで、あのように燃えたら点火隊に焼死者が出る。燃えるものは草だけだから、その場所が燃え終わったら火は消える。つまり、炎の勢いは風や草の状態で強くなったり弱くなったりするが、あとは横一線の火がただ移動していくだけなのだ。だから苦しい姿勢でいつまでも同じものを見ていることはない。6時10分になると、見物人はぞろぞろ山を下りてくるのである。

 目の前で火が燃えているからといっても、距離はあるからなにしろ寒い。そして奈良公園まで降りてきて後ろを振り返って、燃えているのを見たことを再確認して帰る。

 翌日になって、市内の道路を車で走ると、昨日まで藁色だった山全体がまだらに焦げている。このほうが山焼きのリアリティがある。

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