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【読書マップ】2022.01 日常はやがて歴史となってゆく

2022年1月の読書マップです。今年も毎月の読んだ本から連想を広げて、自分なりの「読書マップ」をつくる取り組みを続けていければと思います。
昨年末の読書マップは以下の記事をどうぞ。

懐かしい日々

スタートは藤井基二「頁をめくる音で息をする」(本の雑誌社)

尾道の古本屋店主の日常を描いた本書から、エッセイ、というより随筆と呼びたい本を繋げてみます。

南條竹則「酒と酒場の博物誌」(春陽堂書店)は、古今東西のお酒や酒場にまつわるエピソードが描かれます。
南條竹則さんは、森見登美彦さんや恩田陸さんを世に送り出した日本ファンタジーノベル大賞出身。それもあってか、読んでいるだけで夢のような心地に誘われる、ふしぎな文章。

「金曜日の本」(中公文庫)は、やはり文体が好きな吉田篤弘さんの、子供時代の本や音楽にまつわる記憶を中心とした随筆。〈金曜日の本〉が副題となった一連の小説も発表されていて、現実と空想が入りまじる吉田ワールドの中核をなす作品になりそうです。

わたしが子供の頃から好きな作家といえば筒井康隆さん。「人類よさらば」(河出文庫)は新刊ながら、未文庫化作品をあつめた短編集。
初期作品らしいドタバタに懐かしさをおぼえつつ、現代を予見するような描写にハッとします。
何十年も前にリクルートの雑誌に収録されたという〈マッド社員シリーズ〉では、TV会議で家族の声がうるさい、リモートワークなのに〇〇がないから出社するという時代を先取りしすぎたオチが炸裂、これぞSF作家の想像力。

大崎善生「将棋の子」(講談社文庫)は、プロの将棋棋士を目指し、あるいは挫折した者たちを描いたノンフィクション。昨年の「NHK将棋フォーカス」でもおすすめされていた本、自宅の本棚から発掘しました。
地元では神童と言われても、本当にプロとして活躍できるのは一握りという厳しい世界。無邪気に楽しんでいた子供の頃にはもう戻れないけれど、そんな昔を懐かしそうに語る登場人物たちに胸を打たれます。
それはけっして後ろ向きな感情ではなく、かつて打ち込んだ自分を大切に思うからこそ、たとえ別の道を選んだとしても、いまを生きていけるのかもしれません。
十年前に購入して読んでいたときは知る由もありませんでしたが、プロローグでは、今をときめく木村一基九段や、一旦はプロの道を断たれながら、アマチュア強豪からプロ編入という道をたどった今泉健司五段などの姿も描かれていて貴重です。

いっぽう村瀬信也「将棋記者が迫る 棋士の勝負哲学」(幻冬舎)は、最先端の棋界で戦う棋士の姿に迫る最新刊。こちらも観る将必読でしょう。

日常の観察

スタートに戻って、尾道の沿線風景を描いた「頁をめくる音で息をする」の表紙から、chokky「踏切の世界 」(旅鉄BOOKS)へ。
いわゆる鉄道趣味人とひとくちにいっても、鉄道車両に乗ることを楽しむ〈乗り鉄〉から撮影を主とする〈撮り鉄〉、さらに秘境駅や駅舎に注目する人など多岐に渡りますが、踏切だけで一冊の本というのはなかなか珍しいのではないでしょうか(と思って書店サイトで検索したら、踏切本の前例はありました。本当に奥が深い…)。
考えてみれば踏切とは、鉄道に付属するものでありながら線路単独では存在意義がなく、常に道路上にあるという境界的な存在。
自動車を運転するときには一時停止や渋滞がつきもので、ちょっと厄介な存在なのですが、この本を読めば、ちょっと愛情が湧きそうです(といってじっくり観察するのは危険というのも、また味わい?)。

そんな、ふだんは通り過ぎてしまう日常の物件をじっくり愛でる〈都市鑑賞〉の楽しさを教えてくれるのが八馬智「日常の絶景」(学芸出版社)。室外機からダムまで、スケールごとに妄想混じりの鑑賞が展開されます。
日常の楽しみ方は、わたしのブログのほうでも書いています。

https://nagiwata.net/archives/122154

新刊ではもう一冊、街中の文字やフォントに注目する雪朱里「もじモジ探偵団」(グラフィック社)。観察だけでなく、実際に文字をデザインした人に取材して、その秘密を解き明かしていくのが面白い。
崎陽軒のシウマイ弁当の文字や、たべっ子どうぶつの文字は誰がどうやって考えだしたのか。
ともすれば見過ごされそうな身の回りの謎を掘り起こす、ヒグチユウコさんデザインの猫探偵もかわいい。

見過ごされがちなものに光を当てるという点では、山下裕二「商業美術家の逆襲」(NHK出版新書)も通じるものがあります。
赤瀬川原平さんとの「日本美術応援団」(ちくま文庫)という共著もある山下さんは、いままで権威的なものから軽視されてきた商業美術を見直し、自分の目で見て良さを発見することの大切さを語ります。
たしかに美術館の特別展を、ネームバリューだけで興味のありなしをきめてしまったりするのは反省点。

和歌の国へ

今月の最後は和歌(短歌)です。

ここのところ現代歌人の作品より、もっと昔にさかのぼり、和歌の歴史から学び直そうとしているのですが、錦仁編「日本人はなぜ、五七五七七の歌を愛してきたのか」(笠間書院)は、なかなか参考になりました。若干納得できない節もありつつ、やはり日本語で思いをつづるには五七五七七の短歌形式が最も適しているのではないか、と思わされます。
形式の美を重んじる勅撰集の伝統、そこからの逸脱を試みようとした歌人たちの活動、それぞれの時代で、そこに生きた人の日常を切り取って、歌のなかに閉じ込める。
それが積み重なり、歴史となっていくのかもしれません。

こうの史代「百一」(日本文芸社)は、百人一首を覚えるための上の句+下の句12音から、新たな発想でつむがれる絵巻のような作品。
さすがは「この世界の片隅に」のこうの先生、〈このたびはもみじのにしき〉から、広島名物・にしき堂のもみじ饅頭が描かれるとは。
こんなときでもなければ、幣もとりあえず、広島に旅に出たい、なんて思ってしまうのでした。



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