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いわゆる“普通”とは違うけれど、私の人生はとても楽しい

ふと思ったので。

私はこの春、国公立大学の教育学部を卒業し就職をしました。
そして「どこにいってもやっていける」と周りから言われ、それを自負していたにも関わらず、6月には適応障害になってしまい会社を休職し、そのまま戻らず退職することに。

9月には週5在宅勤務の短期派遣を始めたけれど、適応障害を甘く見ていた結果病状は悪化し、あげくの果てには薬を飲み忘れ離脱症状も出てしまいました。

今は延長依頼に延長依頼を重ねた派遣も契約を終え、仕事もせず家にいています。世間一般の印象で言うならば「ニート」です。

年金は全額猶予してもらっているし、奨学金やって半額返還の申請をさせてもらって、彼氏には家賃固定費を多めに負担してもらって両親には帰省時の交通費も出してもらっている。

いわゆる「新卒」の「こうであるべき姿」とはかけ離れた生活を送っているように見えるでしょう。



それでも私は今、とても元気で幸せです。

理不尽で効率の悪い社内体制にイライラしなくていいし、分厚い仮面を被りニコニコ笑って歯が痛くなることもない。(私の第一印象が良いのはきっと昔からの習慣。)
平日の空いている時間に外出したら快適やし、貯金と支出管理さえしっかりすれば、短期派遣をしたり終えたり働かなかったりと自由に選べる。

それに何と言ったって、私は本当の意味でニートではありません。トレーダーの卵なのです。

興味のある分野で、労働以上のリスクを背負って労働以上のリターンに挑むこと。これが、本当にめちゃくちゃ楽しい。
(まぁまだ利益を出金できるほど勝ててはないけど、、笑)
それでも3か月練習をし1ヶ月リアルでトレードをしてみて、億トレーダーの背中は道の先に見えるくらいには可能性を感じているし、資本家の世界の楽しさと奥深さにワクワクしている自分がいます。


世界中のすべての子どもは愛されるべきだと本気で思うほど子どもが好きで、現在の教育状態に不満を感じて教員を目指し、社会を知る先生になりたいがゆえにハイクラス人材と関わることのできる会社に就職したけれど、今はまったく違うことをしている。

周りの人たちにわかってもらうことを選ばず、話してもありのまま受け入れてくれる人にだけ話してあまり人と会わずに生活しているけど、これも全く寂しくない。それくらい、今はトレードに懸けたいしだから服や娯楽もある程度我慢できている。


これは全部、私がたくさんの愛をもらって育ち自分を受容できていること、隣で支えてくれる同居人、仲間として一緒にトレード修行に励み親として私のバックアップをしてくれる両親、私のことを肩書無しで見てくれる友人たちのおかげだと思っています。


何が言いたいのかというと、自分の意思で立とうとして自分の意思で道を選ぶなら、まわりがどうとか世間がどうとか気にしなくていいと思うのです。

しんどかったら辞めたらいい。嫌なら選ばなければいい。やりたいことがあるなら挑戦してみればいい。けれどそれが怖いなら、諦めて2番目の道を選んでもいい。周りと同じなのが安心するのであれば合わせればいいし、仕事が好きなら仕事に打ち込めばいい。

みんな、お互いのことを受け入れて各々が自分の意思で選ぶのであれば、それが“普通”のことなんやないかなと思うのです。


村社会の文化が先祖代々続いてきている日本では、科学的根拠はどうとか知らんけど同調圧力とか「普通の社会人」という固定観念はやっぱりあるのでしょう。

それでも私は、本業務は楽しみやけどそれとは直接的に関係のない研修に取り組み、会社のシステムに不満や改善点を感じながら心と体を壊してまで“普通”でいるよりかは、今の経済的にカツカツやけど自由気ままで好きなことに挑戦できている生き方の方がめちゃくちゃ楽しいし何度でもこっちを選びたい。

“普通”のことを選び続けるよりは、“自分がワクワクすること”を選び続けたいです。


長々と書いてしもたわ、、笑
最後までお読みいただきありがとうございます!

泉水子


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