岡崎大五_選挙

第1回「統一地方選に落選すると…」

 この4月、地方統一選が行われ、僕も地方のために、わが町下田のために頑張るぞ!と立候補したのだが、あえなく落選……。

 しかも13人立候補して、12人が当選するという、どこの就職試験よりも簡単そうな選挙で落選!

 地元新聞では、「地縁血縁の壁を越えられなかった!」という論評で、うれしかったのは、「どの候補者よりも正しく政策を訴えたにもかかわらず、」と評価されたこと。なるほど、地方社会は昔ながらの人間関係で構築されており、血の濃さ、人間関係の近さが、一票につながり、ひいてはそれが地域を構成するうえで、とても重要な要素になっていることが、負けてみて、身に染みてわかった。

 でも僕は、この町のために、何か仕事をしたかった。

 下田に移り住んで16年、縁もゆかりもなかったが、ただこの地の美しい海が大好きで、緑が心地よく、澄んだ空気と静けさは、人間が暮らすうえでとても大切なものだと感じていた。

 僕は二十代前半から世界中を旅してまわり、好きが高じて訪問国数は85か国に及んだ。立ち寄った町は2500以上にのぼる。日本も47都道府県、沖縄以外は車でめぐった。そんな中でも、この町下田は、格別なのだ。

 誰しもが心の中に、あるいは現実的に、格別な町を持っているかもしれない。ぼんやりと、あるいははっきりと……。

 もとより「寅さん」のように風来坊だった僕である。いくら最愛の妻を得て、この地に住み暮らし始めても、よもや16年も暮らすことになるとは思いもよらなかった。下田に暮らしていても、日々、文章を書きながら、一つ作品が仕上がると、そのたびに妻と二人で海外を旅した。どこかよそでいいところを探していたわけではないが、いつしか旅先で「やっぱり下田がいいよね」と妻と二人で顔を見合わせたりしていた。

 それだけ世界の環境汚染は、年々深刻になっており、先進国の工業国と思われがっちなニッポンで、下田に限らず、日本の地方の自然の豊かさ、空気のうまさは、奇跡的ではないのかと、ここ最近は思い始めている。

 僕らが暮らすこの国は、大切な何かを忘れたばかりに、大切な何かが残されている。それがこの町、下田にはある。

 それなのに、地元の人たちはガッカリしている。とくに2011年の東日本大震災以降、急速な人口減による過疎化や高齢化、経済状況の悪化、さらには予測では最大33メートルもの高さの津波が押し寄せる危険性をはらんでおり、津波が来る前から、未来も見いだせないような絶望感にさいなまれているのだ。

 だから余計に、僕はこの町を何とかしたかった。何とかするためには、作家だけではだめだ。市会議員になるのがいいだろうと思った。昨年から地区の役員は任されるようになっており、ただ、もっと性根をすえて取り組むためには、立場も必要だろうし、経済的なこともある。そこで市議となったのだ。

 しかし残念ながら、僕は市議会議員として、市民から求められなかった。

「これが田舎選挙さ……」

 僕を支援してくれた人たちは、そういって肩を落とした。選挙とは、立候補した人よりも、応援してくれる人のためにあるのではないか。そしてより応援してくれる人の輪をより広げられた人が、当選するのだ。

 僕は、町のために立候補したと思い込んでいたし、町のために働きたいと渇望していた。その気持ちが届かなかったのは、なにより、僕は、僕を応援してくれる人たちのために、戦わなかったからではないか。まずは支援者のために選挙を戦える人材が、政治の場で、市民のために仕事をする権利を得ることができるに違いない。

 ただ田舎では、応援してくれる人たちのために戦って、当選した議員が、応援してくれた人たちを依怙贔屓する政治が、まかり通っている。そんな古いタイプの議員もいることはいる。

 ともかく、落選が決まった夜は、「どうすりゃ、いいのか、俺……」である。これでは、下田のために働けないではないか。土俵にすら上がれない相撲取りは、もはや相撲取りとは呼べないだろう?

 お先真っ暗とはこのことである。時間も深夜になっていた。外は、町の明かりも消えて真っ暗である。だいたい夜の6時を過ぎれば、季節にもよるが、商店街は真っ暗だ。日本の地方の町はどこでもそうだが、押しなべて夜は閉まるのが早い。

 真夜中の沈鬱な空気が選挙事務所を支配していたときである。

 病気をして必ずしも体が本調子ではない井田さんが、杖を片手に立ち上がった。彼は、僕の中心的な支援者の一人だ。

「どうだ? こうなったら、今度わたしが設立するNPO法人の理事になれ。議員になったら、利益相反なのでNPO法人の理事はやれないが、落選したからこそ、やれるぞ! もともと私は、はなから当選は無理だと思っていたがな。フッフッフ……」

(中心的な支援者が、なんのこっちゃね。)

 ともかく、井田さんはそう言って、不自由な手でバッグから一枚紙を出し、テーブルに置く。NPO法人の設立に関する書類で、僕の名前や住所まで、すでに印刷されている。

「給料も出してやる! だからやれ! 下田のために働きたいのだろう?」

「そりゃ、まあ」

「ちょうど、よかったじゃない」

 そんな声が、周りの支援者たちから聞こえた。

(ほんとに、ちょうどいいのか?)

 「このNPO法人では、移住促進と空き家バンクをやる。当面は空き家バンクだ。間違いなく、下田のためになるゾ」

「はー」

 僕はあんまりピンと来なかったが、とりあえず署名と捺印をした。

 この年の夏、「NPO法人伊豆in賀茂6(シックス)」が、静岡県から認可され、正式に設立された。

 僕が合流したのは、8月末からである。(つづく)

 


 

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