第10回「テレワークなのだ!」
下田市のホームページに空き家バンク情報が掲載された日の午前中、すぐに市役所の担当者A見君から、電話が入った。
「ダイゴさん、早くも利用登録希望者から電話がありました。名前はM山さんです。希望は吉佐美の物件です。ダイゴさんの方から電話して、内覧の日程を調整してもらえませんか?」
「エエッ! もう出たの? やけに早いね」
物件登録の周知活動はしても、利用者にアピールなどしていないのだ。だからどこまで空き家バンクのホームページを閲覧してもらえるのか。そのへんを、A見君は危惧していた。
それがにわかには信じられないような、まさに瞬殺といっていいくらいの、内覧希望者の出現である。一体世の中はどうなっているのか。僕はおそるおそるM山さんに電話した。
「もしもし、M山さんでいらっしゃいますか。わたしくし、下田市の空き家バンクの岡崎大五と申します……」
空き家バンク制度の説明をひと通り終えると、M山さんはおもむろにこう言った。
「岡崎さん、M山です!」
僕の脳に血が駆け巡る。記憶の底にたどり着き、口から出てくる。
「あの、M山さん?」
「そうですよ!」
僕は一気に緊張が解けた。
M山さんは、二年ほど前、下田市内のソウルバー「土佐屋」で隣りに座った仲だった。当時僕は、下田市内の飲食店の店主たちを登場人物に仕立て上げたユーモアミステリー『伊豆下田料理飲食店組合事件簿』(下田100景)を出版しており、下田だけで1000部も売れるという超ローカル大ヒット作となり、M山さんも、この小説を手に、食べ歩きしていたのだ。もちろん「土佐屋」も登場している。
その後、彼とはメールでやり取りする仲になり、東京で行われた僕のトークショーでも駆けつけてくれたりした。夏には、ここ二年、数回入田浜で顔を合わせた。
そんな彼が、入田浜近くの家を借りようと、空き家バンクに問い合わせてくれたのだった。
「夏にダイゴさんから空き家バンクのことを聞いていたので、毎朝、会社に出社するたびに、まずは下田市のホームペ-ジを開いて、まだか、まだかと待っていたんです。それがついに出て……。しかも僕たち好みの古民家風の家ですからね。これだって、すぐに問い合わせたんです」
さっそくM山さんは、週末に奥さんを伴い、下田に車でやってきた。職業はIT企業の部長だが、下田で家を探すには、事情があったのだ。
「実は、社の方で働き方改革が進んでいまして、テレワークの実施に踏み切ったんです。もともと下田に家を探していたのですが、気に入った物件が全然なくて。それが今回、空き家バンクでしょ。この際だから、いい物件が見つかれば、別荘利用などではなく、引っ越してきちゃおうと思ったんです」
テレワークの在宅ワークで、せっかくなので、環境の良いところで気持ちよく働きたい。その選択肢が下田だったわけである。
物件は、入田浜から徒歩5分の集落の端に位置する一軒家である。築七十年以上の古民家風で、部屋のつくりは日本家屋独特の「田の字型」に縁側が付いている。二階屋を増築した分、部屋数も八部屋と多い。縁側の前には庭もあり、これまで手を入れている分、家の状態も悪くなかった。
「ワーッ! この柱、見てみて!こんなに太い柱なんて、今どきないわよ!」
奥さんが家に入るなり、小躍りして喜んだ。
「私たち、ずっと、こんな家に住みたいねって、話し合ってきたんです。まさにイメージ通りの家です!」
まだ部屋の片付けは終わってなかったが、これから頑張って片付けると大家は言った。
「僕たちには田舎がないんです。仕事も頑張ってやってきたし、それなりの暮らしや教育も、子どもたちにはしてやれたと思っています。唯一できなかったのが、田舎を作ってやることでしたが、僕たちがここで住むようになれば、子供や孫に田舎を作ってやれるんですよね」
早くに結婚したM山さんは、五十そこそこの年齢だが、お孫さんもいるらしい。
「いやあ、それにしても、まさかこんな物件と出会えるなんて、思ってもみませんでした。ここを借ります! よろしくお願いします」
こうしてM山さんが、空き家バンク成約の第一号となったのである。
12月の中旬、引っ越しを終えたM山さんが、うちの事務所に遊びに来た。
「大家さんとも飲み仲間になりまして、暮らしは順調そのものなんですが、実は困ったことがありまして……」
なんでもWIFIの光無線通信の工事が2ヶ月先になるらしい。仕方がないので、隣に住む大家さんの家のWIFIを拾って通信しているのだが、遅くていけない。通常のメールやネットなら、まだなんとかなるものの、困るのはスカイプによる社内会議だそうである。
「この前も会議あって、そしたら、M山、おまえだけ画像が静止しているぞって、社内の連中から笑われちゃって、これだとまずいんですよね」
最近は、他の成約者の方々からも、同様にWIFI工事の遅れに関する苦情が舞い込んでいる。
働き方改革に、どうも現実の方が追いついていけないらしい。
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