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矛盾したものを、矛盾したまま

たのしいのに、生きたくないとはどういう状態だろうか。

毎日たのしいことは、横たわっている。
けれど、ある日突然、身体に力が入らなくなる。
そういうときは、決まって生きたくないという感情を抱くことが多い。それはとても不安定な感情であり、死にたいというような能動的な感情でもなければ、何か辛いことがあるから投げ出してしまいたいと思うほど受動的かつ投げやりな気持ちでもないのである。涙が出るわけでもなく、息ができなくなりそうなほどに苦しいわけでもない。

「生きるの終わり行き」の列車があれば、ガタンゴトンと揺られながら遠くに行きたくなるようなそんな感覚である。
朝になったら目を覚まし、昼になったらお腹が空き、夜になったら眠りにつく。ただ毎日を過ごすだけでカロリーを消費することにうんざりして、スマホの画面を覗くことも億劫になっていく。

自然を肌で感じるとき、海の音をゆったりと聞いているとき、ぼんやりと生きてることを肯定されているような気分になり、ゆらりと身をゆだねたくなる。そういうときなんとなく、幸せだなと思う。
一万で、歯を食いしばって、生きていかなきゃと思うことは、 年々減っていくいく感覚がある。

世にある色々な仕組みを知れば知るほど、ぐったりとした気分になることは多い。一方で人と関わることで幸福に思うことも多くある。
前者の方が少しだけ質量が重い気がして、気づくとぐったりとした気分に押し潰される。

手を繋げば繋ぐほど、気にすること増えて、心配ごとは増幅していく。
手を繋げば繋ぐほど、心地が良いと感じることも多くなる。
矛盾した事柄を矛盾したまま愛せればいいと思う。

今、握っている手を強く握りすぎないようにしたい。
強さで確かめるよりも、しっかりと身体を向けて、顔を見ながらせいかつしたい。

ゆらりと「生きるの終わり行き」の列車に乗りたくなったときは、ほのかに感じる身近なぬくもりを頼りに、のそりのそりと身近なぬくもりのあとを歩いていきたい。
じぶんの身体に力が入るときは、まるで水面を走るように駆け抜けていきたい。

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