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しらない世界で生き延びる

時折、途方もない問いに出会うときがある。
訪れるのは突然で、腰に力が入らなくなり、拍子抜けする————。

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今まで関わっていた人と関わりを断ち切りたいと思うとき、それはどこから来るのだろう。次元の違いを感じたときだろうか。
音楽を聞いているとき、映画を見ているとき、受け入れられないことがある。
理解しにくい存在、あるいは強烈に押し寄せてくる恐怖を目の当たりにするときに、受け入れられないかもしれない。
あるいは周囲との感覚の乖離、世界から離脱していく感覚、そういう外部の要因で受け入れられないのかもしれない。

「常識があるのか?」
強い言葉である。
コミュニケーションの中で、自分の世界から見える「普通」を強要してくる人がいる。
そういう人たちに問いたい。「あなたには常識があるの?」
互いの意見はそれぞれである。
生まれた場所も違えば、関わる人間も違う。それに自分自身も、「じぶん」なのかは誰にもわからないようにも思う。人の細胞は絶えず破壊され、構築されていく。そういう意味では、思考も、身体も、時間が経過するとともに、全く違う人として生まれ変わっている。
もちろん、「多様性って大事だよね」というようなことを強要するつもりはない。
ただ、「常識がある」と思っている人に常識は備わっているのかは少々疑問である。
こういうことを考えるうちに、自分の思考にも、うんざりしながら自ら首を絞めるように息ができなくなっていく。

***

ただ立ち止まっているだけなのに、波は押し寄せる。
立ち尽くすだけなのに、砂に足跡は残り、身体は砂の中に沈んでいく。

大きな声で叫ぶことはなんだか気が引ける。
砂の中にも世界は存在するように思う。
そういう誰も知らない、世界の片隅に佇む場所へ身を置きたいのかもしれない。

あたりはとても騒がしい。
もうすぐ春を迎える————。

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