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自由の国に憧れ日本から脱出したい思いを抱くようになるまで

私は幼少の頃、極度の人見知り。そして小心者だった。
人に慣れるまでに時間がかかり、関係を築くことがとても苦手だった。

小学生で同級生にいじめられ、そして、いじめることも。
当時の担任の先生はクラスの雰囲気を感じ取り、きちんと叱ってくれた。
だから最後はとても良いクラスになったけど、その時の経験は私にとっては日本の学校に合わないんだなっていう気持ちを持たせるものになった。

それから中学。田舎の学校で小学校から同級生はそのまま。仲のいい友人もいたし、部活も楽しかった。この頃は洋楽大好き人間だった。マライア・キャリーとかジャネット・ジャクソン。BSBことバックストリートボーイズとか、Take6、ボン・ジョビ、ビートルズも聴いてた。歌詞を見るのが大好きで、単語調べたり、訳詞を見て意味を推測してみたりしてた。そして真似して歌ってみる。今考えると、ネイティブではもちろんないけど、これやってたから私の英語耳はある程度作られたんだと思う。

でも、やっぱりクラスの友達と上手くいかなくなることもあって、仲良くしてたと思ってたグループから疎遠になったり。キツく突っこむこととかあったからか原因は全然わからなかったけど、独りになる時期もあったりなかったり。

そのころは、小学生の時より少し強くなってたから(強がりだから?)洋楽聴くこと、海外ドラマを観て過ごすこと、この2つがあれば良かった。ちなみにこの当時、ダークエンジェルっていう海外ドラマにのめり込んでて、ビデオに録画して何度も見てたんだけど、日本語セリフ暗記して、副音声の英語にして見てた。日常で使えるセリフはあんまり無かったけど。笑 この時の主人公を演じていたのがジェシカ・アルバで、今でも大好きな女優さん。

まあ、そんな感じで海外への憧れはますます強くなった。
日本から飛び出せれば、どこかでは私を私で認めてくれるような気がして。

そして中学3年生の三者面談の時に初めて親と担任に高校留学なるものをしたいと打ち明けた。勝手に取り寄せて見ていた資料の情報をもとに、どんなに真剣か、気持ちを伝えた。

けど、案の定、
「普通に地元の高校に行って卒業資格を取れ。その方が将来安心だから!」と、親にも英語担当だった担任にも、かなり反対された。

私の心の中は、普通って何?将来安心って誰の?と正直思ってたけど、根は小心者で、そこまで親を説得できるほど口も上手くなく、平凡な家からは費用出せないからの一点張りで私の高校留学の夢は終わった。(実際、資料に書かれていた費用は高額ではあった)

でもまだ海外に行って住むことの憧れは続いた。さらに強くなっていった。

それは次回。高校時代を書こうと思う。


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