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小説「武光と懐良(たけみつとかねなが)敗れざる者」54


第十一章    太宰府


二、

 
武光の館で菊池一族の宴が開かれている。
菊池の武光の館で夜ごと開かれた宴会は今もこの大宰府で続けられていた。
赤星武貫の乱暴狼藉も、緒方太郎太夫の天然ボケもないが、武政、武安ら若い侍たちはそれぞれに元気がいい。この酒の席での好き勝手な意見が一族内をまとめ、菊池一族のみならず、征西府の未来をどう切り開くか、新たな活力をはぐくむ場だと武光は認識している。
その片隅には猿谷坊の姿もあり、猿谷坊はじっと黙って控えている。
そんな場で、今日は「九州王朝」の構想を城隆顕が口にした。
親王に遠慮する武光の思いを察し、城隆顕が若手の意見を誘導しようとしているのだった。
「…つまりの、九州の部族どもを強引に取りまとめ、海を渡って中央へ攻め上るべきか、あるいは京の後小松帝に太宰府へ遷座(せんざ)頂き、南朝の拠点となす、この九州に新たな王朝を築き上げるべきか、…ここが武光様とおいの思案のしどころなのよ」
「うーむ、そいは考えじゃ、九州に新たな王朝とは面白か!」
「確かに!中央に攻め上るよりは無理がないわい」
「わしもそう思う」
武政は九州王国設立の構想に目を輝かせた。この点だけは父に賛同し、勝てぬいくさに出かけるより現実味のある夢、と言い、皆が納得した。
「高麗は足利幕府より、我が征西府を交渉相手に望んだ、高麗との国交の道が見えて来ておる、九州王朝は夢ではなか、その機を武光様は呼び込んだとぞ」
と、城隆顕が言った。九州王朝についてはすべて猿谷坊の調べ上げてきた情報を元に、武光と城隆顕が練り上げた構想だった。
皆に興奮が広がっていく。九州を王朝制度でまとめ上げ、武将どもを統括する。
その中心には当然菊池一族が来るべきだ。菊池が九州の新の覇者になる、というビジョンがセットになった構想だった。
「征西府の行く先が見え申したのう」
「九州王朝か、…武士の政権としては正式な幕府を開かぬとなりませぬな」
武政が目まぐるしく構想を脳内に立ち上げていく。
「正式な幕府⁉」
「さよう、鎌倉幕府に次いで、菊池幕府、…太宰府の菊池幕府より全国の武士団統率の指令を発するのじゃ、菊池がこの国を支配し、運営していくのじゃわい」
おおと、目を見かわす一同。
武安も少弐頼澄も目を輝かせている。
それはかつて城隆顕が発想した考えだったが、今、若手にありありと思い描かれている。
京の後小松帝に遷座(せんざ)いただくか、懐良親王に帝位を受けて頂き、それをお支えして全国に号令する菊池幕府を立ち上げるとは、これまでひたすら征西府の規模の中でだけ未来を思い描いていた一同には目もくらむようなビジョンだった。
城隆顕が武光を見返って笑った。
「武光の棟梁、若いもんも乗り気じゃ」
しかし、当の武光は腕組みして考え込む。
「じゃがのう」
その表情が武政をいらだたせる。
年寄りは乗りが悪い、勢いを削がれては盛り上がりかけた気運に水が差される。
武政がつい強めの訊き方をする。
「じゃが、とは?」
「後小松帝がそう簡単に遷座をご納得下されるかどうか」
「それは牧の宮様に口説いていただけばよろしかじゃろ、そもそも南朝は北朝に押されて吉野から紀州を転々とするなど、まともな御所さえ確保できず、みじめなものじゃそうな」
武政が言い、別な若手が言い募る。
「それよ!いっそこの大宰府、征西府にお入り頂くことこそ、南朝の帝が御稜威(みいつ・天皇の威光)を示される道じゃわい!」
「菊池幕府とはいかにも豪気じゃわい!」
あらためて皆が興奮し、やがてがやがやと意見が出始めた。
我々は九州の武士だ、九州を押し上げて日本国統一の基盤とすべし、というので、賛同者がおおと気勢を上げた。皆が盛り上がっていく。
だが、武政は武光の浮かぬ顔にいら立つ。
「いかがなされた、親父殿?…九州王朝、菊池幕府、それは諸外国との国交で可能になる、親父様、あなたが見せてくれた夢ではなかですか、何をご躊躇なさる?」
そう言われても、武光はやはり口が重い。
「牧の宮様はそれを望まれぬ…」
なにより、と、武光は浮かぬ目で中空を見据えた。
「牧の宮さまの思いは違う、…京にて皇統統一を成し遂げられたいのだ、…この九州は中央からすれば僻地、異端の地じゃ、…宮家の栄光おわす場所であるとは思うておられぬ、…牧の宮様は京へ帰られたいのじゃ」
武光はこれまで何度か「九州王朝」の構想を進言してきた。
懐良はきっと喜んでくれると思った。だが、親王は顔を曇らせた。
乗ってこない。なぜだろうかと考えて、武光は宮家の想いだなと思った。
中央、京の都で君臨してきたものには、やはり京における政権への思いがあるのだ。
それを聞いて武政や若手たちがかっとなって反発した。
九州が異端の僻地であるなら、牧の宮を担ぐ我らはいったいなんだ!と思った。
「まあ、聞け、…そのうえ、時間がかかるばいた、九州王朝実現のためには経済的背景の支えが必要となろうよ」
と、武光が続けた。
まず、諸外国との国交により、貿易の実を上げ、国体を支えられる経済基盤を作り上げねばならない、なぜなら九州の豪族どもを納得させるためには利がなければならない。
九州の土地には限りがあり、領土拡張には限界がある以上、銭による報酬を与えなければ。
しかし、それを成し遂げるには、数年から十年の歳月が必要になろう。
そのすべての点から懐良親王は「九州王朝」を受け入れられないだろう、と武光は見ている。
「説得すべし!」
と、若い者たちが勢い込む。
「ではあるが…」
と、武光は煮え切らない。
これまで何度も進言を繰り返してきたが、親王は東征を主張された。
二人の意見は相容れぬまま今日に至っている。これ以上言い合えば、決定的な争いを生むかもしれない。それは武光の本意ではない。
親王を気遣う武光を見て、城隆顕に心配がよぎった。最後の瞬間の冷徹さはリーダーに不可欠だ。武光にはそれがあり、どんなに領民をいたわっても、体制を揺るがす反抗には断固とした処置のできる男だった。だが一点、親王に対してだけは違う。
武光は親王に甘い、誰もがそう見ていた。
「親父様、…確かに牧の宮さまはこれまでいくさの先頭に立ってこられた、見事な采配も振るわれる、じゃが、宮様は宮様じゃ、我ら九州武士団とは立場が違われる、我らは宮様を戴いて皇統統一に働くものではあるが、九州を生きる我らには我らの立場があるばいた」
若手たちが自分の意見を代弁してくれていると感じ、武政に同期している。それが空気感としてその場にみなぎり始めた。武光と城隆顕は旧世代として浮き上がっていく。
「武政殿、まあ、待ちなされ」
城隆顕が武政の舌鋒を押さえようとするが、武安がそれを制した。
「城さま、ここは武政殿に言いたかこつを言わせてやってくだされ」
「ああ、我らにも言い分はあるばい」
「この際、武光様に聞いてもらいたか」
城隆顕が押され、武政が話を続けた。
「我らの立場から思う皇統統一、九州制圧、征西府のありよう、先々の菊池幕府の置き方など、いずれ親王さまとは立場が異なってこよう、それを親父様のように遠慮をなされては、まとまるものもまとまりきれぬわい、我らの足元は盤石(ばんじゃく)ではなか、であればこそ、たとえ親王さまといえど、抑え込むべきは抑え込むべきでござろう」
「…武政、もうよか、…言いたかこつは分かっておる、もう言うな」
武光が眉をしかめたが、若手はたたみかけてくる。
「言わぬではおれぬ!棟梁の近頃の歯切れの悪さ、宮様に弱すぎたい!」
「武光様、情に流されては立ちいくものも立ちいきませぬぞ」
「宮様はしょせん公卿じゃ、ただ神輿でおっていただければそれでよかのに」
武光の目がギラリと光った。
「武安、…ぬしゃ、親王さまを侮っておるのか?」
武光に正面から見られて武安は言葉を詰まらせた。
「それ以上ぬかいたらただではすまさんど!」
殺気をさえはらませて怒鳴りつけた武光の気迫に、一気に座が静まり返った。
それをじっとねめまわし、武光は全員に対してゆっくりと言い放った。
「…今の菊池はおいが築いた政権ばい、…逆らうことは許さぬ」
武光が座を立った。問答無用との意思表示だ。
城隆顕はまずい、と腕組みをした。
武政と若手たちは爆発しそうな不満に耐えるしかない。
 
唐房の魔窟で色童子相手に酒を飲みながら、やえは武光への反発心にとらわれている。
やえには武光が親王の意向を押し込め、征西府を我がものと狙う悪党と見えている。
親王が生涯かけてかなえようと努めている皇統統一を、武光が邪魔しているのだと思い詰めていた。
「菊池武光…!」
親王は満足してはいない。皇統統一を急ぐべきだ、との焦りがやえにある。
親王を雲の上の神とまであがめ、お気の毒だと思い詰めているやえ。
やえがお仕着せの着物を脱ぎ棄てる。
「こっちへ来い!」
個室に入って色童を裸に剥き、その体をむさぼる。
征西府からお手当てをいただき、色童を買うくらいはわけはない。
「ぐずぐずするな、さあ、這え!」
やえは飢えている。性にも、心を捧げる相手にも。
卑しい身に生まれてからこの方、満足に食い物にもありつけず、母といくさの度に戦場に紛れ、死者から金目のものをはぎ取って暮らしの足しにした。
その母が戦場で流れ矢にやられて死んでからは、一人でさまよい、野伏せりの賄に雇われて生き抜いた。そして大保原で美しい人を見て、以来取りつかれたように張り付いてきていた。やえの器量は褒められたものではない。だから自分が親王さまにお情けをいただけるなどと夢想したことはない。あの美しい人に触れられると考えただけで、自分で自分を許せなくなってしまう。今は体がご不自由だが、やえには問題にならない。
やえにとって、親王は神だった。美の神。
そんなやえは武光を憎んだ。武光のことは死んだ母からいつも聞かされていた。
武光は邪悪な魔王だと。すべてのものを地獄に突き落とす魔道の騎士。
武光は懐良親王をも地獄へ突き落すに違いない、とやえは思った。
色童の体に舌を這わせながら、やえは暗い目を光らせる。
「…親王様は私が守るけん」
 
御所に明美が訪ねてきた。
牧の宮の居室に待たされた明美は硬い表情で座っている。
親王が現れて御簾の降ろされた高段の畳の上に座った。
「珍しいな、どうかしたのか?」
懐良の問いに対してしばらく無言だった明美がやっと口を開いた。
「…お伝えだけはしておかねばならぬと思い、参上致しました、…アキバツが」
明美が言いよどんだので、懐良は不吉な予感にとらわれて問うた。
「アキバツが?」
「倭寇のアキバツが高麗軍に打ち取られました」
懐良は衝撃を受けた。
「いつじゃ…」
「アキバツに率いられた海賊どもは高麗内陸部にまで侵攻してまいり、三日三晩続いた「雲峯の戦い」で高麗軍に対し徹底抗戦を試みるも…」
「…死んだのか?」
「全滅したそうです」
懐良は絶句した。
韓国で倭寇として大暴れするアキバツたちは数百艘の大船団で高麗海岸を進んでいったという。主に高麗の南部沿岸を襲っていたアキバツの海賊軍団だったが、次第に奥深く侵攻するようになり、首都開京(ケソン)付近までも荒らした。
海賊たちの弓矢兵具の類には金銀がちりばめられ、鎧腹巻すべてが色鮮やかな高級品ばかりで、海賊とはいえ、その姿は豪族武士と変わらず、異国の人々を圧倒した。
倭寇海賊の狙いは米穀などの生活必需品で、米穀を運ぶ操船かそれを備蓄しておく官庫を狙ったのだった。船は沈め、家々は焼き、女子供は誘拐して奴隷化して叩き売った。
あまりに傍若無人な犯行に高麗政府も業を煮やし、将軍を立てて軍勢を繰り出した。
結果、その将軍に待ち伏せされて、退却かなわず交戦となったアキバツの海賊団。
アキバツは荒くれ海賊たちに肉弾戦を命じたらしい。
アキバツ自身は派手な緋の鎧兜に身を固め、長槍を手にしていたという。
相手の将軍は倭寇討伐を指揮する名将李・成桂(イ・ソンギュ)だった。
陸海から三手に分かれた高麗軍からの激しい攻撃にさらされ、アキバツたちは絶体絶命の危機となる。高麗船団に退路を断たれ、最早討って出るしかなかった。
度重なる残忍酷薄な倭寇の攻撃で多くの人命が失われ、女子供がさらわれて奴隷にたたき売られてきた怒りが、若き将軍イ・ソンギュを火の玉にさせたらしい。
アキバツは日本から連れて行った白馬を引き出させて跨り、イ・ソンギュを打ち取ってくると、大軍に突き進んでいった。
そして華々しく戦死したという。
明美からそのいきさつが語られ、二人はしばらく言葉を失った。
現代の感覚から言えば、アキバツのしたことは重大な国際犯罪であり、何の言い訳もできない悪行だろう。だが、当時の国内のモラルや荒々しい感覚からして、アキバツや海賊たちに良心の呵責があったかどうか。アキバツが人間的に成熟する年齢に達しておらず、向こう意気ばかりで世界に打って出たい野心に捕らえられての愚行だった、ということか。
懐良には胸が張り裂けそうなほどにアキバツが哀れでならなかった。
皇室の血を引きながら、海賊として討ち果たされた我が子、との思いがある。
皇統を統一し、あれを皇子にしてやれていれば。
「わしがここでもたもたしていたばかりに、中央へ攻め上らぬばかりに!」
と、思った。ここで念のために言えば、アキバツが真実懐良親王の息子であった確証はない。明美の素行が分からぬ以上、明美の思い込みかもしれない。
だが、この時二人はそれを疑ってはいない。
そして明美は顔を上げた。
「それは違いますばい、…あん子は何にも縛られたくなかった、…好きに生きて好きに死んだつです、…私は悲しみませぬ、悲しんではあの子に叱られます」
「それはお前の勝手な理屈じゃ!…あれはわしの子じゃ、世が世なれば貴種として遇されるべき血筋のものじゃ…それが、こんなところで育ったばかりに」
明美は空しい思いでその言葉を聞き流した。
「一応、お伝えは致しました」
明美は退出し、懐良は打ちのめされてその場に残った。
懐良にはアキバツに託すところがあった。宿命に縛られ、義務に縛られて生きた人生だった。だから自由にはばたく息子に自分の夢を託した気分があった。それが裏目に出た。
とうの昔に息子を伴い、京へ攻め上って栄華の頂上に立つべきであった。
一晩泣きとおし、仏に息子の成仏を祈った末に、親王は顔を上げた。
執念のかたくなさがみなぎっていた。
「わしの意志を初めて通すぞ、武光」



《今回の登場人物》

〇菊池武光(豊田の十郎)
菊池武時の息子ながら身分の低い女の子供であったために飛び地をあてがわれて無視されて育つ。しかし父への思慕の思いを胸に秘め、菊池ピンチの時救世主として登場、菊池十五代棟梁として懐良親王を戴き、九州統一、皇統統一という道筋に菊池の未来を切り開こうとする。
 
〇懐良親王(かねながしんのう)
後醍醐帝の末子。南朝巻き返しの最後の希望となって征西将軍とされるも流浪の果てに菊池武光に迎えられ、やっと希望を見出す。武光の支えで九州を統一、やがて東征して皇統を統一するか、九州王朝を開くかの岐路に立たされる。

〇宗明美(あそうあけみ)
対馬宗一族の別れで海商となり博多の豪商長者となった宗家の跡継ぎ。
奔放な性格で懐良親王と愛し合い、子供を産む。
表向きの海外貿易、裏面の海賊行為で武光に協力する。
 
〇城隆顕(じょうたかあき)
菊池一族の別れで城一族棟梁。抜群の軍略家で有能。最後まで武光に夢をかける。
知的な武将。
 
〇菊池武政
武光の息子。武光の後を受けて菊池の指導者となる。

〇菊池武安
武政の腹心。

〇少弐頼澄
征西府幹部。
 
〇やえ
流人から野伏せりになった一家の娘。大保原の戦いに巻き込まれ、懐良親王を救ったことから従者に取り上げられ、一身に親王を信奉、その度が過ぎて親王と武光の葛藤を見て勘違いし、武光を狙う。
  

 
 

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