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母の家を片付ける その19 ここで小休止! やがてくる嵐に備えつつ1ヶ月を振り返る

約1ヶ月ちょっとに渡ってがんばった、母の寝室移動プロジェクト。結果的に2部屋を盛大に片付けて、ベッドが1階に移築されたので、今回のタスクはここで一応一区切り。

本来はまだまだ続く実家の片付け。2部屋を片付けるだけでこれだけの大仕事だったわけなので、さらに先にいけば、これから一人娘に待ち受ける試練は山程ある(場合によっては入院やホーム入居、さらにその先と、、、考えたくない。。。。)あるんですが、タスクは小さくひとつづつ、ということで、この1ヶ月ちょっとを振り返ってみようと思います。

すべては片付けノートの中に

私は自分の家を模様替えしたり片付けるのは得意なほうなので、一年に一度ぐらいは片付け大会になったりします。この時は、天気がよくて元気がある日に、ふと思い立って始めることがほとんど。

でも今回は「母の家」なので、最初にある程度の計画を立て、行った作業はすべてノートに記録しました。

ノートの記録は、あとになって「話が違う」とか「そんなつもりじゃなかった」ということが起きる場合のリスクヘッジのため。あとは自分の行動記録としても大切だったと思うー。

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最初に立てた予定は

・母の誕生日まで(約1ヶ月ちょっと)に寝室の移築は完了させる

・予算は10万円

最終的な目標は寝室の移動だったけど、もうひとつ大事なこととして「物を手放す」ことの練習を母にしてほしかったということもある。

物への執着が強すぎて、家がゴミ屋敷化していくと、残された人間はとても大変。一人娘の私が、もしものことで母より先に逝ってしまうことがあれば、それは孫である私の一人息子の仕事となるわけで。

そこはなんとしても、避けてやりたいというのも大きかった。。。

まあ、もとは孫である彼の発案であったので、母もすんなり同意したわけなので、ここはとってもいいタイミングだったなあと思います。

しゃて、ってなわけなので、一度小休止の意味もこめて、この片付けノートを最初から見直してみたよ!

実稼働時間59時間!

作業をするために実家に行った日時を記録していたので、それをざっと合計してみた。

期間 2020年12月12日 〜 2021年1 月14日(エアコン取り付け日)
合計 34日間  うち、実家に行った日数 19日間
実稼働時間 59時間

ぱんぱかぱーん。

この1ヶ月、ほぼ2日に1度は実家へ自転車を走らせていた。
そして働いた時間は59時間。
ひょえー。

でもこれ、家で業者を検索して見積り依頼を出したり、ミシン屋を探している時間は含まれていません。そういういの含めたら、まあ。ほんとに集中してよく働いたもんだと思う。えらい、おれ。

(でも、もし東京都最低賃金換算でバイト代もらうとしたら、6万円ほどなんだよねえ。自分の時間の半分を提供して、あの壮大な頑張りで、6万円。業者に頼んだら大変な価格になるんだろうけど、果たしてそれを自分が肩代わりすることについて。ちょいと考えてしまう。
仮に倍の時給と考えても、なんか虚しさが残るわけで、結局これは、金銭に換算できることじゃないんだろうと思う。)

そしてほぼ予算内でクリアできていた!

そしてかかった費用を計算してみて、またまた驚愕。

予算管理を厳密にしていたわけじゃなかったんですが、ノートに貼り付けておいたレシート類を合計してみたら、オレって天才! という結果に。

障子紙、のり                 2,486円
ふすま紙                    1,544円
洋服ハンガー2本、TVケーブル、電球など      8,896円
粗大ごみ合計                  3,900円
エアコン                     83,450円
-------------------------------------------------------------
合計                    100,276円

すごすぎませんかっ!

エアコンという想定外の事態が発生したにもかかわらず、予算を276円オーバーしたのみって、天才以外の何者でもないっ!(自画自賛)

というわけで、すべて期限内、予算内で収めた。。。。。って言ったってなんかいいことがあるわけでもないんですが>笑 まあ、自分としては達成感ですよ。


あ! ただこのほかに母が支払った便利屋さんの費用15,400円がありました! 上記は私が建て替えた費用なので、実際には総合計としては115,776円ってことになります。

想定外だったエアコンを買わなければ、実費は

32,326円

で済んだことになるので、こりゃあえらいもんだ、と思う。
当初想定していたのは、廃棄物の引取に3〜4万円程度。
和室の畳にウッドカーペットとラグを敷いてあげようと思っていたので、これで4万円ほどの支出を見込んでいました。それで障子紙やハンガーなどの雑費含めて10万円でいけるかな、と。

結果として廃棄物処理の見積もりが66,000円となり、自分で地道にごみを出し続けるという茨の道を選んだことで浮いたお金でエアコンが買えたけど、敷物は諦めたということになります。

ま、

せっかくの畳の部屋なんだから何も敷きたくない。畳の表替えをする!

と主張しだした母に、「築35年の畳は張り替えるしかなく、張り替えたら予算オーバーどころの話ではなくなるよ」と説得したわけなので、敷物はなくてもぜんぜん無問題となった。

なんかいろいろ、うまく収まった。

パトラッシュ、もう疲れたよ

さて、ここで小休止の総括をしたのには、ちょっとしたわけがありました。

もともとは、緊急事態宣言が出されていなければ、前に話題が出た工業用ミシンを一旦解体して1階におろして、今を作業場にするというタスクと、ごちゃごちゃになってゴミの分別もうまくできていないキッチンを整理するというタスクも、私の中ではあったんだった。

2階の寝室は階段での転倒があって危険なので1階に移す。これはフィジカル的な問題の解決。
そして、いつもテレビを見ている居間でミシン等の作業ができるようになれば、毎日さしておもろくもない、長生きしたっていいことはなんもない、などという愚痴をもう聞かなくてよくなるのでは。これはメンタル的な問題の解決。

今回の作業は、「母がより快適に暮らせるように」という視点というよりは、これから想定される面倒なことを少しでも私が回避するために始めたことでもありました。

そしてもう一つ。

あとで後悔したくない

ということも。これは書けば長くなるので、あと1回またこのあたりを含めて書こうかなと思うのでここは省略。

で、結果的に1階の居間を仕事部屋にするタスクは、ミシンの移動が先送りになったこともあり、今回は手をつけずに離れることに。というのも。

前に書いた「寝室が1階になってからまったく眠れない。服も着替えていない」事件のあと、一から整理し直して荷物の出し入れをしていたところで

なんか


もう無理


って、限界点を超えちゃったのね。
パトラッシュ、もう疲れたよ。。。。。って。

これ、記録によると年明けの1月4日だった模様。

片付けたはずの2階の寝室に山積みになっていたアルバムと写真類の壮大な山をどうにかしようとしたのもアカンかったと思う。もうバラバラの媒体にぐちゃぐちゃに放り込まれている写真は、当人が生きている間は手をつける必要のない海原で、でもそんな海原があちこちにまだまだ大量にたゆたっている風景に、改めて唖然としたんだと思う。

ひとりの人間の人生の後片付けをするという魔界は、思った以上に深かった。

どんなに片付けても、捨てても、寄り添っても。物に溢れてどうにもならない状態は、まったく変わっていない。これをすべて整理するには、あとどのくらいの労力がかかるんだろう、、、、仮に、家を手放すことになって業者に一括して依頼するにしても、あまりに壮大な量だって思ったら、頭痛がして吐き気がしてきた。

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んで

その翌日、一日まったく動けなくてソファーで寝転がってネトフリ見て過ごし

8時に就寝して翌朝9時まで眠り続け

その次の日も、体調が絶不調のまま10時間眠り続けた。


もうここで、「休もう。やめよう」と思ったんだった。


やっぱり、片付けそのもののエネルギーもさることながら、老いた親と向き合うことの精神的エネルギーも相当なものだったんだと思う。母子関係が複雑なら、なおさら。

そして、私はやっぱり「大量の所有物」が持つ、エネルギーというか執念や怨念みたいなものにも、やられていたように思う。

執着が詰まった所有物の持つ、強大なエネルギーみたいなものは、ほんと計り知れないということに、はじめて気づいたよ。こわいよ。

でも、やってよかった。それはほんと

というわけで、もうやめよう、休もうと心に決めてしまったら

あら不思議


とってもラクになった。
残された仕事部屋やキッチンの惨状を見ても、なんとも思わなくなった。最初からいろいろ、背負すぎてはだめなんだなと思う。

ってなわけで、小休止を決めたけど、来月にはミシンの作業が待っているから、またちょろりとなにかに手を付けることになると思う。そうしたら、また書くので、よかったら読んでね。

とりあえず、今回は時間やかかったお金の総括。

あと1回だけ、なぜ母の家を片付けるのかという気持ちのところの整理をかねて、「片付けのルール」みたいなことを次の回でまとめておきたいなと思っています。 

ちょうどキリよく20回だしね。


でね、1ヶ月ちょっと集中して頑張った実家のお片付け。すっごく大変で、最後は寝込んじゃったけど。

でも、やってよかった。

それはほんと。

だってさ、よく頑張ったよ。

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こんなだった1階の押入れは、お友達が布団に第二の人生を与えてくれたおかげで(詳細はこちら大量のふとん、数奇な運命をたどる”)母のクロゼットに。

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いまは亡き父のベッドと並んで寝ていた、急な階段があって危険な2階の寝室は

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安全であったかい1階に。ごちゃごちゃだった2階のクロゼットは整理されて、2階との行き来はほぼ必要ない状態へ。

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ついでに言うと、洗濯物も2階のベランダに干していたため、危ないので少し前から1階のテラスに丈の低い物干しを買って設置したので、これで、階段から落ちて骨折しちゃってるんじゃないのか? という心配からちょっとだけでも離れられる。


とにかく、こうした物理的な部分だけでなく、精神手的な部分でも

いま、やっておいてよかった。

そんなことについてもまた次回。引っ張るな>笑

では。

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