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引っ越すと、窓が変わる。当たり前だけれど、それはちょっと人生に似ている。

16年住んだ東京の西の家は、窓から国分寺崖線の雑木林と、遠くに広がる山々に富士山が見えた。東に越した最初の家の窓から見えたのは、向かいの古いマンションの窓と高圧電線。空はほんの少ししか、見えなかった。

今いる家からは空が見える。空は見えるけれど、同じくらいマンションやビルや住宅が密集しているのが見えて、緑地はほぼない。東の下町の住宅街は、そんなものなので私はちっとも気にならないのだけれど、先日他県からうちに遊びに来た友達は、窓の外を見ながら
「へーへー、すごいね。もう大都会だね。わー、ビルだらけだね。うひゃー、隣のビルはめちゃ古いけど人が住んでるの? うわー。屋上すごいや。ぎゃああ」
とひたすら叫んで帰っていった>笑

言われてみれば確かに、灰色のビル群が林立する街に、いま私は住んでいる。でも、それが心地いいと感じている。

引っ越せば、窓が変わる。
窓が変われば、見える景色が変わる。

当たり前のことだけれど、それって何か、とてつもなく大きなことなのかもしれない。


「東京に戻ったら住む場所を変えよう」

そう強く思ったのは、2022年夏のフランス滞在の時だった。
3ヶ月ほどの滞在の間、友達の家の一部屋を借りて、ブルゴーニュの小さな街の家の2階に1ヶ月住んだ。朝起きて窓を開けると、見たことのない景色が広がっている。
旅の非日常が徐々に日常に切り替わり出したころ、
そうか、毎日見える景色を変えることは
ものの考え方や価値観、日々の行いを変えていくだけの力があるんだな、ということに気づいたんだと思う。

「引っ越そう」という思いよりも
「窓を変えよう」と思った。窓と、そこから見える景色を、変えたい、変えなくてはいけない、と思った。


心理用語で
「リフレーミング」という言葉があるんだけど。

慣れ親しんだ物事も、フレームを変えてみると一気に変わりだす。例えば「私はずぼらだ」が、「私は無駄なことはしない」となったり、「のろまだ」が「物事に丁寧に取り組んでいる」になったりする。
フランス語で額のことをCadreと言うのだけれど、心理用語だけではなくて、生活環境のことはcadre de vie(人生・暮らし))となって、額を変えれば暮らしも人生も変わっていくということになる。


いま、朝起きて、窓から夜明けの景色を見ていると、窓は暮らしの「額」なのだなあと思う。

西の家で16年見続けた景色は素晴らしかったけれど、次のフェーズに行くには窓を変えなくてはと、友達の家から見えるブルゴーニュの葡萄畑と教会の尖塔を見ながら、心の中で小さく決意していた気持ちが、昨日のことのように思い出されます。

「フレームを変える」「額を変える」ことは頭の中や心の中で行うことで、簡単なようでいて、意外と難しいのかもしれない。同じ場所で同じ景色を見ながら、ものの見方を変えていくのが難しかったら、窓を変えるという手もあるかな。

私は、次はどんな窓から景色をみるようになるんだろう?


さて、今日は寒くて風が強いそうなので、暖かくして出かけましょう!

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