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共有したい

コミュ障だっていいじゃない!いずみです。

わたしは、居場所を求めて三千里しておりました。

いつだってマイノリティで、変わってる方で。
コミュニケーション下手で
友だちと仲良くすることがわからなかった小中学校時代。

それから人をなかなか信用できなかった。
いま思えばちょっとトラウマになってたのかな?

でも、ひとりでいることはできなくて寂しくて
居場所を求め続けていた。

ありがたいことに素敵な人たちに囲まれて
いまはトラウマ的なモノもなくなったと思うのだけど。

わたしにとって居場所は、共有できる場所。

共有したいが為にいろんなコミュニティにいたのかなと。

長澤まさみオタクになったときに、
同じ気持ちの人がいないかネットに仲間を求めた。

ふつうに映画やドラマをみての感想も
一緒にみた家族や友だちと話し合ったり
一人でみても他の人の感想を知りたくて
SNSでみたり、自分でアウトプットしたり。

共感したり、また違う気持ちを受け取ったりするのは
すべては共有したからなんだろうなと!

共有した気持ちを否定するのではなく、
肯定していくような関係性が居場所がベストかなと思ったのでした!


はい!では…おさらい!

居場所を求めてしまう気持ちって?
①共有したいから
②否定しない、されない居場所をみつけよう

せっかくアウトプットしたことが否定されたら
それこそトラウマになりかねないもんね!

以上!

共有するから思い出も絆も深まっていくんだろうなー!

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