SNSの投稿について(特にTwitter)
友人がnote開設して面白そうだったので私も便乗しました。どうも井の中のリンです。
twitterでは文字数の関係で書けない文章をこっちで書いていきたいと思っています。
当事者を置いてけぼりにした議論
社会的責任というちょっと重めなワードがTwitterのトレンドに上がっていました。なんだろうと思って、少し調べました。
詳細は省きますが、男児のラブドールを趣味嗜好にされている方が、Twitter上で自分の趣味嗜好について書かれた漫画を公開して、それに「けしからん!」といった意見が相次ぎ、その方が謝罪する事態となり、その漫画を削除しました。
それだけで済んだのならば良かったのですが、今度はその漫画を肯定的に見ていた方達が「人の趣味嗜好に口を出すなんて何事だ!」といった意見を唱えて物議を醸しています。
この事はどんどん大きくなりTwitter上のトレンドに"ラブドール"が載るほどになっていました。
この事態に対して、とある方がnoteに投稿した記事がさらに波紋を呼んで、その中で言及した"社会的責任"という単語がTwitterのトレンドに載った、という事らしいです。
ここで私が言いたいのは、ラブドールを所持する事の是非や、この記事を書かれた方の意見の賛否ではありません。
当事者を置き去りにした過度な議論や意見の対立が、最近のSNSでは目立つなぁと感じたのです。(最近ではなく、元からあった事が、SNSの普及で、表面下しただけなのかもしれませんが)
これは上記のラブドールに限った話ではありません。
少し前になりますが、某リアリティ番組に出演されていた演者の方が自殺され、その原因はTwitterなどのSNSでの誹謗中傷である事が明らかになり、大きなニュースとなりました。
その件で、Twitter上で、「ネットの誹謗中傷を許さない」といった議論が巻き起こりました。
人の死が関わっているので、あまり大きな声で言いたくありませんが、遺族や関係者が運動を起こしたならばともかく、その場限りの「誹謗中傷は駄目だ!」という全く関係のない第三者の意見が、ネット上のあちこちで見られました。
某有名芸人の不倫が発覚した際にも、全く関係のない人達が外野から、某有名芸人に対して厳しい批判がたくさんありました。(この件は過剰に煽るように報道したメディアにも一因があると思っています)
私は誹謗中傷に対しての意見を述べたい訳ではありませんし、某有名芸人の行いに対して是非を問いたい訳ではありません。
今のSNSでは当事者同士、関係者を置き去りにして、全く関係のない第三者が匿名で、外から自分勝手な意見を言う事が多い気がします。
ラブドールの一件でも、漫画を描かれた方は、既にそれを削除して、謝罪までされています。
なのに全く関係のない外野の方々が大きな声を上げて結果、騒動になる事態ってどうなの?と感じています。
SNSのトレンドはマジョリティーとはいえない
私達は高度な情報社会で生きています。もはやインターネット抜きで生きていけません。
その象徴の一つがSNSの台頭ですが、私達はそれに触れすぎるあまり、そのSNSでのトレンドが往々にして世間に浸透していると錯覚してしまいがちです。
例えばTwitterのトレンドって数千単位で呟かれれば、反映されていますが、日本のスマホ普及率は約8割と言われており、日本の人口で計算すると約1億ちょっとです。
その中での数千単位の数というと、1%にも満たないのです。わずかそれだけの人々しか、そのトレンドについて意識を割いていないという事です。
トレンドを見た時、マジョリティーに分類されていると錯覚して、それに対して気に食わない方々が批判を述べて、またその批判に対して、また物申す方が現れる。逆もしかりです。
その連鎖が大きくなった結果、炎上するというパターンが多すぎる気がします。
私は、何も自分の意見を発信するなと言っている訳ではありません。
ある事に対して意見を述べる時に、その事に対しての反対意見を持っている人は必ずいて、対立関係になりやすいという事を常に頭の中に留意しなければならないという事です。
仮に自分の意見が世間から見た時に正論だったとしても、必ずそれに賛同する人ばかりでないでありません。
子どもの時に親から「勉強しなさい!」と言われてムカついた経験は誰しもがあると思います。
親の言っている事は正論ですが、反感を覚える人もいます。正論を言う事は必ずしも言われた当人にとって良い結果をもたらす、とは限らないという事です。
これが現実世界での話なら、「これを言えば雰囲気が悪くなるな」とか「この人と揉め事を起こしたくないな」と考えて、自分の意見を口に出す事をやめる方もいるでしょう。
しかしネット上では、自分も相手も匿名で、述べた意見に対して責任を持たない方が多々あり、投稿を削除すればいいやという安易な思考に陥りがちです。
ネット上で意見を述べる時、現実世界の自分が発言しても問題のない意見かどうか吟味する、このプロセスが、今のTwitterなどのSNSユーザーには必要な事ではないのかなと思いました。
ではもし、自分が気に入らない記事や意見、トレンドが目に入った場合どうすればいいのでしょうか。
一番手っ取り早いのは、見ないという事です。
自身が直接的な害がない限り、見ないという事が楽ですし疲れません。
自身に直接的な害がない限り何もしないのが一番です。
次に考えられるのは、見た上で何もしないという事です。
私はこちら側です。好奇心が抑えられないので、私とは違う意見でも最後まで読んでしまうのです。
こちらは自分が不愉快になるのであまりおすすめしません。
最後に、その記事や意見に対して反論する事です。
しかし既に先に述べたように自分で意見を述べるという事は、批判が来る事も覚悟しなければなりません。
また何かしらの議論を行う際には明確な根拠やソースが必要です。それらがない場合はただの感想で、相手にされなくなる可能性もあります。
現実世界でのディベイトならば、時間も相手も限りがあります。
しかし、ネット上では相手は無限にいますし、時間もたっぷりあります。
無数の批判にさらされる事は覚悟しなければなりません。
ネット上の実名公開について
ネットの使用時での実名公開というのは、そういう意味でも抑止力になりうると思っています。
ショーペンハウアーは著書『読書について』の中で、新聞記事の最後には、その記事を書いた記者の名前を載せるべきだ、と述べていますが、それはSNSでも通用すると思っています。
現在、IPアドレスでしか、ネットの誹謗中傷などの発言者を特定できませんが、SNSを使用する上での実名登録といった手段を考える段階にきたのではないでしょうか。
これはお金をやり取りするネットショッピングや、オークションサイトで既に行われています。(本当はユーザ名と実名を一緒にするのは良いのでしょうけど、プライバシーの問題から現実的ではないでしょう)
よくワイドショーや情報番組などに出演されたコメンテーターや専門家の方の発言が、ネット上で槍玉に上げられる事がありますが、全く関係のない匿名の方達が安全圏から一方的に攻撃しているようで、私は見ていて良い気はしません。(もっともメディアに露出される方々は、自身への批判などで覚悟されており、よく考えた上での発言がほとんどで、私のような影響力のない一市民の心配など全く意味がないと思いますが)
人に言われて嫌な事は言わない。これは子どもの頃から誰しもが言われ続けた事です。当たり前です。
そこからもう一歩踏み出して自分の発言は、他人とは違う可能性がある、という認識を持ってください。
多様性を認めるという事はそういう事も含まれていると私は考えています。
当たり前の事を言っているので、何とも中身のない記事になってしまいました。ただその当たり前の事の出来ていないの今のSNSの現状です。
今一度、自身のSNSでのあり方を見つめなおしてみればいかがでしょうか? もちろん私自身も戒めるつもりです。
最後に
初めてのnote投稿で、変に真面目な内容になりましたが、これは私自身がnoteを利用する上での戒めとして投稿しました。
次からはもっと軽いのを投稿します。見た作品の感想とか、資格勉強のアウトプットとか、創作の進捗報告とか。
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