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結婚相手はATM?

「経済的に生活レベルが下がるってわかっていたのに何故、離婚したの?わからないように上手く遊べば良かったのに」

友人からの言葉に価値観の差を感じた。

私にとって、結婚相手は、生活レベルを維持するための人ではない。生活を保障する人でもない。人生を共にする人だから。

安定よりも、より良い状態へと変化する方を私は選ぶ。
たとえ、生活レベルが下がったとしても、それで精神的な向上がみられるなら、そちらを選ぶ。
お金は稼げば良い。
でも、愛情を復活させる事は1人では難しい。

年収が高いに越したことはないとは思う。
だけれど、それを念頭に置いてしまうと精神的な繋がりが薄くなるように思う。
だから、相手の年収は知らないまま出会う方が私はいい。
年収の高低には、理由があり、それぞれに抱えているバックグランドが違うのだから…

ただ、なんの気概もなく低収入であるなら、そこに人間的な魅力を私は感じない。
逆に低収入であっても目指すものがあるなら魅力を感じる。

その人の生き様が結果として高収入に繋がっているのならそれは魅力的だし、高収入であっても活き活きしていない人なら魅力はない。

そんな感じ。

お金と結婚するのではなく、人と結婚する。

高収入なら普段は、ありがとう、と言って頼ればいい。
でも、人生に変化が起きてパートナーが無収入になったら…

その時の事も考えて、支えられる自分でありたい、そう思う。

愛情がある中で、経済的に支えてもらい、自身も与えることのできる関係ならばいいけれど…
結婚相手への愛情もなく、ただのATMとしてみるなんて失礼なことを私はできない。

当時、夫への家族的な愛情はあったけれど、夫が望んでいる愛情を注ぐ事ができなかった。
一緒にいても彼をやきもきさせるだけだった。

だから、生活レベルが下がっても自活する道を選んだ。
無謀と言われても、私は精神的に満たされない事の方が、ずっと、ずっと耐えられない事だから。

経済的に自立する事を億劫だと感じる人は多い。夫に愛情はなくても、生活を保障する人として必要だから適当に話を合わせて捨てられないようにだけしておく。そんな人は沢山いる。
無意識のうちに夫は種馬兼ATMと化すのだ。

「子供とお金さえあればいい」

その本音をひた隠して、夫への愛情がないのに一緒に生活するものだから、妻はイライラ感だけを募らせる。
しかし、生活を守るために、時には優しい顔をしてみせて耐えるのだ。

昼間に実家へ子供を預けて、趣味や他の男性と楽しんでいる人を何人も見た。
夫が帰ってくる頃に家に居ればいいのだ。

結婚する時も、子供が欲しい、安定した生活が欲しいと思うのは自然な事だと思う。
ただ、女性は出産を考えると適齢期がある。
ちょうとその時期に縁のあった人なら、熱烈に好きでなくても、なんとなく生理的に受け付ける相手なら結婚を考えるだろう。

仕事に疲れているならば、結婚を機に退職したいというだろうし。
男性は、自分の身の回りの世話をしてくれて、あわよくば自分の親の面倒もみてくれる。
子供も育ててくれる、そんな人を欲するかもしれない。

お互いに需要と供給が合っているなら、結婚制度を利用して安全に暮らす事は悪くない。

ただ、私はその価値観に見合わなかったから結婚も遅かったし、離婚もした。
離婚を失敗だなんてこれっぽちも思っていないし、反省することはあっても後悔はしていない。

夫婦それぞれに次に生まれ変わったらまた夫婦になりたいですか?との問いに夫側は約7割がYESと答えるが妻側は2割程度なのだという。

男性は、妻から愛されていると信じて疑わない。なんて純粋なんだろうか。でも現実は違う。

私はこうした現実に真っ向から反発したい。
たとえ、夢みがちで地に足のつかない人だと言われても…
相手の気持ちも自分の気持ちも誤魔化したくない。

自己保身のために、縁の深いと思われる相手を欺くことは、良心が許さないのだ。
人の好意を利用して、自分の生活を守ることに一生懸命なんて、ある種の詐欺なのではないかと思っている。

そういうズルい生き方に嫌悪感がある。

生活を守って欲しいなら、何事もなかったかのように澄ましているのではなく、自分の弱さを認めて、「お願いします」「ありがとうございます」と頭を下げればいいのに、心の中は夫への不満で一杯にしているなんて、なんて傲慢なのだろう。


だから、理想を現実化したいと本気で思っている。
やっぱり、男性寄りの思考なのかもしれない。

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