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男性に女性にもなりきれない女の苦悩 最終回

その6の続きです。

私は数年前まで女性であることを心のどこかで否定し、その性を心から楽しむことが出来ずにいた。

「可愛くなんていたくない、格好良くいたい」

「守られるより、守りたい」

何故、私は男性になりたかったのだろう。

おそらく、家族の期待に応えたかったのではないかと思う。
私には姉がいる。次に望むのは男児。

「男の子だったら良かったのに」

「男の子の名前しか考えていなかった」

「大事なものを忘れてきたのね」と何度も母から言われた。

生まれた時からガッカリされてしまった私は男の子になるしかないと無意識に決めたのではないかと思う。

子供は親に見捨てられたら生きてはいけない。
赤ちゃんが必死に泣いてお世話してもらおうとするのと同じように、親の気を引くためにあらゆる手段を子供なりに考えるのだ。

また、女性の見本となる母が感情的になって怒り狂う姿に恐怖を覚え、こんな人にはなりたくないと思ったことも男性になりたい願望に拍車をかけた。

もともと男性と女性の中間脳で、さらに生い立ちによって男性化したのではないかと思う。

今思えば、男性になりたかったのではなく、女性であることが嫌だったのかもしれない。

ある種のトラウマを克復してからは、女性であることを楽しめるようになった。

今は、ピンクもリボンもちゃん付けも全部受け入れることができている。
可愛く甘えられるようになりたいとさえ思えるようになった。

でも、やっぱり、サバサバしているねと言われる。
言われて嫌な気はしないけれど、品良く美しくなりたいと思っている。

女性の真の美しさは、凛としたものなのではないかと思う。
これなら、少し近づけるかもしれない。

気が強そうなのではなく、真の強さは優しさにも比例する。

もう、頑張って男の子にならなくていいんだ
潜在意識からの見えない声に従わなくていいんだ。

いい大人になった今でも、男女関係なく第一印象で"緊張する"と言われる。
いわゆる"できる女"風らしい…自分では正直わからない。

職場でも「うっかりしちゃって…」と言うと決まって「十六夜さんでも、うっかりってあるんですね。それくらいがいいですよ。いつも完璧に見えるので、ホッとします。」

そんな風に言われる。

今日もまた「凡人には無い強さですね。なんでもできる感じだし」と言われた。

でも、それは多分違う。

張ったりの上手い私はカッコイイ自分を演出している。ただそれだけだ。
決して完璧などではない、むしろ、うっかりばかり。

そして懲りもせず、まだどこかで
"カッコイイ女"でいたい、と思っている。

でもね、カッコイイ女じゃなくても、好きだと言ってくれる、そんな人と時を過ごしたい。

そして、大和言葉の似合う、内面から美しい女性になりたい…

今はそう思う。

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