田舎移住の全盛時代にモノ申したいこと。
2018.04 22歳
今回は移住者として「移住」とは何かをまとめる。というのも僕は東京から三重の漁村に移住したものの、移住したという感覚がないからだ。
【移住という甘い言葉】
移住という言葉には、理想主義的な響きがある。住む場所を変えるという選択は、たしかにその人の生活に大きく影響する。しかしその選択によってその人が変わるかどうかは、結局その人自身の問題でしかない。
住み処を変えることによって、何かがポジティブな方向へ変わる。移住とはそんな期待を抱かせる言葉でもある。
【田舎はユートピアじゃない】
田舎は生き物としての人間にとって住みやすい場所であることは間違いない。自然や食の豊かさは、たしかになににも代えがたい価値である。
しかし田舎に移り住むことによって、いま抱えている問題が解決するわけでは決してない。
田舎に移り住んで、人生をやり直したい。都会の喧騒に疲れたから、田舎でスローライフをを楽しみたい。
こんな風になにかが変わることを期待して漠然と田舎に来ることは危険だ。
【むしろ田舎は過酷な環境だ】
都会は自分を変える機会がいくらでもある。自分が動かなくとも人々が行き交い、莫大な量の情報が飛び回る。所属するコミュニティを変えてみるだけで、新しい自分にチャレンジするチャンスをつくれる。
一方の田舎では、一度流れた噂は尾ひれがついて飛び回る。そしてその人のイメージは一度定着すると永遠について回る。地域コミュニティから外れることは、その環境で生きて行く糧を失うに等しい。田舎は自分を変えるチャンスどころか、行き場を失うリスクの方がよっぽど高いと感じている。
【環境のせいにしない】
田舎には都会にない豊かなくらしがある。そういった都会に住む人間の幻想が生んだ言葉こそ「移住」の正体だ。
都会でうまくいかない人が田舎ではうまくいく保証はない。密な人間関係のなかでは、適当にやり過ごすことができないから、むしろ大変である。
田舎にやってきて楽しめる人は、たいてい都会でも同じように楽しめる。要はその人自身の問題。それを環境のせいにしているだけなのだ。
【移住する理由を明確にする】
田舎に移住する際に大切なことは、自分がやりたいことをする環境があるかどうか。その実現のために引っ越しという手段をとるに過ぎない。
田舎という環境は、決して何かを与えてくれるものではないから。可能性の宝庫である課題先進地で、あくまで自分のやりたいことに正面から向き合うために移住するのだ。
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