人間はどこまで、感情を言語化できるか。
2018.05.02 22歳
文章を書くことは、数ある表現方法のひとつ。自分が体験したことを、言葉というツールに託して人に伝える。
僕は文章を書くとき、すべての文字に自分の想いを込める。自分の言葉で語ることは、このブログの流儀と言ってもいいだろう。
言葉はそれを綴る人を表現するもの。いや、言葉にすることで自分ができあがっていくと思うから、一文字ずつ筆圧の濃い字で書いていくのだ。
【言葉とはなにか】
なぜ犬は犬なのかということについて。もし考えたことがあるならば、あなたは僕と似ているかもしれない。
「犬」は別に「犬」じゃないけれど、「犬」と呼ぶことによって「犬」として存在する。本当は世の中にあるものすべて、カッコ付きでしか語ることができない。仮にこの生物が「犬」だとする。そしたらこれも「犬」になるけど、これは「猫」と呼んで区別することにしよう。
……なんで「犬」なんだ??
言葉の語源を辿っていくと、必ず説明しようのない仮定に行き着く。
【言葉は理解&説明する手段】
さて、僕はここで「言葉」のネガティブキャンペーンを始めるつもりはない。何が言いたいかというと、言葉は何かを理解しようとするときのツールであるということ。もちろん何かを理解してもらおうとするときにも使う。
逆の言い方をすれば、言葉にしなければ理解することができない。世の中に存在する得体の知れないものたちに名前をつけて、説明が可能な状態にする。それが言葉の存在意義だ。
【言葉は人を表現する】
人間は物事を理解するために言葉を使う。そのため、どういう風に理解したかによって使われる言葉は違くなる。
あたかも物事をそのまま表現してくれているかに見えるけれど、言葉が教えてくれるのはそれを語る人間がどう物事を捉えているかということ。
それを語る人間の視点に基づいて紡がれるものだから。言葉はその人の感性を表現してくれるのだ。
【感情を言語化する】
文章を書くときは、もちろん頭で考えている。しかし頭で考えるだけで言葉は生まれない。
まずは心の赴く方向へ進むこと。その道の過程で体験したこと、感じたことを後から頭で考えて言葉にする。
心⇛体験⇛感情⇛頭
心と身体のすべてを使ってわ言葉は生み出される。実際に自分で体験したこと、感じたことだけが自分の言葉として語ることができる。
【経験と感情をすべて言葉にする】
自分自身の経験や感じたことを言葉にする。これは本当に大事なことだ。
自分の語る言葉こそが、今まで生きてきた自分の人生を意味づけてくれる。その時に体験したことは、言葉にすることによって後からカタチになる。
吐露された言葉は、後から私になる。
言語化できずに渦巻いている感情を、一つひとつ言葉にする。そうやって積み重ねていく言葉が、僕自身を作り上げてくれる。
自分の人生を言葉で豊かにする。
言葉によって、自分をつくる。
自分が感じたことのすべてを、僕は自分の言葉にして表現してみたい。
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