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1ヶ月牧場に住み込みで働いてわかったこと。

2017.09.27(21歳)

人生最後の夏休みが終わる。

小学生から数えれば16回目の夏休みで、長い学生生活だったなと、その終わりを受け入れる確かな覚悟を自分のなかに感じている。

夏休み最後の1日の今日は、岡山県にある日本三名園・後楽園で過ごしている。この1ヶ月間、僕は香川県の牧場でインターン生として住み込みで働かせていただいた。だから今回は牧場で暮らして感じたことをまとめる。

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【第一次産業を巡る旅をしている】

僕が一次産業に興味をもったきっかけを簡単に紹介しておく。

都会で生まれ育った僕にとって、自分が普段食べているものがとのように作られているのかということについては、ほとんど知る機会がなかった。

大学生になり、一人暮らしを始めた。多少なりとも自立したいという気持ちを抱いていた僕にとって、初めての一人暮らしは想像とは違うものだった。

というのも今までの自分は、自分が生きるために必要なものがどのように作られているのかについてあまりにも無知だったことに気づいたからだ。

自分にとっていちばん大切な部分に対して今まで興味をもたずに暮らしてきたこと。生きる力を身につけて、自立した強い人間になりたいという自分自身の目標をもって、自分の目で生産現場を見て回ることにした。

【牧場を選んだ理由】

今回この牧場を選んだ理由は、消費者と繋がる術を備えている牧場だと思ったからだ。この牧場は牛を育てる以外にジェラート屋とピザ屋を経営していて、お客さんの顔がみえる生産現場なのだ。

今まで消費者として生産現場を意識できなかった僕にとって、伝える生産者というキーワードに強く惹かれた。

またこの牧場は酪農教育ファームの認証を受けていて、小中学生に対して農業という仕事の選択肢や命をいただくとはどういうことかを伝えている。

自分の食べているものに日頃から関心をもつにはどうすればいいのかを考える機会にもなると思った。以上が参加したきっかけだ。

【牧場で学んだこと】

牧場で学んだことは何かと聞かれれば、やはり一番は作業そのものでした。つまり、牛乳と肉を作るという仕事だ。

ただし作業内容についてまとめることは途方もない作業なので、印象に残ったことをいくつかまとめる。

【忍耐力を試された】

最初の2週間は仔牛のお世話をする仕事をさせていただいた。そのなかでいちばん大変だと思ったことは、哺乳瓶でミルクをあげる作業だった。

生まれてから3日以内の仔牛は、バケツではなく、哺乳瓶でミルクを飲む。1回で4ℓの量を飲ませるのだけど、最初はミルクだということに気づいてくれずに飲まない仔牛もいた。お腹が空いている子は、口に指を突っ込むとパクパクと口を動かしてくれる。飲みたいという意思表示をしてくれているのに、いざ飲ませようとするとなぜか飲んでくれない。

初乳といって、最初に飲む牛乳は栄養が満点で、それを飲むことによって免疫や健康を整える。だから飲まないとその後のリスクになる。

仔牛には本能で備わっているらしく、頭突きなどで乳を刺激することでミルクを出やすくするのだそうで、仔牛には随分と身体的な痛みをくらった。

あなたのために飲ませてあげてるのに……。

何もわからない赤ちゃんに対してそんなことを考えてしまう。忍耐力が足りていないと思うようになった。

親牛の世話でも同じことを感じた。

搾乳の際に牛をパーラー(搾乳室)まで移動させなければならない。牛は人間の力では動かせない。動いてもらうために、叩いたり声をかけたり必死で伝えるのだけど、簡単に言うことを聞いてくれるほど牛は素直じゃない(少なくとも僕に対しては)。動いてくれないどころか、糞尿アタックを食らって逆に追い詰められることもある。

僕はその時まで、仕事を早く終わらせるためにどうすればいいかということに考えをとらわれていたのかもしれない。

それに加えて、生き物の相手をするということは思い通りにならないことが多いものだということを実感した。一次産業の現場で働くためには、我慢強さと度量の大きさが必要になってくるのだろう。

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【気づく力が足りなかった】

滞在中に、仔牛が一匹死んだ。

死んだ日の朝、僕はその仔牛に哺乳瓶でミルクをあげた。

その子はなんだかとてもぐったりしていて、ミルクもほとんど飲まず、生まれて3日経つのにまだうまいように立てない。

「元気のない子だな……」

なんとなく心配でしたが、まさか死ぬとは思っていなかった。

牧場では、見回りという作業がある。

牛がただ元気に過ごしているかどうかだけではなく、発情しているか、妊娠しているか、下痢をしていないかなどを見て回る。搾乳の際も、乳房炎のチェックは欠かさない。

牛は思っていることを人間の言葉で伝えることができない。だから、お世話をする側の人間の方から気づいてあげなければいけないのだ。

【牛は何のために生きるのか】

仔牛の競りに連れていってもらった。

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牛が乳を出すためには、人間と同じように子どもを産む必要がある。牛乳を搾るために人工授精で牛を妊娠させるから、僕がいた1ヶ月間の間で何頭もの新しい命が生まれ、出産にも5.6回程立ち会った。

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↑産まれた直後、仔牛を舐める母親。

乳牛の仔牛は10万弱なのに対して、肉牛はオスなら30万を超える値段で売れる。だから妊娠させるとき、乳牛(ホルスタイン)に肉牛(和牛)の種をつけることで肉牛の血を入れた混血(F1)にして高く売る。

競りはけっこう悲しい。毎日お世話をしていた牛が、だいたい30秒くらいで値がつけられて違う人のところへ連れていかれる。残酷にも、身体の形が整っていない牛は売れ残って戻ってくる。

肉牛はもちろんだけど、乳牛だって乳がでなくなったら肉として出荷される。ここはとても牛を大切にする牧場で、病気になった牛は治る可能性がなくなるまで治療を続ける。

でも結局、肉になるんだよな。

そんなことを考えて、悩んだ。そして僕は自分のこと、つまり人間のこととして考えてみることにした。

人間もいつか必ず死ぬ。それは人生どんなに苦労しても、楽しても、頑張っても、無為に生きても、どんな風に生きても結果は等しいということ。でも結局死ぬんだから頑張る意味がないのかといったら、きっとそうじゃない。

死ぬことよりも、生まれてから死ぬまでの過程でどんな人生を歩んだかということが大事なんじゃないか、と。

牛だって同じ。結局人間のために死ぬ。

でも、それまでの間少しでも良いと思える人生をおくらせてあげる

そのことが重要なんじゃないかな、と。

酪農教育ファームの研修会に参加させていただいた時に聞いた言葉。

「屠畜場に行く牛に、頑張ってね、と言う。ただ殺される牛が何を頑張るのかって思う。でも、その牛はこれから肉になって、みんなの食卓に並んで、栄養になってくれる。だから、頑張ってね、と言う」

酪農には生命の温かさがある。

牛の体温から直接伝わるその温かさを、生産者から消費者へ届けることは、とても大切な意義があると思った。

【おいしい牛乳を作りたいという想い】

この牧場を選んだきっかけは、消費者に伝える手段をもっていることであることは前述した。そのジェラート屋とピザ屋でも1日ずつ研修をさせていただいた。

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メニューをみて、どれがおすすめか聞いてきたお客さんに対して、ジェラート屋はこんな風に答える。

「私たちのお店は、牧場直送のミルクが売りなので、まずはミルク味を食べてみてください」

ピザ屋も同様、1番シンプルにチーズと生地の味がわかるマルゲリータをおすすめする。自分たちが作ったから。おいしいと胸を張って売りたい。食べてもらいたい。そう思えることは、生産者により安全でおいしい牛乳を作ろうと思える気持ちが芽生えるきっかけになる。生産者と消費者が繋がることは、双方にメリットのあることなのだと実感した。

一方で牧場の作業が忙しいなかで、牧場で働く人自身がお店で働く時間をつくることは大変なこと。やはり、本格的なお店をやるとなれば、牧場で働く人以外の担当が必要かもしれない。そういうなかでも、生産者自身の気持ちをお客さんに伝えるためにどんな工夫が必要なのかを考えさせられた。

この牧場で働くなかで、やはり伝える生産者になりたいと強く思った。

【これからについて】

考えてみれば、一次産業の現場を回ると決めてからいろいろなインターンに参加させていただくことができた。

ネットで情報が擬似的に手に入る時代のなかで、先入観や固定観念を捨ててできるだけ多くのものを自分の目で見て、肌で感じたい。

そう思ってきたけど、やっぱり今まで自分がやってきたことは仕事の入口のドアを開ける程度のことで、何かを「した」わけじゃない。

それぞれの現場で人生をかけて働く人たちをみて、自分も何か一つのことに情熱を注いでみたいという思いでウズウズしている。

卒業まであと半年。

その「何か」はもう見つかっているのかもしれないけど、あと少し、旅に終止符を打つ日を意識しつつ放浪してみようと思う。

雨が強くなってきたのでこの辺で終わりにしよう。

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