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僕が生きる意味と、人生で大切にしている要素。

2018.08.01 22歳

「社会人」になって3ヶ月ほど、本を読む習慣がほぼ途絶えていた。

余談だけど「社会人」という言葉はしっくりこない。学生も社会で生きているから社会人。同じ社会を生きる人間として、やることが「勉強」から「仕事」へシフトするだけ。だからここでは会社員という言葉を選ぶ。

会社員になったはいいものの、僕にはどうしても本を読む時間が必要だ。なぜなら本を読むことは、僕の生活を循環させる要素のひとつだから。このブログもまた、その「要素」のひとつ。

僕の人生に不可欠な要素がいくつかあって、それらは起承転結の流れで繋がっている。今回はそんな話。

【人生の意味】

なんのために生まれてきたのか。

誰しもこの生命の「使命」について思いを巡らせたことかあるだろう。授けられた生「命」の「使」い方について僕の哲学は暫定的に完成している。

僕の人生の意味は、自分の「内側」と「外側」を、広く深く知ること。そのために、今まで自分が知らなかった場所へ赴き、「未知」の環境で感じることを通して自分を知る。

自分の言葉で語ることのできる世界が広がっていくこと。それがいまの僕が生きがいを感じられることだ。

これから具体的に僕が大切にしている要素を起承転結ごとにご紹介する。その大前提として、なんのために僕がいま生きているかを確認した。それではここから本題となる。

【起:知らないことを経験する】

わからないくせにわかったフリをする人や、わかっていないくせにわかっていると思いこんでいる人がいる。

たとえば世界一読書量の多い人がいたとしたら、その人はきっと世界一「日の光を浴びる量」が少ないだろう。引用の数で文章の価値は決まらない。

たとえばパソコンが嫌いなおじいちゃんがいたとする。彼は本当に「パソコン」が嫌いなのだろうか。パソコンが「わからない自分」が嫌いなのかもしれない。自分が「わからない」ということを認めたくないから、知らない世界について拒絶反応を起こすのだ。

たとえば自分がすべてを知っていると思っている人間がいたとしたら、その人はそれ以上成長の見込みがない。他人の意見を聞き入れないからだ。

学生の頃はその身分からして、わからないことがわからないと言える環境にあったけれど、わからないことがあるとバカにされるから、一生懸命わかったフリをして威勢を張る「社会人」がたくさんいることを知った。

わからないことを経験するのはオモシロイ。わからないことがあったら素直にそれを認めて理解するために勉強すれば済む話だ。

わからないことがわかるようになった分だけ、自分の行動や思考の幅が広がる。車をもっている人が、より遠くのお店まで買い物に行けるのと一緒だ。

自分の「外側」を広く深く知るために、僕はわからない世界にどっぷり身を浸したい。僕が漁村へやってきた根本的な理由も、そんな考え方に根ざしている

起承転結の「起」は、ふだんの生活そのものだ。日常でさまざまなことを経験して、感じること。これが人生の基本なのだ。

【承:学び、努力すること】

僕が恐れているのは、わからないことをそのまま放置して、わからないことが当たり前になること。

海水がしょっぱい理由。赤ちゃん泣く理由。日本が小選挙区比例代表並立制を導入している理由。

「そんなこと知らないけど、そういうもんなんじゃないの?」だんだんと思考が常識に蝕まれていくと、本当はおかしいことがあっても「おかしい」と気づけなくなる。そして、「わからずに理解する」癖がついてくる。

「なぜこうするの?」
「そういうもんだから」

それは学生が試験前に模範解答を丸暗記するのと同じだ。もちろんそれで乗り切れることだってある。

でもわからないことがあったら、理解するように努力する。結果として、自分の「外側」について知識を深めることができる。

つまり、日常生活のなかでわからないことに直面したら勉強する。できないことに直面したらスキルを養う。その繰り返しによって人は生きる力を向上させることができる。

【転:たまに日常から離れる】

日常生活のなかで日々学び、技術を身につける。ここまでのアウトラインをまとめるとこのようになる。

次に僕は読書をする。読書は偶然の出会いをもたらしてくれるからだ。

まったく興味関心のなかった話題について、オモシロく思わせてくれたり、または自分の専門分野に関して想定外の解釈を与えてくれることがある。

何に悩んでいるのかわからないようなとき、自分が抱えている課題は「こういうことだった」ということに気づかせてくれる本だってある。

もうひとつは旅をすること。

列車の車窓から景色を眺めていると、いつの間にか自分の心のなかを眺め始めるものだ。なるべくひとりの方がその作業は集中できる。

自分がいる環境の外側に出てみると、自分を客観的に観察できるようになる。そういう意味で、旅と読者は僕の人生において大切な要素である。

【結:自分の言葉を綴る】

最後の要素は文章を書くこと。これは僕にとって表現の手段である。

自分で説明できるようにならなければ、理解したことにはならない。自分の言葉で表現できるようになって初めて、経験は自分のものになる。

だから僕は文章を書く。

文章を書き続けることで僕は自分なりに世界を解釈して、自分の「外側」への理解を完全なものにする。

さらに「外側」を理解した先には、それに対する自分の反応を知ることができる。自分は何に感動することができて、どうしても許せないことはこういうことだと気づく。

「外側」を見つめ続けると、自分の「内側」に辿り着く

【起承転結のサイクルを回す】

漁村に越してきて4か月。漁村について書いた記事は2つだけ。あんまりにも少ない。書けない理由はわかっている。

「忙しい」からだ。

時間がないという意味ではなくて、心が死んでいる。現実に追われて、考えるゆとりがなくなってしまった。経験するだけ経験してそれで終わりにしていたら、僕の場合は本末転倒なのだ

(起)経験(暮らし)
(承)勉強(↑の質を高める)
(転)読書・旅・映画鑑賞
(結)ブログ・note(理解)

僕のライフスタイルには起承転結がある。感動したこと。驚いたこと・楽しかったこと・悲しかったこと・許せなかったこと。

もっと書く。
経験を全部、言葉にする。

そうやって僕は、自分の人生の目標に近づいていくのだ。

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