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経済発展に成功した日本が失くしてしまったもの。

2017.07.31 21歳

人生最後の夏休み、瀬戸内海を旅している。フェリーに乗って直島から犬島にやってきた。今回は犬島精錬所ルポルタージュをしながら、現代社会が失ってしまったものについて思いを馳せる。

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まずは犬島精錬所について簡単に説明する。設立されたのは1909年、煙害対策や原料輸送の利便性から島に建設されたものの、銅価格の大暴落によってわずか10年で操業が終了してしまった。しかし煉瓦造りの工場跡や煙突が、日本の産業革命を伝えるものとして大切に保存されている。

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なぜこの精錬所が僕の印象に残ったのか。その答えはここに併設された美術館に展示されていた三島由紀夫の文章にある。日本の近代化を危惧していた三島由紀夫は、アメリカの奴隷のような日本を痛烈に批判して自殺する。日本のアイデンティティが失われることに警鐘を鳴らしていたのだ。

このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである(果し得ていない約束)

競争市場主義が貫かれた現代社会では、「敵に負けないための発展」が強いられている。競争とは本来ゴールの方向に行われるものだ。経済成長率のニュースが毎年世間を騒がせるけれど、そもそも何のために社会は発展するのだろう。私たちが目指すゴールとは何なのだろう

競い合って辿り着いた未来の社会には、日本という国の片鱗は残っているだろうか。グローバル化を掲げて均質化した社会に、本当の豊かさは残っているのだろうか。

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ゴールなき競争至上主義が未来にもたらすものはなんだろう

歴史的遺産となり果てた犬島精錬所の姿と三島由紀夫の危惧を連ねた文章は、現代社会の在り方に疑問を投げかけている。

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