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これからの社会が向かう方向を予想しよう。

2017.10.12 21歳

今回のテーマは、これから社会はどのように変わっていくのか。

どんな社会に住みたいかという僕の主観を取り除いて、なるべく客観的に時代の変化を読み解いてみることにしよう。

【加速度的に便利になる社会】

ここ数年でますます便利にな世の中になった。先月iphone10のモデルが発表されて、ホームボタンがなくなって新たに顔認証機能が追加された。

僕が初めてiphoneを手にしたのが2014年で、大学入学祝いで親に5cを買ってもらった。それまではガラケーだった。それから次々に新機種が登場し、その度に買い換える人々。新しいものを求める需要は尽きないものだ。

便利な社会になることはもちろん良いことである。

しかし便利な社会を生きる処世術を身に着けなければならない。

【便利になればなるほど忙しい】

東京オリンピックを控えた1964年。東海道新幹線が開通した。それまでは約6時間半かかったのが、4時間で東京ー大阪間を移動できるようになった。今では約2時間半となった。

さて移動時間が短縮した結果、生活は楽になっただろうか。いやむしろ、労働時間は増加した。早く着いた分、働ける時間が増える。もちろんサラリーマンは働かないとダメでしょう。便利さがもたらしたのは、ますます働かなければならない社会だった。

おかしいと思わないだろうか。

こんなに機械化が進んだ現代社会で、長時間労働が問題になっている。人間のする仕事は減るはずなのに、働く時間は変わらない。この矛盾はどこから生まれるものなのだろう。

【資本主義世界は弱肉強食だ】

しかし社会構造から考えてみれば、これは当たり前のことだ。

国民の生活を保障するためには雇用を維持しなければならない。そのためには新しい仕事が必要になる。なぜならこの競争社会においては、常により良いモノを作らなければ必要のない存在として消えてなくなる。

目指したい社会があるわけではない。ただ、発展することでしか社会を維持できない。そんな政治経済システムの中で僕たちは生きている。

かの有名なアダム・スミスは、この発展が理想の社会を作ると考えた。

たとえばラーメン激戦区では、人気のないラーメン屋はすぐに潰れる。言い換えると、人気のあるお店だけが残るということ。そして潰れたお店は修行して「おいしい」ラーメンが作れるようになるか、または違う食事を提供するお店として再出発することになる。そのお店もまた、人気があれば続き、なければ潰れるまでだ。

分業制においては、各人が自分に合った仕事を選択できる。その中で消費者が求める「価値のある」モノだけが残るから、人間が手を加えずとも社会は少しずつ理想に近づいていくということだ。これをアダム・スミスは神の見えざる手と読んだ。

【常に競争にさらされる社会】

資本主義の発展のシステムを確認した。手を加えずとも発展する効率の良いシステムであることがわかった。ただこの理想とは、あくまで消費者にとっての理想だということが重要だ。

良質のモノだけが残り、選択肢が増える。でもそれは、悪質だと判断された生産者は排除されることでもある。

生産者に過度な負担を強いて、弱者を葬ることによって発展する

これも資本主義の特徴なのだ。

iphoneは良い例だけど、新しいモノが発売されれば消費者は手を叩いてそれを享受する。そんな時代がこれからも続いていくとすれば、生産者はさらに上質なモノをつくることを強いられる。作らなければ消えてなくなるのみ。

多くの人はこの社会においてモノやサービスの生産者であり、またその消費者でもある。自分自身の新しいモノや便利な社会を求める欲望は、自分自身の首をも締めていることを自覚するべきではないだろうか。

【未来予想をしよう】

僕が今の社会で抱く問題意識について述べてきた。ここからは、これから社会はどう変わっていくかを予想してみたい。学生生活の集大成として、考えうるすべてのことを検討してみよう。

【出稼ぎ労働者に支えられる日本】

僕が一次産業を学びに行った田舎の多くでは、東南アジア諸国の人々が出稼ぎで働きに来ていた。農家が口を揃えて言うことは、日本人よりも彼らの方が何倍もよく働くということだ。

お金を稼ぐために外国までやって来る労働者に、日本人は意欲で負けているということだろうか。おそらく一次産業の現場を含めた肉体労働は、出稼ぎ労働者のものになるだろう。人口減少と地方の過疎化が進む日本では仕方のないこと。日本人の肉体労働雇用は途上国の人間にとって代わられる。

しかし、それも長くは続かない。

東南アジアが主流になる前は、中国人労働者が出稼ぎに来ていたそうだ。しかし中国の経済発展に伴ってその数は減少している。現在の途上国も、おそらく資本主義社会のなかで発展を遂げていくことだろう。中国だって社会主義市場経済である。これから自分たちの国が「豊か」になるのに、いつまでも日本に働きに来る物好きは多くはないはずだ。

【あらゆるものが機械化される】

出稼ぎ労働者に代わるものは、機械しか思いつかない。人間のいらない労働環境は今の時点ですでに相当に進んでいる。

機械さえ稼働させておけば大量のものが生産できる。人間が生きるために必要な最低限の衣食住は、人間が働かなくても手に入れられる時代が来る。

【ベーシックインカムの時代が来る】

高校生のとき、文化祭でうちわを「売る」お手伝いをしたことがある。うちわを配っている僕たちを見た高校生は、手を差し出して受け取ろうとする。しかしそれが商品だとわかると、驚いた顔をして買わずに立ち去ってゆく。

今の時代、うちわを有料で売ることは非常にむずかしい。

SNSやアプリも普及していて、様々なものを無料で手に入れらる時代になった。ホームページさえ無料で公開できるのだから、今まで必要とされてきた基本的なものがこれから価格を下げていくことは想像にかたくない。

AIや機械が人間の代わりに働き続けているから、最小限のランニングコストでモノやサービスの大量生産が可能になった。だから市場には極めて安価なものや無料のものがたくさん出回っている。

高度経済成長の中で、日本は物価は上がり続けた。何十年か前は、東京のアパートが1,000円で借りられることもあったそうだ。モノの値段は需要が供給を上回っているときに上昇する。モノが足りていなかった当時は、その状態が常に続いていた。結果として物価が今の程度に達したわけだ。

モノで溢れる大量生産・消費社会に至った現代社会では、消費者のニーズを満たすどころか、大量の余り物が捨てられるようになった。いや、大量の余り物があるくらいの生産を消費者が無意識に求めているのだろう。数あるコンビニの中から、品切れしたお店を選ぶ消費者はいないはずだ。

何が言いたいかというと、長期的なスパンで考えたときに、今までのレベルでモノの値段が上昇することはないということだ。

いつか生きるために絶対必要なもの、すなわち生活必需品はすべて無料で配布されるような時代がやってくるだろう。そうなったとき、売買はどこで行われるようになるだろうか。

【付加価値をつけて販売する】

肉体労働の雇用がなくなり、仕事が高度化していく未来、何がお金を生む仕事として残るのか。これからは付加価値のあるモノの生産が重要になる。

生活必需品が安価で手に入れらる「豊かな」時代がこれからますます発展していくということは、今まで存在していた価値のあるものが、当たり前のものに変化していくことを意味する。自分たちの暮らしに価値を感じられなくなった現代人は、新しい価値を見出す作業を始めました。

安価なものが大量に店頭に並んでいる。それらのお店が大量に町に並んでいる。必要なものがいつでも手に入れられる時代。消費者は大量にあるモノの中から欲しいと思うモノを選択する。

このような競争社会で生産者が生き残るためには、当たり前に加えた付加価値がなければいけなくなってしまった。

衣食住にかかわる第一次産業の場合、服はオーガニックコットンやハンドメイド、食は有機農業やアニマルウェルフェア、住は国産材の利用。ほかにもフェアトレード・フードマイレージなど、こだわり方は多様化している。

大企業が安価(もしくは無料)で衣食住を提供する時代、これから小さな個人が商売をしていくためには何かしらの付加価値を考えなくてはならない。

そしてその付加価値は常に変化させなければならない。なぜなら資本主義社会では常に競争にさらされるため、消費者を満足させるためには常に新しい価値を提供し続けなければならないからだ。

【現代社会が行き着く先】

おそらく生活必需品は無料に近い値段で売買されるようになる。だから生活するだけであるならば、お金を稼ぐ必要がなくなる。

しかし、人間という生き物は働くことをやめないだろう。それは今までの歴史が証明している。競争社会の中で新しい価値を求めて、新しい仕事を創っていくことだろう。仕事はますます高度化して、ますます忙しく働き出す。

国家の視点から考えても、働かない人が世の中に増えることはよくない。働く時間が減れば、まずは治安が悪化する。そうならないために、国家はさらなる徴税を始めるかもしれない。税金を支払うために働く社会が来るかもしれない。

働かなくても良い時代のなかで、贅沢をするためにお金を稼ぐ。しかし幸せの基準がグンと上がり、贅沢をしなければ生きていけなくなる。だから人間働き続ける。こういう社会になっていくんじゃないだろうか。

【資本主義以外の選択肢】

資本主義以外の道に進む可能性はどれくらいあるでしょうか?

約50年ほど前の日本は、ロシアの社会主義に憧れを抱く若者たちによる学生運動が盛んに行われていた。

社会主義とは何だろう。

資本主義経済社会では、無駄なものが大量に生産される。そして、弱者は競争社会の中で淘汰される。そうならないように、国家が経済活動を支配する。国家の命令に従って必要な分だけの生産をし、競い合うのではなく平等にお金が配分される社会を作る。

なんて良い社会だろう。

今の社会に必要なものは、社会主義を実現すれば手に入れられる。

【社会主義が失敗した理由】

社会主義の歴史から学べること。

社会主義は、平等な社会を実現するために自由を犠牲にする。

国家によって仕事を割り振られ、金持ちを作らないために労働を制限される。このように、上からの圧力によって無理やり平等を実現しようとすれば、必ずそれに抵抗する勢力が現れる。自由を求める国民に対して、国家はあまりにもひどいことをしてきた。

いかなる権力も、人間の生活を完全にコントロールすることはできない。今のロシアや中国には、革命の火種がくすぶっているようにみえる。

情報社会がここまで発展した現代で、社会主義が成功するとは思えない。

【小さなコミュニティで生きる】

今、僕の周りでは「村づくりがしたい」と夢を語る人たちがいる。僕はこの考え方こそ、これからの新しい時代の生き方だと思う。

【資本主義以前の社会から学ぶ】

資本主義が導入される前の社会では、家族内労働が行われていた。つまり、家族で食べる分の食料を家族内で作って食べるという自給自足生活。

近代社会に入ると、家族内で行われていた生産活動が社会全体で行われるようになった。自給自足ではなく、一人ひとりが特定の仕事に特化していく。このような分業制の社会では、人々はより良い仕事を求めて移動するようになる。職を探して家族や農村を離れた人々が集まって、現在の大都市が出来上がった。

かつての農村社会にはコミュニティの強さがあった。なぜなら社会の規模が小さかったため、お互いがどのような人であるかをよく認識していたからだ。その農村にとって危険だと思う人物がいれば、村全体でそれを監視するシステムも持っていた。村八分もその一例である。

それが、大都市ではどうだろう。

「子どもの面倒は教師と親の仕事だ。自分には関係ない。政治は政治家がやるものなのに、なぜ自分が参加しなければならないのか。治安が悪化しているのは警察のせいだ」

隣人の顔もわからない人たちが住む社会。職を求めて集まった人々の集合体である都市では、自分の仕事さえしっかり行えばいいと考えている。

自分たちが住む社会に対してとても無関心になっていく。自分の社会について考えられない人が大勢いる社会が、良い社会に変わっていくとは考えられない。

【資本主義社会の中で小さく生きる】

「村づくりがしたい」というのはその反動だろう。自分たちが暮らすために必要なモノを自分たちで作れるようになって、現代社会で壊れてしまっているコミュニティを作り直したいと考えている人たちによって、新しいライフスタイルが模索されている。

「村づくり」の考えの本質は、資本主義社会の波に乗らない生き方を求めている点で社会主義ととても似ている。

国という単位によって実現しようとした社会主義に対して、村づくりはより小さなコミュニティによってそれを実現しようとしている。

だから、資本主義社会を変える仕組みとして「村づくり」が台頭することはないだろう。もし台頭するほど大きなものになったら、それは社会主義と変わらない。しかし資本主義社会の中で、このような新しいライフスタイルを選択する人たちは増えていくはずだ。

【ナショナリズムの台頭】

今の世界情勢を見ていてとても怖いと思うのが、ナショナリズムだ。自分の国を最優先に考えて、自国の利益を侵害する「異質の他者」は排除していく。このような考え方が蔓延している。

まず確認しておきたいことは、「異質の他者」など存在しないということ。

メキシコとの国境に壁を作ったところで、イスラム教国からの入国を止めたところで、不法移民やイスラム教徒がアメリカ社会から完全にいなくなることはない。

グローバル化した社会のなかでは、自分と違う文化や価値観をもった人たちと同じ社会で生きていくことは避けられない。もし前述した政策を貫き通せば、虐げられるマイノリティの抵抗が紛争を引き起こすだろう。

今の社会で安全な社会を作るには、それぞれの違う文化や歴史をもつ人たちの間の勢力を均衡した状態で保つ意外に方法はない。

だから、国際情勢が常に緊張状態にあることは仕方のないこと。いわば当たり前だ。その緊張状態をどのようにして維持するか。いかにして本格的な武力衝突を防ぐか。それを考えた政治を僕は望む。

【少数派の保護】

なぜナショナリズムの話をするかといえば、それがこれまで築き上げた社会を壊し、ふりだしに戻してしまう危険があるからだ。

いつの時代も、少数者の権利が虐げられてきました。

すべての人が平等に暮らす社会主義を失敗したけれど、資本主義社会、ひいては民主主義社会の中では常に弱者を救う方法が考えられてきた。

女性・黒人・ユダヤ人・部落・LGBTなど、マイノリティの権利が侵される事件が起こるたびに社会問題となり、それを保護する政策が国によって実施された。自由な社会の中でも少しずつ平等に近づいている。

ナショナリズムは、「自分と同じ仲間」と自分と異なる他者を区別することによって成立する。自分たちを優先する代わりに、それ以外の人を優先しない。この考え方は、少しずつ平等に近づいてきた社会を止めるということ。

繰り返しになるが、グローバル社会の中では他人を完全に排除することはできない。対立が生じて、再び少数者の権利侵害が行われることになる。

【世界大戦が起きるかもしれない】

僕がこの記事で考えてきた将来の社会像は、「戦争が起きなければ」という前提の上で話している。もし戦争ということになれば、僕たちはまた同じ歴史を繰り返すだろう。そんな面倒なことにはなってほしくないものだ。

【まとめ】

僕たちは、これからどのような社会になるのかがとてもわかりにくい時代を生きている。自分が今していることは、本当に社会に必要なことなのだろうか。そんなことを考えながら、または漠然と感じながら働く人は多いのではないだろうか。

価値があるかどうかを判断するためには、どのような社会を目指しているかというゴールがあり、そのために必要なことかどうかを考える必要がある。

さて、この未来予想はどれくらい的中するだろう。将来について考え続けた学生時代はもうすぐ終わる。

いまを淡々と生きながら、世の中の移り変わりを眺めていこう。

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↑幕末志士たちの想像した未来も考えてみる。

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