人間関係の用法用量を守りましょう。
2018.5.17 22歳
人間関係とはその名の通り、人と人の関係のこと。この関係の基盤にあるのは、お互いがお互いを必要としている状態だ。自分が相手に求めること、そして相手が自分に求めること。
「会話」という行為からみた人間関係について、少し考えてみる。
【人と話すのが苦手な人】
誤解を恐れずにいうと、僕は面と向かって人と話すのが苦手だ。学生生活で小手先のコミュ力はある程度養ったけれど、人と話す上でのプレッシャーは今でも強く感じている。
いまこのタイミングで、相手はどんな言動を自分に期待しているのか。そのことを考えながら、話す言葉を一つずつ選んでいく。対立をつくるのは嫌だから、余計なことを言わない。
一方的に話すだけのブログより、双方向のやりとりがある会話の方がよっぽど難しいと感じる。
【考えながら話して疲れる】
ブログをひとつ書きあげるのに、僕は果てしなく長い時間をかけている。書き終えると非常にお腹が空く。
これに関しては話すときも一緒。頭のなかにある考えを整理してから人に伝える。僕みたいな喋り方をしていると、会話に使うエネルギーが他の人の比じゃない。
たとえば初対面の人たちと会話をすることがあれば。仮に幸先良くスタートしたとしても、時間が経つにつれて頭がホワンとしてくる。言葉を捻り出すのに疲れて脳みそが働かなくなり、話す気力がなくなっていく。
相手が何を望んでいるかを意識しながら、かつ自分の頭のなかを整理して……。人と話すという点において、僕はとても燃費の悪い人間のようだ。
【人間関係からは逃れられない】
食べ物を集めることや子育てにおいても、人間は他者と協力して行う生き物だ。他者と話さないということは、食べない・寝ないことと同じ。本能的に欲するから、それを身体に与えてあげる必要がある。
どんなに一人でいることが好きな人間であろうと、一定の人間関係を求める。つまり「人と関わる」ことを前提に、どのように関わるかということを考えなければならない。
【他人に興味をもつこと】
会話の得手不得手は関係なく、僕にとって人と関わる時間はとても大切た。というのも、この人はどんなことを考えているのだろう、ということには興味がある。18歳の時に書いた懐かしい投稿を引用する。
日々すれ違う人、人、人。
そのすべての人に人生がある。
だから、僕は人と話す。相手のことを深く知りたいと思う好奇心こそ、僕の対人関係の基盤かもしれません。
【人間関係の用法・用量】
しかし、僕は会話をすることに費やすエネルギーが大きい。人と話す時間を自分のキャパに合わせてコントロールしないと、会話によって「消耗」することだってある。
食べ過ぎや寝すぎが身体に悪いのと一緒。どんなものであれ、過度な摂取は身体に良くない。必要な量は人によって違って、たぶん僕は人よりもそれが少ない。僕の場合、このことを踏まえた上で「どのように人と関わるか」を考えなくてはいけない。
【人間関係を管理する】
東京で学生生活を送っていた頃は、なんとなくで予定が埋まっていった。人と会う機会が求めなくても流れてくるから、意識して飲み会を断らなければ永遠に約束事が続く。
人間関係のフードファイター。常に人間関係にさらされた結果、とても消耗してしまうことがあった。
いま、漁村で生活していて感じること。それは、人と会う機会ができるまでに必ず意思が介在しているということ。今日はこの人の家でご飯を食べる。話してみたい人がいるから、その人に会いに行く。
自分から主体的に動くことによって、人間関係をコントロールしている。
そもそもこの漁村にいること自体が、僕自身の選択。ここで暮らし、学びを得たいという僕の意思によって生活が成り立っている。
【まとめ】
人間関係で自分を疲れさせないために僕が工夫していること。それは、腹八分目をわきまえ、自分から暮らす環境を選択すること。
たくさん寝る人と寝れない人がる。たくさん食べる人と少食の人がいる。
そういうことと同じように、たくさん話せる人と話せない人がいる。
自分の限度を受け入れる。自分がコントロールできる範囲で、人間関係を自分からつくる。僕は僕にとって、持続可能な人間関係をつくる。
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