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教育は先生。治安は警察。政治は政治家。他人に任せる社会は嫌いだ。

2017.08.06 21歳

今回はコミュニティという言葉がテーマである。日本語で言い換えると、共同体という意味だ。僕は将来田舎に住むことを目標にしているのだけれど、これには一次産業の生産現場で働くこととはまた別の理由がある。

それはかつての農村社会がもっていたシステムや慣習こそ、現代社会が抱える社会の脆さを解決する手段であると考えているからである。

【隣人を知らない社会が警察を生んだ】

法学部には法社会学という分野がある。なぜ警察が誕生したかという歴史については、治安の法社会学が教えてくれる。

警察の歴史は浅く、誕生したのは19世紀になってからだ。それまでは戦争が当面の課題で、国内の治安は後回しだった。警察の必要性が増大した理由はは、大都市が発生したことにある。

農業社会・前期近代工業社会においては、家族内で自分たちの生活を賄うための仕事をしていた。それが後期近代工業社会に入り、社会全体で生産活動を行うようになったため、より良い仕事を求めて人々が移動するようになる。この移動によって大都市が誕生した。

濃い人間関係のもとで成立していた社会から、知らない人々が身近に住む社会へ変容していく。犯罪者「かもしれない」人と同じ社会で生活するようになったことで、治安を統制するプロフェッショナル、つまり警察が必要とされるようになった。

【農山漁村は社会を自分たちで管理した】

村八分という言葉がある。これは葬式の世話と火事の消化活動という、放っておくと迷惑を被る二分のこと以外は関係を断つことを意味している。残りの八分は、成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行である。

つまり、かつては自分たちで治安を統制することのできる社会があった。現在でも田舎に行くと、この文化を感じることがある。

この話は治安だけにとどまらない。三重県の漁村に滞在中、漁師から聞いた話がある。彼いわく、子どもの頃はお金を払わなくても商店で買い物ができたという。というのも、持っていく品物をお店の人にみせていくことで、店主は親が買い物に来た時にその代金を支払ってもらっていたというのだ。

つまり、かつては子どもの世話も地域全体で行っていた。今や同じマンションに住む大人が子どもに挨拶をして、変質者と疑われて訴えられる時代だ。

【他人に任せる社会】

分業制をベースにした社会の発展によって、「人まかせ」が顕著になっている。自分の仕事はやるけれど、それ以外は自分の仕事ではないからやらなくていい。この考えが、当事者意識を失わせてはいないだろうか。

選挙の投票率の低下も同じことがいえる。

政治は政治家がやるもので、自分の仕事じゃない。だから、興味をもつ必要がない。結果として投票率は減少していく。

政治は政治家、治安は警察、子育ては教師がやる。自分の仕事だけやればいいという考えが、自分の住む地域への関心を薄めている。住民の当事者意識が低いと、社会としての強さが失われていく。


犯罪を取り締まるために必要なのは法律じゃない。地域の人間関係こそ、地域を守るために大切なこと。


僕が田舎に住みたい理由は、人とのつながりを大切にして生きたいからだ。もちろん実際に田舎に足を運んでみると、その人間関係の濃さが面倒に感じることもあるのだけれど……笑。

自分が住んでいる地域のコミュニティを大切にして生きていくことは、まわりまわって自分自身のためなのだ。


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