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自分史ー生きるとは何かを知るためにー

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ー生きるとは何かー 自分の人生を通してその答えを知るため、生涯をかけて自分史を綴る。 プライベートな内容のため有料ですが、決して有益ではありません。生まれ育った環境やこれまで経験…
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2020年5月の記事一覧

僕は高校生まで、世間体を気にして生きてきた。(自分史#4)

なぜあなたはあなたで、僕は僕なのだろう。自分がなぜこのような人格で、いまの人生を選択しているのか。突き詰めて考えていくと、必ず子ども時代の体験に遡るはずだ。今回は、自分自身の生まれ育った環境、すなわち原体験について雑多に考えてみようと思う。 原体験とは、記憶の底にいつまでも残り、その人がなんらかのカタチでこだわり続けることになる幼少期の体験だ。家庭や学校などの環境が大きく影響し、自分自身では選択できない。だから原体験とは後天的ではあるものの、その人の人格を無意識に決定づける

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ライターとしての土壌と、リーダーを経て培った処世術。(自分史#5)

僕は高校時代までかなり人付き合いが苦手で、内向的な人生を歩んできた。当たり障りのない人間関係を保つのは得意だけど、心の底から打ち解けて話し合える関係性を築くのにものすごく時間がかかった。 そんな人間が入学したのは、日本の中でも学生数がトップクラスの早稲田大学。1学年10,000人、何故か全校生徒は50,000人(察してください)。 1000以上のサークルがあって、4月は新入生の取り合い合戦が繰り広げられる。ぼくたち新入生はまるで有名人になったかのようにチヤホヤされて、勧誘

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50年前の歴史を知るために、取材を繰り返したジャーナリズムの経験。(自分史#6)

僕には忘れられない成功体験がある。それは僕が大学生活の大半をかけて挑んだプロジェクトであり、一人では到底達成できない大きなことを周りの人と協力して成し遂げた初めての体験だった。

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大学時代、文章を書く仕事に就くために努力したことと、諦めた理由。(自分史#7)

僕が大学で専攻した学問は法律だった。 法学部の授業は六法(憲法・民法・刑法・商法・刑事訴訟法・民事訴訟法)を基本として、そこからさらに専門的な法律を選択していく。 法律を勉強したい人の多くは、民法や刑法などの生活に身近な法律を好む。しかし僕の場合は、憲法が最も面白かった。抽象的・哲学的で実生活とあまり関わりをもたないゆえ、人気のない憲法。だけど僕には合っていた。

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自分の当たり前をリセットして、すべてを受け入れる覚悟をもつインド旅。(自分史#9)

インド旅第2弾。前回の続きからお話しよう。

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インド人の家に招待される。暮らしに触れて感じた貧富の差。(自分史#10)

前回の記事は、インドのジャイプル滞在。 デリー旅行会社に捕まり、わけもわからずタクシーのおっちゃんに連れ回され、インド旅の心得を教わった。ここからいよいよひとり旅が始まる。

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「ありがとう」を言わない社会を旅して考えたこと。(自分史#11)

前回の記事の続きから始める。

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ガンジス川で沐浴する。死体が燃える風景を眺めた日々。(自分史#12)

前回の記事の続きである。インド旅の記録も終盤になってきた。 平和な滞在アーグラーは観光地として言えば、インド旅のハイライトとなるもの。19歳の自分にとって、今まで見たどの世界遺産よりも感動した。 人間のお墓のためにこれほどのものを作ってしまうのか、と。しかしインド旅を振り返ると、思い出の大半は「目的地」以外のところだ。アーグラーよりも、アーグラーに到着するまでの列車のことをよく覚えている。 「観光旅行でない海外体験」の意味。 きっとそれは日本で生まれ育ち築いてきた「当

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インドが僕に教えてくれたこと。(自分史#13)

前回の記事の続きである。 新たな経験と刺激を求めてインドに来た19歳。 自分史でインドの記録にここまでページを割いた理由は、それほど自分にとって大切な時間だったからだ。この旅はたった15日間だったけれど、ぼくの人生観を根底から変えてしまった。 この記事はそんなインド旅の、最終章である。

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色々な場所を訪れて、自分の世界を広げると決めた京都旅。(自分史#14)

インドから帰った後、ぼくは旅というものにひどく惹かれてしまった。 もちろん根底には(未知の体験をして自分を広げたいという)経験欲があったけれど、純粋に旅がしたいという気持ちが強くなっていた。 出発時点ではどんな旅になるかの検討もつかないのに、旅先で出会う人や風景に身を任せながら行き先を選択していくことによって、自分だけの旅が完成する。 再現性のない一人旅。それを求めるようになった。 ーーーーー インドに行ってから3ヶ月後、ぼくは京都へ一人旅に行った。寺社仏閣をめぐる

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僕は陸路で国境を超える旅に憧れていた東南アジア旅行記。(自分史#15)

20歳の誕生日を迎えた直後、ぼくは東南アジアへ向かった。 初めての海外1人旅でインドに行った後、ぼくはできる限りの時間を使って海外を旅しようと思っていた。とくに京都で宿泊した宿のオーナーから、世界50カ国を巡った話は忘れられなかった。 東南アジアの旅は30日間で、最大の目標は陸路で国境を越えることだった。 日本という島国で育ったぼくは、地続きで国が繋がっているということを実感として理解することができなかったからだ。 日本で予約したのは、日本からタイ(バンコク)への飛行

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何をしても自由な旅で、自分で解決する能力を養う。(自分史#16)

2度目の海外一人旅、東南アジア旅行記の続きである。 タイのバンコクから出発し、ラオスへ到着。首都ビエンチャンを後にしてから、サイニャブリという田舎町でゾウ祭りを見学する。ぼくはその後、ルアンパバーンというラオスで1番の観光都市へと向かった。

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異国の旅先で出会う日本人から、生き方を教えてもらった話。(自分史#17)

前回の記事に続きである。 前記事ではトラブルを抜粋して紹介したものの、これはごく一部の話。東南アジア旅は30日間で、そのほとんどは順風満帆だった。 最後の章では、海外で出会った日本人の話をしよう。旅の醍醐味はふだん出会わない人々と出会い、様々な生き方を教えてもらうことである。

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僕が"田舎暮らし"と出会ったきっかけと、初めての農業体験。(自分史#18)

僕は"田舎暮らし"を人生の目標にしている。具体的に言えば「自然に寄り添いながら、四季折々の恵みを直接いただく自給的な暮らし」で、畑や田んぼを営むことを強調したい場合、"農的な暮らし"と表現することもできる。今回は僕が田舎暮らしと初めて出会った体験をお話する。

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