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美術館の作品解説パネルは子ども向けの方が良い

美術展覧会に行ったときにいつも思う。作品解説パネルってどうしてあんなに読みづらいのだろう。

自分は美術が好きだ。だから美術館の展覧会にも結構な数、行っている。

まだ若かりし頃は「作品は自分で感じるものがすべて。解説なんかしゃらくさい!」と、イキって作品解説は読まないという鑑賞スタイルだったが、そのうちいつの頃からか、作品を味わうための最低限の情報は必要じゃないかと思いはじめた。

作者がいつ頃制作したのかをみて作調の変遷を読み解いてみる、何を使って制作したのかマチエールを確認する。と、より作品を考察するために解説パネルで情報をチェックするようになった。
さらに、作品を深く知るためにはその背景も知らないといけない。と、やがて解説文もそれなりにきちんと読むようになった。

そんなわけで、解説パネルは作品鑑賞に不要なものではなかったなあ。と、今では思っている。

そしてだからそこ、解説パネルに対して気になる点が出てきてしまった。

端的に言って作品解説パネルってものすごく読みづらい。というか、読むのがつらい。

いくつか例を挙げるとこんな点が引っかかる。

・文字が小さい
・文章を改行しない
・適切な行間が取れていない
・一文が長すぎる

歳をとって小さい文字を読むのがキツくなっているという超個人的事情もあるのだろうけれど、引っかかる点は文字サイズだけではない。むしろレイアウトの問題なのだ。
いや本当、どうしてあんな可読性をオミットするレイアウトにしてるのかなあ。

美術館側も作品解説パネルを作るにあたって色々と悩みながら作っているらしい。
例えば、パネルを大きく作りすぎて作品そのものの鑑賞の邪魔になってはいけないとか。
一方で、間違いのない情報を省略せずに伝えなければならない、そして伝えたいため、情報量は増えてしまうとか。
まあ、その気持ちはわかる。わかるだけにモヤモヤする。

読むのがキツいなら、音声ガイドを借りればいいのでは? いや音声ガイドはダメだ。あれは展示会場における諸悪の根源だと思ってるのよ。

音声ガイドって主催者側にとってコスパのいい装置で、最近はかなりの企画展で導入しているけれど、鑑賞者側(というか自分だな)からすると解説している作品の前に滞留が生じてしまって鑑賞ペースが乱れるし、そのくせ全作品の解説をするわけでもないし。正直邪魔(愛用されているかたには誠に申し訳ない)。
本当になんとかならんものか。

少々脱線した。とにかく解説文のレイアウトが課題なのだ。
気持ちがささくれているときなど、パネルをわざと読みにくくして音声ガイドを借りるように仕向けるナッジを仕掛けられているんじゃ無いのか。と疑心暗鬼になったりもする。ああ、こんな考え方、よくない、よくないよ。

さて、ここまで書いてきたのは、よかれと思って作られた解説パネルと自分の相性が悪いという話であった。

がしかし、この前行ったとある展覧会で出会った解説パネルは、別の要因でモヤモヤさせられてしまった。

ただでさえ長文でレイアウトもアレだったのだけれど、ここでの問題点は記載されている文章の内容であった。
「右上に描かれた太陽の光が草原に降り注いでいます」とか、絵を見れば誰でもわかる自明のことを書いている。かと思えば、完全に個人的な主観での感想になっている。印象操作されているようでどうもなあ。

自分としては、作品が描かれた場所の状況や当時の社会の様相、美術史上での位置付けとか、そういう作品を観るだけでは知り得ない情報が欲しいのだけど。うーん、まあいいんですけれどね。
その解説文と自分の馬が合わないだけのことなのかしらん。

そんなわけで、そのときはもう面倒くさくなって後半の展示は解説文は読みませんでした。絵を観るのに集中するだけで十分だったよ。

さて。実のところ、ここまでぼやいてきたことに対する答えはすでに見つかっているのだった。
自分にとって理想の解説パネルは本投稿のタイトルに帰着する。

子ども向けの解説パネルは必要最小限の見どころや視点を短い文章で提示してくれているじゃないですか。しかも読みやすくなるようワンポイントイラストなどの視覚的補助もあったりして。

そう、こういうのでいいんだよ、と自分は思うのだ。

より詳しい情報は図録やネットで確認できる。
作品に向き合うその瞬間は、シンプルで読みやすい子ども向けの解説パネルが一番だ。

24年3月30日 初出

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