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【鑑賞日記】私たちのエコロジー展を観に行った

私たちのエコロジー:地球という惑星を生きるために @森美術館

20周年記念展ということでいつもとは違うのかなと思ったのですが、いつもどおりの森美、いつもどおりの現代アートでした。ここ最近、現代をあまり観てなかったせいもあり、すごく現代アート充した感はありました。

ただ、いつも以上に映像作品が多くて捉えどころがちょっとね、という気持ちもあったりして、今回の企画意図は納得しつつ若干引き気味になってしまったかも。
もともと映像作品って苦手だからなあ。拘束性が強いじゃん? 30分とか1時間とか平気で拘束してくるじゃん? やっぱ延々観続けるのはつらいのですよ(もちろんモノによりけりですが)。
映像作品にそう感じるのって自分だけなのかしら。

いくつか興味深かった作品について。

ナイトコロニー(アピチャッポン・ウィーラセタクン)
白いシーツの上で展開される虫たちの生態。単に虫としか見えなかったものが見続けているうちに、ソレが”虫”ではなく個々に名前があり名もなき虫ではないのだ、と思い至る。
それは生物としての実存であり生存のための社会構造につながっている。彼らの世界である。
そして場所の共有はしつつ、世界としてはつながってはいない人の世界があり、さらにスコールを感じさせる音からより大きな地球環境という世界があることも想起される。
世界はいくつもの生態系が、場所としては共有しつつ異なる複数のレイヤーとして存在する。
その気づきが実に面白かった作品でした。

恨み言(モニラ・アルカディリ)
養殖真珠に関する貝の恨み言を聞かされるという作品。作品案内的にはあまり世界に対して好意的ではないぼやきとして解説されていたのですが、これって演出次第ではものすごいコメディにもなるな、と。
貝真珠は人間が知らない世界でこんなことを思っていたのか、という距離感は笑いにすることもできる。そういうコントもよくあるし。
なので説明の仕方如何で作品自体の印象も変えることもできるんだなあ。ドラマなどでBGMが変わるだけで印象が変わるように。印象操作がアートにおいても簡単にできてしまうという点に面白味と怖さを感じました。

てな感じで、なんやかんやで2時間じっくり館内をうろついてしまいました。なんだ結局全力で楽しんじゃってたんだな、自分。

「G式過剰Petit」は「G式過剰neo」の姉妹版。文量やネタが"プチ"な感じでお送りします。

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