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【鑑賞日記】第8回横浜トリエンナーレを観に行った(2周目)

第8回横浜トリエンナーレ「野草:今、ここで生きてる」@横浜美術館

※1周目の感想はこちらです。


第8回横浜トリエンナーレ、2回目の鑑賞。

今回は、1回目で見落としたり駆け足気味だったりした作品をあらためてじっくり観るだけではなく、あえて作品の解説などは読まず、ただひたすらに作品を観ることで、どのような理解が得られるか。という鑑賞スタイルをとってみました。

まあ厳密にその自分ルールを課すのではなく、なるべくそうしてみようか程度のしばりではあったのですが。

やってみた実感としては、説明なく作品の意図を汲み取るのは、やはり難しい。

現代アート、特にヨコトリの作品は直感的に楽しさ面白さを感じさせる作品は多くなく、制作コンセプトや素材などの作品そのもの以外の情報を知らないと読み解きにくい作品のほうが多い傾向がありまする。

作品の鑑賞においては感じたことがすべて。自分はこう感じた。というだけでいいのだとは思っています。とはいうものの、作家の意図をまったく理解できていないのかも、という気分はなんかモヤモヤしますし、作者の意図を知ることで開かれるあらたな視点というものもあると思うのですよね。

作品自体、言葉を用いて構築されたものもあったりして、完全に説明的な情報と切り離した作品鑑賞に拘泥することはそもそも無理だったりもします。

今回このような作品のみかたを行ってみて思ったのは、作品を読み解くうえでのわかりやすさという観点からの作品のタイプとはどういうものか。ということでした。

わかりやすさの順番に具体例をあげてみます。

  1. 言葉で構成された作品

  2. ストーリーを持った映像作品

  3. 具象的な作品

  4. 抽象的な作品

  5. 抽象的な映像作品

すごくざっくり書くとこんな感じ。
もちろんこれはわかりやすさという基準での順番で、わかりやすいことがよいとは思ってはいません。
アーティストの制作意図によらずとも多様な解釈ができる作品は、こういうみかたができるのかという自己の作品を読み取るリテラシーの拡大につながることもあるわけです。

とはいうもののヨコトリに関していえば、解説文であったりガイドペーパーであったりのサポートがあったほうが楽しめるかなあ、と思った次第です。

ところで、横浜美術館前の前庭的な空間。開催当初は単なる春頃の芝生の様相だったのですが、今回見てみると野の花が咲く草ボーボーな状態でした。2か月あれば、そら成長もしますよね。というよりもこの空間、やっぱりコンセプトアートだったのか。これ、10数年前にドクメンタで見たヤツ

もうひとつ、1回目の鑑賞のときにすごく気にかかったグシェコフスカの作品ですが、その既視感の理由がわかりました。ポピーザぱフォーマーのケダモノだった!

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