北伊豆古道を歩く〜函南ー日金山編〜
2022年10月20日。雲ひとつない快晴。風もなく、空気も澄んで、季節も丁度良く、山歩きには絶好のコンディションだ。
前回までの道はこちら↓
函南町平井
8時 伊豆峯次第の255番目のチェックポイント・法伝寺からスタート。本日はいよいよ伊豆修験の総本山、日金山への古道を踏査する。
法伝寺の本尊は延命地蔵菩薩。日金山・東光寺と同じ本尊である。日金山にお参りするときは、必ずこの地蔵堂にお参りし、延命と極楽往生を祈ったという。
祈りこそたましいの呼吸、内なる声に心と思いを傾けることができるように。永遠を理解し、永遠の視野を持つ者になりたい。
ここ鬢の沢(びんのさわ)地区には公共の交通機関がない。以前はバスが走っていたので、バス停はあるのだけど現在はスクールバス専用だ。日金信仰と密接な集落であり伊豆修験道の重要な場所なのに、歩きはじめるスタートラインとしては、ちとハードルが高い。
鬢の沢の地名の由来は、源頼朝が馬を駆っているとき、鬢がほつれ、沢の水で鬢を整えたからと伝えられている。「鎌倉殿の13人」からもわかるように、北伊豆には源頼朝の伝承が数多く残っている。
次の集落までは県道11号線。熱海〜函南を繋ぐ通称・熱函道路を2.5km歩く。
今朝、日金山の古道踏査することを畠堀操八さんに電話で一報入れた。畠堀操八さんは富士山村山古道の復活に尽力された方であり、現在は図書館に通い詰めて富士山データベースを編纂されている。
伊豆古道の踏査をはじめる際、伊豆半島一周する修験道の古文書「伊豆峯次第」と伊豆半島の古地図「大日本帝国測量図」。それと、古道踏査のノウハウを授けてくださった、言うなれば古道の師匠だ。熱函道路の南側にあったという古道の存在について話してくれた。
ただいま高度は300m、はじめに緩やかな登り坂を歩いてしまえば、軽井沢の集落までは平坦な道が続く。歩きやすい道だけど、車の往来が多い熱函道路。歩道はないので、車には十分気をつけた方が良い。
函南町軽井沢
軽井沢の地名の由来は、源頼朝が伊豆山を参拝する際、水を求められた土地の人が沢の水を汲んで献上し「あな軽き水かな」と呼ばれたことから「軽澤」と名付けられ、後に「井」の字を加えられた。
軽井沢公民館の前に正岡子規の句碑がある。明治25年10月15日の夕暮、韮山から熱海に向かった正岡子規はこの地に宿を求め、素朴な内にも心暖まるもてなしを受けこの句を詠んだという。
函南町には、伊豆地方では珍しい男女一対の双体道祖神が5基残っている。夫婦が仲よければ子供が生まれ、村の繁栄につながる。そんな集落の祈りが込められている夫婦仲睦まじい姿だ。
日本最古の書物「古事記」において、天孫降臨の道案内をした猿田彦命(サルタヒコノミコト)は、道の神、旅人の神なんて呼ばれているので、もう一体は猿田彦の妻・天鈿女命(アメノウズメノミコト)なのだろうか。
路傍に咲き乱れていたキバナコスモスを献花した。
きくや商店に立ち寄る。今日は塩とお茶しか携行してなかったので、甘いものを欲しいと思っていたのだ。
買い物ついでに道について訪ねると、生まれも育ちもここ函南町軽井沢だという商店の姐さんは気さくにお話をしてくれた。
え、この道?(想定していた入り口と違った)
ありがとうございます。行けるところまで登ってみようかな。
駒形堂の横に出る道ですね。
日金山への登山道はわかりますか?
向こう(湯河原)からもね。今もハイキングコースとしてありますよ。
そう。でも、歩かないと見えないこと、出会えないこといっぱいある。ここも車でピュンと過ぎたら、お話しできなかったし。ありがとうございます。
日金道
左図が熱函道路、右図が日金道。序盤の道は事前調査で目星はついているが、後半はまだ未知。道を見失ったら、沢沿いを歩くようにしよう。
車道から逸れて右に登っていくのが日金道。
しばらく道なり。120mくらい歩いたら左折して龍泉寺境内へ。
伊豆峯次第の256番目のチェックポイント・駒形堂に到着。
駒形堂には、貴重な民俗資料とされる駒形像が納められている。駒とは馬のこと。烏帽子単衣の人物を乗せた馬が彫き彫りされている。
制作年代は不明、町内の石像仏と比べると素朴な印象だ。源頼朝や平将門にまつわる伝説も多い民俗資料と言われている。
約800m熱函道路を歩くと、右に入っていく道が現れる。日金道だ。
4体の道祖神が道を案内してくれる。
しばらく舗装された沢沿いの道を歩く。
まるで自分の目に膜が張ったかのように靄がかかっている。木漏れ日が反射して幻をみせてくれそう。
沢の音を聞きながら、急峻な道が続く。いつの間にか道が消えてしまうと、獣の踏み跡を頼りに歩いたり。道を見失ったかと思えば、振り返ると道があったり。まるで人生のよう。
自然の内にいると、畏怖と恩恵を知り、人は生かされていることに気づく。都会のような物質に囲まれた世界にいると己で生きているつもりになり、ついつい忘れてしまう感覚だ。
沢を渡す丸太の橋がかけてある。今は人が歩いていないと聞いていたが、他の古道と比べても整備の手が入っている印象だ。
それでも何度も道が消えてしまう。とにかく道を見失いそうになると沢沿いから離れないように歩く。するといつの間にか、はっきりと分かる古道に戻っていたりする。
日金道は伊豆修験の古道として、人に紹介したくなる良いコースだ。まずは体験によって知ることが出来たので、次回は道や歴史をよく知った人たちと歩いて味わいを深めていきたい。
熱函道路に合流する頃にも道を見失ってしまったが、なんとか通り抜けることができた。熱海峠に到着し、県道20号線から伊豆スカイラインへ。
県道20号線から伊豆スカイライン熱海峠料金所方面へ150m歩く。料金所手前にある日金山霊園入口の石碑が見えたら左折する。
アスファルトの登り道が続く。途中、立入禁止と表示された開拓したくなる枝道があるけど今回は深追いせず。
熱海日金山霊園に到着。園内はご厚意により行楽での立入許可されているので、くれぐれもお墓参りに来られている方へ迷惑のないように。そのまま直進して下っていくのが伊豆峯次第の古道だ。
東光寺
「日金山には鬼がいる」といわれ、昔から伊豆地方で亡くなった死者の霊は日金山に集まるという伝承がある。
春秋の彼岸に日金山に登ると「会いたい人の後ろ姿を見ることができる」という言い伝えは、まさに山上他界を表した神仏習合の伊豆修験と言えるのではないだろうか。
また、日金山の名前にはこんな伝説がある。応神天皇二年(271)伊豆山の浜辺に、光る不思議な円鏡が現れた。円鏡は波間を飛び交ってたいたが、やがて西の峰に飛んでいった。まるで未確認飛行物体の話のように聞こえるのは気のせい?
その様子は日輪のようで、峰は火を噴き上げるようにみえたので、「火(日)が峰」と呼ばれ、やがて「日金山」と呼ぶようになったという。
神仏習合の時代、火の神様とされる火牟須比命(ホムスビノミコト)を祀った日金山。富士・伊豆・箱根の火山地帯にあるからといって「峰は火を噴き上げる」つまり、噴火したという事実はないし、大涌谷のような硫気孔活動が見られるわけではない。
ここで想起するべきは十国峠の名の通り、絶好の眺望からの国見山であることだ。火を噴く伊豆諸島の島々を斎き祀り、噴火に連動する地震、天変地異を鎮める側面があったのだろうと考える。
東光寺の境内に入ると、やはり日金山は死者の霊が集まる霊山であることに気づく。本堂の手前左には裁きを行う閻魔王が待ち受けている。
本堂を守るように向かい合う右手には、三途の川の渡し賃を持たない亡者の衣服を剥ぎ取る役目の奪衣婆が待ち受けている。いつ来ても閻魔王と奪衣婆の間を通るのは緊張してしまう。
伊豆峯次第の259番目のチェックポイント・日金山東光寺に到着。
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、東光寺に厚い信仰を寄せていた。本尊として祀られている「延命地蔵菩薩像」は、頼朝公が建立したと伝えられている。
地蔵菩薩は、自らを地獄に身を置いて、地獄で苦しむ者を救ってくれる仏なのだという。地獄・極楽絵図が残されている函南平井の法伝寺も同じ本尊だ。
佛足ふみ。足腰の健康の祈願というのも伊豆修験の道に相応しい。
十国峠
再び、熱海日金山霊園方面へ戻り、まるで天国へ続くような尾根沿いを歩き十国峠の展望台を目指す。
グランピング施設だろうか。今年はしばらく工事が続いている。ここを通り抜けると、芝生の原っぱが広がる草原に出る。
十国峠展望台と富士山が見えてきた。
上空から見ると眼のように見えるサークルガーデン。個人的には飛来した円鏡と共に気になってしまう伊豆のミステリースポットである。
十国峠山頂に到着。2022年8月11日に大幅リニューアルされたPANORAMA TERRACE 1059は、360°の絶景パノラマが楽しめるスペースやカフェを展開している。
十国峠の名は、伊豆、駿河、遠江、甲斐、信濃、相模、武蔵、上総、下総、安房の「十の国」が見渡せたことに由来する。
その名の通り、晴れの日の山頂からは富士山や南アルプス、駿河湾はもとより房総半島や三浦半島、さらには東京スカイツリーまで望める絶景スポットだ。
富士山はいくつもの表情を見せてくれる。勇壮だったり、華麗だったり、淡いブルーだったり、薄紅色だったり。そして季節は立冬を迎え、雪化粧していく。
いよいよ次回は、日金山から伊豆山神社へ下るルート。伊豆半島一周の修験道の踏査完了となる。