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嵯峨野の月#126 光明

第6章 嵯峨野13

光明

虚空こくうつき、衆生盡しゅじょうつき、涅槃盡ねはんつきなば、我が願いもきなん。

宇宙が尽きるまで、悟りを求めるものが尽きるまで、生きとし生ける者が全て輪廻転生から解脱するまで私の願いは尽きることが無い。

空が暗くなり始めると天野の里の人たちによってぽっ、ぽっと灯明が点されその夜、高野山の頂には数多の光が集った。


天長九年八月二十二日(832年4月26日)

空海は高野山で初めての万燈万華会まんどうまんげえを行った。

万燈会とは衆生の懺悔・滅罪のために仏・菩薩に一万の燈明を供養する法会であり過去には東大寺や薬師寺でも行われた盛大な催しである。

参詣道から頂の寺周辺を照らす一万基の灯明と、芳香を発する一万の献花。

そして小さな仏たちが集った金剛界、胎蔵界の両部曼荼羅の前で天竺の言葉そのままの声で唱和される真言の中、都の使者から山の麓に住む庶民まで身分関係なく参詣した人たちは、

仏たちの住まう一切の苦がない理想郷である仏国土とはこのようなところかもしれない…

とこの時ばかりは日常を忘れて羽化登仙の境に浸った。

休憩のために廊下に出た空海は脇息にもたれてそこから見える燈明の列と、夜の山を照らす夥しい明かりに子供のようにはしゃぐ参詣客の笑顔を眺めながら、

本当は遅々として建築が進まず、自分が生きている内は見ることが出来ないであろう金剛峰寺こんごうぶじの完成を祈願するために開いた万燈会なのであるが、このように多くの人々が喜んでくれているのなら、開催しただけでも甲斐があるというもの…

と物思いに耽っていたところで

「お前は自分の力で出来ることは全てやりきったじゃないか。人事を尽くして天命を待つ。故国でのことわざぞ」

とはっきりした明るい声が自分のすぐ左側から聞こえたので

「では貴方は唐のお方なのですか?」

と振り向くとそこには上着から袴に至るまで真っ白な唐装を身に纏い、長い髪を垂らした年の頃二十代くらいの涼しい目元をした若者が笑顔でこちらを見ている。

「さては李誦りしょうさまですな」
「当たりだ」

順宗上皇帝の御霊みたまはうふふ、と悪戯っぽく笑って廊下の手すりに腰かけながら上体をひねって燈明の一基一基を見つめ、

「故国の宮中でもこのような催し事は度々あったが、一人一人の祈りをこうやって形にした光景は美しいな…我、日ノ本に興味を持ち魂となりてお前に付いていき、二十五年翡翠の数珠に入って常にお前の傍に居たが、今宵やっと解った。

この国は人々の清らかな祈りで成り立っていたのだな。

やっぱり羨ましいよ」

「こうしてわしに初めてお姿を見せたということは、もうお別れなのですね」

如何にも、と唐王朝十三代皇帝順宗こと李誦は白絹の衣の袖をひらり、と翻して立ち上がり、

「実に面白き人生だったぞ、遍照金剛空海阿闍梨こと佐伯の真魚よ、さらばだ!」

と言うとはははははは!と快活な笑い声を上げながら李誦の御霊は白い光の球となって空に昇って行った。

満天の星が瞬く夜空を見上げる空海は一度きりの謁見の折に賜った翡翠の数珠を改めて握り締めてみて

翡翠ってこんなに冷たい石だったのか。
と初めて知ったのだった。

秋になると空海は一日のほとんどを禅定し、目を閉じて座っている間は俗世の喧騒もこれまでの忙しすぎた人生もすべて忘れて心安らかに過ごすことが出来た。

しかし、秘書役の真済はじめ弟子たちは、師の食事が一日に六回に分けて薄い粥を啜るだけ。あれで御身が保てまするのか?

と一日の務めが終わると寝床で皆顔を寄せあい、師の体調を気遣う会話を繰り返していた。

ひそひそ話をする弟子たちに向かって「夜も更けますので灯明の火を消してよろしゅうございますか?」と声をかけるのは寺男として空海に仕える麓の天野の民、賀茂騒速かものそはや

そ、そうだな、油が勿体ないのでもう寝るか…と明日の勤行も早いし。とお喋りをやめて床で目を閉じる弟子たちを尻目に灯火を消して回る騒速だが実は、空海がひた隠しにしている秘密を知っていた。

それは万燈会の数日後の夕方、空海に言われた通りに薄い粥を作っていくつかの水菓子(果物)を添えるとほ、と空海は目を見開いて、

「わしの病に気付いていたか」と言い、
「真魚さんとはもう二十年以上の付き合いだからそれぐらい解りますよ」と騒速は返した。

「もそっとこっちに」

おもむろに白衣の前をはだけた空海は騒速の手を取って自分の胃の腑の辺りを触らせた。小石みたく固いしこりがこりっと指先に触れる。

「解るか…?このしこりが胃の腑の入り口に出来て少しずつ大きくなってきている。
無理に食おうとするとしこりに引っかかって吐き戻し、やがては衰弱して死ぬ。父、善通よしみちもこの病で逝った」

あれは満濃池の工事のため讃岐の実家に里帰りしていた時、病に伏していた父の鳩尾のあたりに大きなしこりを確かめた空海は涙が出そうになった。

「父上の病は胃の腑にしこり(腫瘍)が出来た物食えぬの病にございます。粥ではなく重湯と柔らかく潰した水菓子などで滋養なさって下さいませ」

とつとめて冷静に診断結果を告げると父は痩せて落ちくぼんだ眼でこちらを見て…

「じきに我は死ぬのだろう?隠さなくともよいぞ真魚」

と食を取ろうとしては吐き戻し衰弱しきったお体にしては明瞭な言葉でそういうと真魚、おいで真魚と病床から両手を上げて空海を抱き寄せ、童の頃そうしてほめてくれたように息子の頭を撫で撫でした。

「えらいぞ真魚、またひとつ詩文を覚えたな。えらいぞ…」

もう父の意識は息子が子供だった頃へと還っているのだろう。やっぱり堪えきれず空海は父の腕の中で泣き、その夜、父善通は安らかに逝った。

「子の栄達のために大学寮に行かせて下さり、退学して私度僧になったわしに唐留学の費用まで与えて下さった。
その父と同じ病で逝けるなら本望だ。が…弟子たちが心配するのでこの事は真済のほかには秘密にしてほしい」

臓腑に出来た病なんて不治じゃないか。何もできない自分が悔しい。騒速は「はい」とだけ返事をし、それからの食事の世話を一手に引き受けるようになった。

用事で麓の天野の里の我が家に戻った時、騒速は妻シリンに

「しばらく寂しい思いさせるけどさ、俺、これからしばらく真魚さんにつきっきりになるから」

と宣言するとシリンは仕方ないわねえ…と察していたように諦めたようにため息をついてから、

「すでに決めたことなんでしょう?こうなったらとことん最後までお仕えするのよ!」

と背中を叩いて送り出してくれた。

翌年天長十年ニ月二十八日(833年3月22日)

皇太子正良親王、淳和帝の譲位を受けて即位。
第五十四代仁明帝となった。

次代の皇太子には甥の恒貞親王《つねさだしんのう》が選ばれた。

が、恒貞の立太子に関して淳和上皇は確かに恒貞は我が姪で仁明帝の姉でもある正子が産んだ皇子であり、皇統を継ぐには申し分の無い子だが…

有力貴族の後ろ盾の無い恒貞が皇太子になる事に上皇は強い懸念を覚え、

「後継ならお前の子の道康親王でもよいのではないか?」

と提案したが、

「なれど、両親とも皇族である恒貞のほうが血筋も皇統の跡継ぎとしても相応しいかと」

と仁明帝にやんわりとした笑顔で却下された。

また、逃げようとしても逃げられなかった…

仕方がないね、と淳和上皇が渋々認めた恒貞親王立太子が後に

承和の変

という皇位継承問題から起こった政変に繋がり、懸念が的中するのは上皇崩御後の事である。

空海はこの年甥の真然に高野山と真言宗を託し、長年の弟子の実慧に若い甥の後見を任せた。

残り少ない余命を自覚しながらもこの世でやるべきことを一つ一つ、着実に遂行していった。

翌年の承和元年十二月二十九日(835年1月31日)

自分の死後も人々が幸福であるためには、国の安定が必要と考え、国家安寧のための祈祷会が必要だと思っていた空海は後七日御修法ごしちにちみしほの修法を朝廷に上奏した。

当時、宮中では正月の一日から七日までは神式による祈祷、八日から十四日までは仏式による祈祷が行われる慣しとなっていたが空海は、これらとは別に密教による祈祷を八日から十四日まで行いたいと上奏し、十日後にこれを許された。

翌承和二年正月八日(835年2月9日)

宮中真言院にて初めての後七日御修法ご執り行われ、
空海は七条の田相部に十数種の色糸で叢雲模様が織られた犍陀穀糸袈裟けんだこくしけさを身に纏い、真言八祖がうけ伝えてきた五鈷杵、念珠などをもって道場に臨み、護摩を焚いて天皇の無病息災と国家安寧を祈った。


これにより、空海の密教は神式、仏式と並ぶひとつのかたちとして国家に認められたことになる。

空海は仁明帝に謁見し、修法の終わりを報告すると

「七日間かけての祈祷、よくぞ最後までやり遂げてくれた。空海阿闍梨」と
この年二十四才の若き新帝より心からの感謝の言葉を賜った。

おほきみ黄櫨染御袍こうろぜんのごほうがよくお似合いでしたよ」

色白で細身で帝王にしては柔弱、と臣下たちから囁かれていたのを知っている仁明帝は公衆の面前で自分の容姿を褒められ、
「うむ、そうか!」

と子供の頃から自分を可愛がってくれた老僧に向かって両頬に血色を浮かべて喜んだ。

それにしても、行と称して空海は自ら食事を制限し、かなり衰弱したとの噂だったがこうして見ると確かに痩せてはいるが、それが却って俗世から離れた清らかさを増したような…

そう思った瞬間、目の前の老僧がこの世にとどまっている時間はあと僅かなのだ、と仁明帝は思い知らされた。

「父嵯峨帝の代からよく朝廷に仕えてくれたな…ありがとう空海。後のことは心配せず好きに過ごすがよい」

「感謝と労りのお言葉、実に痛み入ります」

と恐縮してた空海は、病がちだがご聡明で心優しい今上帝ならこの先大丈夫だろう。と最後に一礼して御前を辞し、

これが空海にとって最後の天皇謁見となった。

その七日後、真言宗の国家公認の僧侶の養成枠である年分度者ねんぶんどしゃ三人が設置され、先の後七日御修法とあわせて空海は真言宗の基盤をほぼ完成させた。

その報せを聞いた空海は都ですべきことは全部やりきったな…と雪の積もる東寺の庭先に向けてしばらくぼうっと視線を泳がせてから、

「高野山に帰るぞ」

と宣言しその日のうちに都を出立した。

高野山に戻った空海の病は進行し、遂には肝臓まで侵すようになった。

天野の里長で腕利きの鋳造師でもある田辺波瑠玖たなべのはるくは衣の下の皮膚に浮き出たただれを見るなり、

「…これは鋳造、主に仏像を制作する職人が罹る丹の中毒だ。鉱物の毒は長年蓄積されて徐々に体を蝕む」

と診断した。

義兄上あにうえ、真魚さんはもう」

と声をすぼめる騒速に向かって波瑠久は、

「俺は根っからの拝火教徒で仏教を軽く見ていたけど俺は初めて仏の力を信じる。真魚さんの命がここまで保っただけでも奇跡なんだ」

と痛み止めの膏薬を塗布されて眠る空海に向かって初めて合掌した。

今まで仏を拝む事を拒否していた義兄上をここまで変えてしまった真魚さん、あなたという御方は…

騒速も義兄と並んで合掌した。

それから二月ふたつきの間病は進行していながらも意識の方は極めて明瞭で、調子が良い時は座禅して過ごし、

弟子たちへの訓告を遺言として真済に筆記させ、時には講堂に赴き弟子たちに直接講義する様はとても重病人とは思えなかった。

だが山頂での寒さも緩くなってきたある日の深夜、病床で急に目を覚ました空海は弟子たちの力を借りて講堂に集めた弟子たちの前で結跏趺坐し、

「もし、怫のおしえが本当であるなら」

と前置きすると

「わしはこれから釈迦王子を真似て兜率天へのぼり、弥勒菩薩の御前に参るであろう。

兜率天にのぼってわしは雲の間から地上をのぞき、あんたはんらのあり方を見ている。そして、五十六億七千万年後、わしは必ず弥勒菩薩とともに下生する。

我の死に様いまよーく見ておけよ。

その時、よく勤めている者は天の救いをうけるであろう。不信の者は不幸になるであろう。それからこれを確かめに行ってくる」

と朗々とした声で言い切るとふっと糸が切れたように
こころもち顔を左前方に落とし、深く目を閉ざしたきり黙ってしまう。

師の側に控えていた真済がたまりかねて「師僧よ、次の講義はいつですか?」と尋ねると、

「一眠りしたら、またな」

と空海はそうはっきり言ってから小さく笑い、小春日和の縁側で居眠りするようにそのまま永い眠りについた。

承和ニ年三月二十一日(835年4月22日)午前四時。

空海入定。享年六十ニ。

講堂に居た弟子たち寺の使用人全て師僧に合掌し、その中で真如こと高岳親王は激しく肩を震わせて泣いた。


真魚さん、あんたの最期このまなこでしかと見届けたよ。俺は麓に下りて里のみんなにに語り継ぐよ。

と講堂の隅に居た騒速は心で空海の体に語りかけた。

空海の訃報を受けた嵯峨上皇はまるで体から臓腑をまるごともぎ取られてしまったように意気消沈し、籠もっている自室に最愛の妻橘嘉智子を呼び寄せ、

「生きたままこの世の終わりを迎えてしまった気がする」

と心の内の絶望をそのまま吐露した。

「上皇さま…」

「若かった私は変わり者の僧空海の噂に心捕らえられ、彼の者の作った戯曲に心躍り、初めての謁見で口をきわめた諫言をされて心を入れ替えた。人生で楽しい思い出のほとんどに…空海がいるのだよ…」

と涙をこぼす夫の手を取った嘉智子は、

「空海阿闍梨はまるで上皇さまの心を照らしてくれた日輪のよう、ほら、ご覧下さい」

と言って立ち上がり、閉じきった戸を自ら開いた。

季節は春、庭園の桜吹雪が風に乗って舞い込み、室内は光に満ちた。

数日部屋に籠もっていた上皇は空の頂に輝く日輪から光を受けて今ひとたび咲き誇る花々に惹かれ自ら庭に降りた。

こうして日の光を浴びていると解る…

お前はそこにいるのだね?空海。

上皇の問いかけに呼応するかのように桜の花びらがひらり、と手のひらの上に降りた。


皆さん。

私のことを思い出して寂しくなっても、そんなお嘆きにならないで下さい。

あなたの人生のいまの日々の暮らしの何処かで立ち止まって、

雨上がりの虹。水面を渡る風。
道端に咲く野の花の美しさ。
冬の夜に体を温める焚火。
夜道を煌煌と照らす月。

その他ありとあらゆるものから人生の光を見つけた時─

私は、ここにいます。


エピソード「二つの日輪・嵯峨天皇と空海」終

後記
空海の物語が終わり、嵯峨天皇と周りの人々の物語はもう少し続く。























































































































































































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