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天児

昨日から始まった陣痛に耐え続け、これはからだの下部が引きちぎられてしまう!と思った位の激痛の波の三度目にするり、と何か大きなものが滑り出て、次いで紐のようなへその緒がつるつるっと出てくる感触は実に爽快だったというか…

ほあっほあっほあっ!

という元気な産声が産屋に響き、

「姫さまご覧下さい、元気な男の赤さまですよ!」

と白いおくるみに包まれた顔をくしゃくしゃにした我が子が自分の胸の上に置かれた時、齢十七の産婦である千鳥は、

これで田村麻呂さまから続く武官の家、坂上の血を繋ぐ大仕事を果たして心底安堵したのだった…

「姫さまは若うございましたからやすやすとお産が済んでよろしゅうございました」

と年老いた女房が顔を綻ばせて報告する横で千鳥の姑にあたる宮中女官、将監しょうげん命婦みょうぷは真四角の白絹の角を折って継ぎ目を縫い合わせ、中には白絹を詰めて縫い合わせて閉じた胴体の上にこれまた白絹に詰め物をして作った丸い頭部を縫い付けて出来た縫いぐるみを慣れた手つきで素早く作り上げ、

「これを産屋に」
と盆に乗せて女房に託した。

全てを心得た女房は息子の妻に対する命婦の心遣いにこれはなんとお優しい…と涙を滲ませながら言われた通りにした。

翌朝、お産の疲れで熟睡していた千鳥は隣で真っ赤な顔をしてすやすや眠っている我が子を確認し、そしてその枕元に置かれた厄除けの白い縫いぐるみ、天児あまがつを初めて見たのだった…

まあ、なんて可愛らしい縫いぐるみなのでしょう。

と千鳥は思わず天児を手に取って頬ずりしたい衝動に駆られたが、

いけないいけない、古来より天児は生まれた子の厄災を身代わりしてくれる形代。

いまそれをするべき相手は自分の隣でむずがって泣いている息子なのだ、と急に泣き出す子の声で千鳥は我に帰り、

「どうしたのですか?お乳?それともおむつ?」と慣れない仕草で子を抱き上げた。

産後の経過は順調だったので七日後に床上げを済ませた千鳥は舅から「立野」という名前を我が子に授かり、ささやかながらも祝いの宴が開かれた。

その夜、立野にお乳を与える千鳥の元に姑である将監の命婦がやって来て、

「まずは…姫、一族の大事を果たしてくれたこと感謝しております」

と半年前からお上の命で東国に赴任している千鳥の夫に既に男子誕生の文を送った事。

それから千鳥に送った白い天児は本来ならは千鳥の母親が作るべきものを既に両親を亡くした千鳥の為に自ら手作りした事を告げた。

平安中期のこの時代、子供が十人生まれても病や不慮の事故で生き残るのは二、三人という弱きものが生きるのには厳しい環境。

あらゆる病や災いは全て物の怪の仕業だと信じられ、いつか来るだろう災いに対してこの国の人たちは厄除けの儀式や呪法を行うしかなかった。

「かく言う私も五人子を産みましたがその内の三人は生まれても間も無く亡くなりました。

母が作ってくれた天児なんて…効かないではないか!

と子を亡くす度に怒りに任せて何度投げ捨てようとしたことか。
…でもねえ、その丸く白く清らかな縫いぐるみを見ているとつい怒りなど忘れて頬ずりしてしまう自分がいるのですよ。

姫、男子でも女子でも構わない。子供というのはただ生きてくれればそれでいいのですよ」

幸い息子二人は何の大病も無く成人し、立派な武官としてお上にお仕えし、長男の妻である姫がこうして男子を産み、一族の血を繋いでくれたのが生きてきて一番嬉しい事である。

と語る命婦の前で千鳥ははらはらと涙を流し、

「両親を亡くして没落した家の姫である私を迎えてくださって、吾子(わが子)に御自ら天児を作って下さって…本当に感謝しております…おかあさま」

若く健気な千鳥の涙を懐紙で拭ってあげた命婦は

「まあまあ、子育てで大変なのはこれからなのに。でも今は泣いていいのですよ。
人生というのはねえ、悪いことが八つ起きていい事は二つしか残らないもの。 

でも私は子が生まれる度にこの天児を作り続けますよ」

と宣言し、その笑顔はまるで観音菩薩のようであった。

それから二十年後。

千鳥に初孫の女子が生まれた朝、こうして天児を手縫いしている彼女はあの夜の姑の顔を思い出しながら祈りを込めている。

これから生まれくる全ての子らにさちあらんことを。





























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