電波戦隊スイハンジャー#20

第三章・電波さんがゆく、グリーン正嗣の踏絵

屋久杉との邂逅

「参った!」空海が碁盤の前で頭を下げた。

碁盤の上には黒石が白石を囲むように並び、さながら夜空の星のようである。

「では、私の勝ちですね」
細い目をさらに細めて、正嗣が珍しくドヤ顔で笑った。

「じわじわ四方から攻められて、全く、次の手が思いつかなんだ。まーくんよ、きちんと検定受けたらアマチュアの段位取れるのではないか?」

「私にとっては『遊び』ですから、検定受けようなんて思わんけど…」
正嗣の実家である泰安寺の縁側。七月にしては珍しく、風通りが良く涼しい。
家庭菜園の夏野菜の葉っぱが、九州の夏の日射しを浴びてべらぼうに繁っている。

夕方6時過ぎ。夕食前の一局である。ちりん、軒下の風鈴が鳴った。

「勝ったら1つ言うこと聞くって、言うたですよねー」
「言ったっけ?」
空海は女性と見まがう美しい顔をわざと無表情にしてしらばっくれた。
「言うたじゃなかですか…あんた、大概な坊主だな」

スポーツ刈りの髪が伸びて、見た目短めの坊っちゃん刈りになった頭を正嗣はかきむしった。…ええい!!

「全てが終わったら、私の能力を全て消していただけませんか?」
ずっと心の中で凝っていた思いを、正嗣は口にした。

空海は深い湖のような涼しい目で正嗣を見た。畑の上を風が吹き抜けて、野菜の葉がざわざわと鳴った。

「私は、それは出来ぬ。と申した。
潜在的な特殊能力を修行して強化することは出来ても、それを一切消す術を私は知らぬ。まーくんは黙って台所に立って、夕食の支度をすると…消えておったわ…」

そこまで話すと、カウンターの上にわっ!!と空海は突っ伏した。

「つまりは空海、君はドSでいい加減で、頑固で、修行バカで、思いつきで行動するマザコンで、弟子にも逃げられた、とことんダメな坊主なんだね」

薬師如来ルリオが、ニヤつきながらさらに追い討ちをかけた。

「ルリオくん、それ以上言ったら空海さん泣くから…」
バーのマスター悟が、据わった目でルリオを睨んだ。

豊かな黒髪を編み込みにし、アクビちゃんTシャツを着たインド少年は、ちょっ、と舌を鳴らした。

悟を怒らせると、首輪を締められる「お仕置き」を食らうのでたまったもんではない。

「力って、人の心読めたり、幽霊見える力だべか?…七城先生、かなり追い詰められていたんだなあ…」

隆文は、見たくもない人の本音が見えたりする正嗣の苦悩を想像しようとした…が、やっぱり経験してないものは想像が難しい。

だが、ざっくりとそれはうっとおしい能力であろうなーとは思った。

「夕食の支度済ませて消えるってのが七城先生らしいですねー。彼のお父さんも心配してないですか?」

空海の右隣の席で琢磨が聞くと、空海は顔を上げてかぶりを振った。
「そ、それがお父上の泰然住職は『泰若が行方不明?よかよか、いつもの事だけんすぐ帰ってくる』と涼しい顔よ!!」

「えぇっ?七城先生、バックれ常習犯?」

空海の左隣できららが軽くのけぞった。

「現役の学校の教師って、メンタル的に追い詰められやすいんだよね。
勉強教える他に、部活の顧問とか、教育委員会やPTAの相手とかさ…

最近は保護者がしつけも先生まかせにして丸投げして、なんかあったら教師に責任なすりつけるって聞くし、それじゃ人間耐えられないよ」

悟は煙草を一本吸い終えて灰皿で揉み消すと、脇によけた。どうやら二本めを吸うつもりはないらしい。

「まーくんが立ち寄りそうな町の温泉センターにも、まーくんがドリンクバーでねばりそうな町唯一のファミレスにも、居なんだわ」

「あたしだったら人間いない所に行くなー」
突然きららが言い出したので、一同きららを見た。

彼女はたまーに良く言えば感性で、悪く言えば当てずっぽうでものを言う。

「だぁーってさ、人の心の中のおしゃべりがうるさいんでしょ?だったら、人を避けると思いまーす。例えば…」
「た、例えば?」
「山とか、森とかぁ!」

ちーりーと、遠くでかすかに虫が鳴いている。ぽたぽた降り注ぐ、雨音…静かだ。

一月で35日雨が降る、と言われる屋久杉の森は、真の闇に包まれている。静かすぎて、自分の溜め息に思わずはっとする。

正嗣は、屋久島の森の奥まで逃げていた。

彼がいる展望台デッキの向こうには、樹齢3000年~7000年と言われる縄文杉が、巨大なこぶの陰影を際立たせて悠々とそびえ立っている。

森は、植物はいい。余計な言葉もなく、ただそこに存在しているだけだ。

正嗣の右手首には何をやっても解けない緑色の「精霊のミサンガ」が巻かれている。

ミサンガの機能は、分かっているだけでスイハンジャーに変身、木霊などの精霊、「ひこ」などの神々が見える。

あと、好きな場所にテレポートする機能。

正嗣は、このテレポート機能で何度も屋久島のこの場所に来ていた。とりわけ、この縄文杉が好きだった。

数千年も存在し続けて、だだ、悠久の時を刻み続ける。

全てを見ていながら、自分は黙して語らない。という所がまたいい。

先月の墨田区の事件からだ。人々を覆う赤いもやが見えるようになったのは…

大抵それは、怒り、苛立ち、嫉妬などのマイナスの感情に呼応して、広がったり、黒くなったりする。

逆に冷静な状態の人や、幼児には出てこない。

それが見えるようになってから、正嗣は急に人間が怖くなった。

空海が「悪意」と言った赤黒いもやは、中高年の中にも見えるが、20代そこそこの若者にも、自分の教え子たちにも見えるのだ。『ストレス値とも比例する』と空海が言っていた。

教え子たちの「悪意」なんか、見たくもなかったよ…正嗣はため息をついた。

「見えない」という他のメンバーが、心底うらやましい。自分のテレパシー能力を増幅させた空海が、うらめしかった。

小さい頃、同級生から田んぼに突き飛ばされた事。口に入った泥の味を、正嗣は急に思い出した。

なんで、急にこんな事を?

腹が減ったな…と正嗣は傘をすぼめながら、思った。展望デッキの奥まで歩くとそこは屋根があり、雨宿りと休憩が出来る。

ん?
正嗣の心に、青竹の林を風が通り抜ける爽やかな映像が浮かんだ。

そこに先客がいた。気配からして軽装備のようだ。

話かけてきたのは向こうからだった。
「あの…こんな夜中に屋久島登山なんて、どーかしてない?お互いに」

若々しく、深く通る声だった。闇で青年の顔は見えないが、正嗣と同年代くらいだろうか?

「まったく、どーかしてますよね」
青年の能天気な声の調子に、正嗣はつられて笑った。笑うのは実に久し振りな気がする。

「まあ、座れよ」
青年はぽんぽん、と自分の隣を叩いて正嗣を誘った。

闇は全てを包み、静寂《しじま》はどこまでも優しい。

それだからこそ、人は心をさらけ出すのかもしれない。

縄文杉を見上げる展望デッキの屋根の下で、正嗣と、出会ったばかりの青年と談笑していた。

「へぇー、じゃあお互い彼女なしかよ」

暗がりの中で青年は、魔法瓶の蓋を開けた。

ほうじ茶の香りがぱっ、と辺りに広がる。夜食を取り出してるらしく、紙袋をがさごそいわせている。

「俺もねー、彼女いない歴3か月よ…仕事忙しすぎてさ、付き合ってもあまり会う時間取れないしさ、いつも一方的に振られるしさー…」

振られた時の事を思いだしてか、語尾がだんだんすぼまっていく。

顔も見えない初対面の相手に、よくもまあここまでざっくばらんに話せるもんだなあ、と正嗣は思った。

「職場関係や友達とかはどうですか?」

げえっ、ダメダメ!と青年が手を振る気配がする。

「友達ってヤローばっかりよ。お互い当直とかで滅多に会えんしさ。それに俺は、同じ業界の女とは付き合いたくない」

きっぱり、と青年は言い切った。

「当直って…お仕事は警備員か何かですか?」
「ひ・み・つ」
青年はくすくす笑った。そして紙袋から夜食を取り出して、一部を正嗣を渡した。
「食ってみろよ」

ラップをはがすと、軽くトーストした香ばしいパンの匂い。どうやサンドイッチのようだ。
勧められるままに正嗣はサンドイッチにかぶりついた。具は玉子とハムとレタス。

「う、うまい…!」
「だろー?パンも自家製の米粉パンだぜ」

闇の中で青年が自慢げに肩を揺すった。

「は?自家製で米粉パン?」
一気にサンドイッチを食べ尽くした正嗣が聞いた。

「あれ、知らないの?ご飯でパン焼ける家電発売されたんよ。俺は、当直明けについ衝動買いしてしまった…
いかんね、当直明けに店入るのは…って、俺にばかり喋らせていないで、あんたも自分の事話せよ」

「え、えーとぉ、恋愛経験についてはぁ、黙秘権を行使します」

「あんたずるい人だな」
青年は軽い失望のため息を洩らした。ぬるい風が縄文杉の梢を揺らす。いつの間にか雨は止んだようだった。

「ま、いっか。俺も仕事に行き詰まる事あると、ここに来るのよ…」
「あなたのお仕事ってなんですか?」

「ヒント、俺の仕事は、嘘つきです。あんたは?」
「ヒント、私の仕事は、偽善者です」

なんだよそれ!!と青年は吹き出した。

「お互いロクな仕事してねーなー」
「まったくですよ…これ、サンドイッチのお礼です」

高菜の漬物で巻いたおむすびを、正嗣は青年に手渡した。すぐに青年はもそもそと食べ出した。

「うまいっ!!高菜のおむすびなんて久し振りに食ったわぁ。それに、上等な米使ってんぞ」
「親戚の田んぼで作ってる米です」
手料理を素直過ぎる反応で誉められて、正嗣は照れて頭をかいた。

「高菜のむすびに、言葉の端々からもれる九州なまり、さてはあんた…熊本県民だね」

す、鋭い!あの地域活性バラエティ番組のマスター並みだ。

「な、なぜ分かったとですか?」
つい九州なまりで正嗣は答えてしまった。
「え、当たりなの?まー俺も…」と青年が言いかけて、息を詰めた。
青年が表情を強張らせたように見えた。

「なにか?」
「音がしなさ過ぎる…あんたには分からんか?」

確かに、さっきから虫の声も、風と梢の音も、ぱたりと止んでいる。静か過ぎるのだ。

青年は立ち上がり、じっと縄文杉のほうを睨み付けた。
まるで「沈黙の音」すら聴こえてきそうだ共に立ち上がり、正嗣は思った。

(ほう、その方『加護を受けし者』だな…)

深い老人の声だった。頭に直接響きわたる。

「おい…他に誰かいるのか?」
青年は明らかに狼狽したようだった。

(誰もいやせんよ)

「見ろよ…屋久杉が…」
青年の言葉通りに、正嗣は縄文杉の方を見た。

梢が、枝枝が、自力でうごめいているように見えた。

バレーボール大の緑色の光が、おびただしく縄文杉の周辺に集まってきている!

蛍?いや、蛍の光はこんなに大きくはない筈だ。

二人は、緑色の光に包まれた縄文杉を凝視した。

(其れが、本来の『木霊』の姿よ、人の子よ。
秋津島の神々らがおぬしらに見せておる姿は、小さき国つ神の作った雛型、つまりは『幻』よ!!)

縄文杉の声が、黒い大気全体となって二人を圧し包む。そこには怒りの分子が混じっているようだった。

(よいか?人の子よ。
我々自然は、宇宙は、本来人に何も与えはせぬし、奪いもせぬ。

勝手に人の子らが自然に入り、森を開き、樹を斬り、奪い、自らの業を怖れて、勝手に我らを敬い、祀ってきただけじゃ

…我は種として落ちた場所に根を下ろし、存在するのみ…分かったか?人の子よ)

「こ、心得ましてございます…」何だ?この威圧感は…

巨大な闇の手で潰されそうだ!!

正嗣は恐怖で、歯の根が合わない程震えていた。やっと喉の奥から絞り出して、言葉が出た。

緑色の光が消えて、辺りは再び真の闇になった。

隣の青年も固唾を呑んで縄文杉を睨んでいるようだった。が、震えている様子はない。

「…やはり、昨今かしましいのか?世界遺産なんぞ呼ばれて、観光客が群がって来て」

青年が縄文杉に語りかけた。ざわざわ、枝が大きく揺らいだ様子が、巨人が手を広げてみせるように感じる。

(ほう…度胸のある若者だのう。ああ、かしましいのう。煩わしいのう。
世界遺産だの、自然保護だの、我は、人なんぞに保護される程堕ちたつもりは無いからの…この星を箱の中の珠のように思うておる、人の傲慢さよ…)

縄文杉が老人の声で、くっくっ、と低く笑った。

こりゃあ、ヤバいじいさんに捕まったぜ、と青年は軽口を叩いた。

縄文杉は怒る様子もなく、話を続けた。

(この頃の秋津島での神々、精霊たちの動きもかしましいよ。人の子、七城正嗣よ)

「は、はい…!!」

いきなり名前を呼ばれて、正嗣はうわずった声で応えた。

(お主、神々や精霊どもに茶々入れられて、ここまで心追い込まれたのであろう?)

「ま、まあ、そうとも言えますが…」

(その事、『目に見えぬ者』を代表して詫びる。
許せよ…本来、人に干渉せぬ掟を破ったのは明らかに神々の責任である。

…しかし、この星で明らかに変異が起こっておる。人間の『退化』が始まっておるのかもしれぬ…)

「退化?」
落ち着きを取り戻した正嗣は、縄文杉に聞いた。

(猿を人間に進化させた大陸では、未だに血で血を争う戦いが耐えぬ。
北半球の大陸では圧政が続き、僧が我が身を焼いてまで訴えるが、何も変わってはいない…我が芽吹いた縄文の昔から…

人は、ただ文明化しては自ら廃れる…その繰り返しであったよ)

「1つ場所から動かないのに、世界の事何でも知ってるよなあ。じいさん」

青年が縄文杉に茶々を入れた。正嗣が、おい!と青年のほうを睨む。

(なめるな、若僧。木々のあるところ我あり。世界中の木々は、言の葉を風に乗せて通じあっとるわ…我はたまたまその最年長樹なだけじゃ。
さてと、七城正嗣)

「は、はい」

(人は同じ種族同士でも、信念が違えば争い、滅ぼし合う…なれば、『人間そのものを殲滅させよう』という思想の者が出てもおかしくはない、と思わんかね?)

「…あ!」

(其れが、お主らが戦う相手であり、宇宙の法則を汚す忌まわしき者どもよ)

遥か上空の闇の中で、先ほどの木霊の光よりもさらに濃い緑色の光が、正嗣の胸の辺りに降りてきた。光の中央に、円柱型の緑色の宝石。

…勝沼さんの時と同じだ!

(エレメント『木』を、七城正嗣に授ける)

光る宝石は、正嗣の服を通して直接彼の胸の中に入り、収まった。彼の体を、森の風が吹き抜ける感覚がした。

(手助けしたいが、我は動けぬ。だがこうして力の分身を分けてやることは出来る。使いこなしてみろ!)

可可可可可可可!!と縄文杉は笑った。

(七城正嗣、教師としても、僧侶としても、術者としても全てが中途半端…
未熟者である。
しかし、その心は恭謙。じつに、じつに面白き男。『水』の力を持つ、あの青い坊やに伝えておけ。我の力は強いぞ…隣の若僧、少しは正嗣を見習え!以上!!)

だーん!と雷鳴が轟き、空気が激しく振動した。それが合図かのように、豪雨が二人に叩きつける…

「俺、なんだかエライ現場に居合わせちまったなあ…」

青年は雨に打たれながら、困ったように髪をかきあげた。

「あ、さっきのじいさん、困ったらいつでも訪ねてこいってさ」

自分には伝わらなかったメッセージを受け取っているこの青年は!

「ちょっと!!あなた、お名前を…」

じゃあな、と言って青年は右腕を高く掲げた。

青年の手首に、2匹の絡まる蛇をあしらったバングルが銀色に輝くのを正嗣は見た。

次の瞬間、青年の姿も気配ごと消えていた。

いや、銀色に光る小さなものが地面に落ちている。

「銀色の…羽根?」

ずぶ濡れになって地面にうずくまった正嗣は、濡れそぼってもなお輝く羽根を拾い上げた。

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