オタクでない事のカミングアウトをする記事
この話書いてる人はオタク草創期のやおい世代で、
小5の頃の当時はマンガ絵書くのが好きな子だな。しかも上手いし。明るくて性格いいし。と一番親しくしてた友達から児童館のサイコロ型の遊具の中で、
「…ねえ、やおいって知ってる」
「なにそれ?」
「や…ヤマなし。お…オチない。い…意味なしって意味の同人誌でその実態は男子同士の恋愛パロディ。私もやってるんだけどね」
とカミングアウトしてくれた。
と彼女が描いてるムーミン同人誌を読ませてくれた。その内容は美化したスナフキンの裏の職業は必殺仕事人でムーミンを標的にするがそもそもムーミンには首が無いのでミッション失敗…という
しょーもないけれど面白い話だった。
他にも聖衣を纏った戦士同士の恋愛パロディだったりボールが友達なサッカー少年たちの恋愛パロディだったり。
まあ、うん。今で言うBLについてはすでに売れてアニメ化もされていたパタリロ!で知識習得済みだったし。
今思うと結構何でもありで寛容だった時代かもしれない。
同人誌をそれで売買する定額小為替の存在を知ったし、
「これを好きになったら真のオタクだ」というファイブスター物語を教えてくれたのも彼女だ。
しかし私はマンガ絵が描けないし、描いても下手なので同学年内の同人誌サークルには深く入ることが出来なかった。
中2の頃初めて書いたSF小説のプロットをレポート用紙3枚半にまとめて最後までプレゼンした時、
「面白い!」
と初めて言ってくれたのは彼女だ。後にそれが今なろうやカクヨムで投稿している「電波戦隊スイハンジャー」の元ネタとなる。
絵は描けないけれど突拍子もない話を作ることで彼女らと少しは仲良くなれた気がする。
ガチBL同人誌描いてても明るくていい奴らだったので彼女らどの付き合いは中学卒業まで続いた。
高校に進学してからは文芸部に入ったがそこは既に月一回発行の会報に萌えキャラを挿絵する…
もうどうだっていいの、ありのままの自分でいる。
とエルサのように自我を解放させたオタクの巣窟と化していた。
ガチで文章書きたい部員は部長と私だけで二年半非常に息苦しい思いをした。
文化祭の時に販売していた文芸集を読んだ教務主任に「君たちは漫研かね?」とあからさまにバカにされて忸怩たる思いだった。と政治家の常套句使って逃げたくなる位嫌だっただ。
高校を卒業してからは文芸部員とは一度しか会っていない。しかもコミケの手伝いをやらされた。
同人誌の売り子として2時間店番みたいなことをしていただけだったが、
コミケでの売り買いの挨拶が自己紹介代わり「スケブ(スケッチブック)にイラスト下さい!」だったので「すいません、描けません」と何度かお断りし…
ああ確かに私はゆうきまさみをデビュー作から追っていたよ!ゆうきさん売れて嬉しいよ!けれどパトレイバーのコスプレは…出来ないっ…
一応元同級生だけどこの頃流行りだした萌え画に激しく抵抗感があったし、幽遊白書も聖闘士星矢のアニメもろくに見ていない。
つまり自分はこの場への適合性が薄いんだな。
と思って私はそそくさとコミケ会場を後にし、近くのショッピングモールで昼食代わりにチョココロネとごろごろチーズパンを買って飲食スペースでホットコーヒーを一口飲んでから…
よし、こういう世界とは距離を置こう。と決めたのだ。
窓から差し込む穏やかな午後の陽光が頬に当たって冬なのに温かかった。
それからは
エヴァブームは29になってやっと専門学校の後輩が読ませてくれたエヴァの解説本で内容を知る。
アニメは映画版しか見てません。
民放アニメは数年前のクラシカロイド(これ国営放送アニメだけどね)でやっと藤田陽一アニメの面白さを知る。勢いでおそ松さん見て好きになりました。
キャラは好きだけれど声優にはあまり興味無くイベント行かずグッズ買わない派で、
全シーズンまともに見たアニメは漫画でファンになったゴールデンカムイと本気で泣いたガンダム鉄血だけ。
鬼滅の刃は周りと話を合わせるためにあらすじしか学習していない。
…とまあ非オタにとって息苦しい30年間でした。
この前の衆院選最後の演説が秋葉原ではなくなった事でオタクが経済を回していた時代はとうに終わっていて、
非オタの私でも楽に息が出来る時代来たかな?
と薄ぼんやりとした期待をしている。
突拍子もないアイデアをくれるのでファイブスター物語単行本は手放さないけれど。
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