電波戦隊スイハンジャー#25

第三章・電波さんがゆく、グリーン正嗣の踏絵

分水嶺3

泰範の作ってくれた夏野菜の天ぷら

(人参、タマネギ、ピーマン、茄子)

と豆腐の味噌汁とトマトサラダを、光彦はごはんをお替りして完食した。


時々「うっめー!」と唸りながら。


思春期の少年らしい食いっぷりである。

正嗣が教え子を自宅に泊める事を、保護者である光彦の母親は驚くほどあっさりと承諾した。


「そうですか…あの子この頃塾にも寄らなくて夜遅くに帰ってきて、

夕食も摂らずに部屋に閉じこもってたんです…もう何聞いても私と喋ってくれなくて、

妹とは話すんですけどね…ほとんど諦めかけていました…」


「どうも彼は家に帰りたくないという思いからファミレス通いしていたようです。あのう、立ち入った事聞きますがご家庭に何か変化でも?」


「どうかあの子の気の済むまで息子を預かってくれませんか?

家を離れているほうがあの子の精神的安定になるような気がするのです…突然で済みません。


先生相手の方が、息子が心を開くかもしれないと思って…」


電話の向こうの母親の声は、堰を切ったように泣き出していた。


そうだったのか光彦…。母親が落ち着くまで正嗣は待った。


「私、もう限界かもしれません…何もかも…子供を傷つけたくなかったのですが…」


しゃくり上げながら母親は言った。


「お母さん」正嗣は言った。


「お子さんは、いや光彦君はいま高校受験という人生最初の大きな試練に向かっています。

私もお母さんも通り過ぎた時期ですが、15の子供の心ははちきれそうなぐらい不安なのです。

他に色々な問題を抱え込んでしまうと、耐えられなくなる。


彼の心が軽くなるように私たちで話し合っていきませんか?」


「はい…」


繰り返しお願いします、と懇願しながら母親は電話を切った。


居間のテレビにはバラエティ番組が流れて、画面でひな壇芸人たちが立ち上がっている。


光彦は座布団にあぐらをかいて、「日村マジでおもしれーな!」とケタケタ笑っていた。


久しぶりに光彦の子供らしい笑いを見たと正嗣は思った。


泰範がちゃぶ台を拭いて居間を出ると、光彦は今閉まった襖をじっと見ながら言った。


「別のお坊さん来てるね…こないだまで居た、やけに顔のキレイなお坊さんは?マサのまたいとこだっていう…」


「真魚さんかい?実家のお寺の用事で京都に帰ったよ」


光彦は唇を少しゆがめて言いにくそうに座布団をいじった。


「嘘つくなよ、マサ。あのお坊さんは本当に弘法大師の空海さんなの?」


正嗣は細い目をぎゅっとつぶってため息をついた。


「やっぱり知っていたんだな…ああ、信じられないかもしれないが、真魚さんは空海さんだ。いつからなんだ?」


「こっくりさん事件」かなり間をおいて光彦がぼそっと呟いた。


覚えていたのか!?空海さんが生徒の家を1軒1軒回って記憶を消した筈なのに。


「あの日は、家に帰って今日の復習しようとしたらどうしても思い出せなかった。

5時間目の国語の次は数学なのに、授業の記憶が全く無かったんだ。

まあ、そん時は居眠りしてたんかなー。と思ってたんだけど…


夕方になって、夕食の時間に親父がいた。珍しいなと思った。


この3年間まともに一緒に夕食したことないのに。妹はお袋に言いつけられたのか、自分の部屋にいた」


正嗣は4月の家庭訪問で会った、光彦の父親との会話を思い出した。


内科医で年は50近い。結構ハンサムな顔立ちをしていた。


しきりに偏差値はどうですか?県内トップクラスの第一志望に受かりますか?とばかり訊いてきた。


息子を「医者」にすることにしか興味のない親、という印象だった。


その隣で母親が「あなた、お友達のこととか他にも聞くことあるでしょう」と夫の白衣の袖を引いていた。


「そんなことには興味がない」と夫は妻の手を軽く振り払ったのだ。


光彦は終始無表情だった…


光彦はちゃぶ台に目を落としたまま話を続けた。


「『光彦、そこに座りなさい』って親父が言った。オレは言われるままにした。


そしてお袋が言ったんだ。『受験が終わるまで黙っていようと思ったんだけど、私たちは離婚するの。光彦、お父さんかお母さん、どっちと暮らす?』って。


なんとなーく予想はしていた事なんだけどな。目の前がチカチカしたよ。何で?やっぱオレなりにショックだったんだな…」


ままごとの家庭でも、壊れてほしくは無かったのだろう。「家庭」は子供を守る最低限の盾なのだから。


「オレはカーッとなってそのまま家を飛び出して、無茶苦茶にチャリこいでた。


いつの間にかマサの寺の庭にいた。マサに吐き出したかったのかもしれない。でも、マサにはお客が来てた」


初めて泰安寺を訪れた空海だ。


「オレは庭からこの居間の様子を見てた。


お客のお坊さんがマサに緑色のしゃもじ握らせようとして揉めて、しかたなくマサが折れて握って、マサが緑色に輝いて戦隊もののグリーンになったんだ。そんで…ぜんぶ思い出した」


あれは5時間目と6時間目の間の休み時間だった。


正嗣は職員室に来た室先生に呼ばれて、教え子たちの異変を知ったのだった。


そして教室に入ると、教室内の子供たちはトランス状態になっていた。


正嗣は室先生を教室から出して、「憑き物落とし」を行ったのである。


「オレが気が付いた時は、マサが教室の真ん中に立ってて、ジャージはだけて長い数珠かけてた。


なんか真言みたいなの唱えてて、手に印なんか結んじゃってさあ…マンガの地獄先生みたいでカッコよかったよ…」


生徒に直接ほめられると、なんか面はゆい。


「でも陰険ネチネチ野郎の家入センコーが教室入ってきて、生徒は即帰りなさい、って事になったんだよね。


入れ替わりにパニックになったお袋たちが来た。

マサの立場悪くなったよね、というか…家入がわざとマサの立場悪くした、とオレは思ってる。

マサ、あいつから目ぇつけられてイジメ喰らってたからね」


イジメ…ねぇ、確かに家入先生は時々情緒不安定で攻撃的な面があると思ってたが…


「生徒はみんな知ってるよ。

マサは優しくて人気あるから家入のヒガミだろうって。

オレたちそれ見て、あぁ、大人の世界にもイジメはあるんだな。


イジメなんてなくならねぇんだなぁって、結構絶望的な気分になったもんだよ」


淡々と語っていた光彦の感情が分水嶺に達し、母親似のぱっちりした目から、涙があふれ出た。


「…ねぇマサ、オレ、イジメくらってたんかなあ…」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?