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詩人が読み解くパレスチナ(4)

パレスチナはどこへ行くのか(4) 

 新年に入ったところで、能登半島で大地震が起こった。1月22日時点の被害状況を、内閣府のHPから列挙すると、死者数232人。負傷者1279人。住家被害1万306棟。避難者数1万5717人、石川県の断水未解消4万9090戸、停電約5400戸。河川、下水道、道路、鉄道、物流、医療・保健・衛生、社会福祉、教育関連などが続く。

【またも忘れられていくパレスチナ】

 亡くなられた方のご冥福を祈り、なかなか復旧に向かわないこの状況に心を痛めながら、それらのニュースが流れるたびに、私はガザの現状が重なりどうにもやり切れない思いに陥る。戦闘が終わったわけではない。毎日100~200人以上死者数は増え続けている。2月1日現在、ガザでの死者数は2万7千人超(「朝日新聞」デジタル)。人口の85%にあたる190万人が避難民となり南部地域に追い詰められ、その南部もまた空爆に晒されている。
 しかし、ガザについてのニュースは、2024年に入ると、新聞では国際欄に小さく載るだけになり、掲載されない日も多くなった(一月末に休戦・停戦交渉の記事が少し)。
 1月30日、朝のNHKラジオ番組を聞いていると、久しぶりにパレスチナの話題。南部のラファ市で心のケアにあたっているNPO法人「地球のステージ」代表の永山紀彦氏へのインタビュー。現在も一日に100回以上空爆があり、一人が飲むことのできるペットボトルの水は1週間に1本(後は、汚染された海水か井戸水。電気が止められているため浄水ができない)。食事は一日にパン一枚。薬も不足し感染症患者が6万人、という劣悪な生活環境とのこと。(11月末のWHOの報告によると、感染症10万人以上、その半数は5歳未満。1月5日「中日新聞」には、「ガザ飢饉の危機、感染症報告数が40万件以上」の記事)。
 テントや仮設シェルターで生活している200万人近い避難民が、今寒い冬を迎えている。空爆や地上戦で殺され続ける人々、病気や寒さ、飢餓、飢饉で亡くなっていく人々。形容しがたい悲惨な状況が続いているのに、その事実が伝わってこない。今私が生きているこの地球上でジェノサイドが進行しているにも関わらず、私の周りの世界は静かだ。人道支援も止められ、「HELP!」の声も消されてしまったガザは、いったいどうなっているのだろう。支援が入っても、電力や通信インフラを回復させないのは、インターネットを通じて、この現状をガザから世界に発信させないイスラエルの思惑である。パレスチナ、ガザは、また世界から忘れ去られようとしている。
 なぜ、ハマスがイスラエルを急襲したのか。それは、イスラエル建国から八十年間近くも占領が続き、差別と暴力と搾取に現在も晒されているにも関わらず、世界から忘れられてしまっていることに対する、パレスチナの〝焦り〟であり、〝怒り〟であり、〝叫び〟であることは間違いない。

【ガザからの声】

 イスラエルの空爆が始まった10月7日から、ガザからは「国際社会よ、助けてくれ」という声が発せられ、それらの声を拾うことだけは日本のメディアも行っていたが、私が読んでいる「中日新聞」では、1月8日「ここは地獄だ」という声を最後に、ガザからの声は届けられなくなった。以下、すべて「中日新聞」の記事より。

・「国際社会よ、どうかこの虐殺を止めてくれ」ガザ北部在住 アブアハメド・ナッサルさん(42)(10月15日)
・マハ・アハメドさん(37)は南部の自宅を失い、今は1部屋16人で生活する。1㍑の水を求め、空爆の恐怖にさらされながら仮設の水くみ場に一日中並ぶ。「戦争を終わらせて」と声を震わせた。(11月7日)
・「廊下は病人とけが人でいっぱいだ。私は、今、100人の遺体の前で話している」ガザ市シファ病院 ムハンマド・アブサルミヤ院長(11月11日)
・「人生最悪の日。世界がこんなことを許すと思ってもいなかった」ガザ地元記者ムハンマ ド・マスリ(26)(11月11日)
・「ハマスのメンバー1人を殺害するために、大勢を皆殺しにすることが正当化されるのか」 「占領こそがテロだ。抵抗する者たちはテロリストではない。これは私たちの権利だ」 ハマス政治部門ナンバー2 アブマルズーク氏(11月11日)
・「自分たちがどんな悪いことをしたの? この世界はフェアにはできていない。本当に惨 めで不幸だ」ガザ地区病院スタッフ(11月18日)
・「ガザは世界中が見ている中で、虐殺されている」ガザ欧州病院・看護部長ハムス氏(11月20日)
・「今、たくさんの人が追放され、虐殺されている。もう何人の子どもたちが死ななければ、 恐怖の中に生きていかなければいけないのか。そんな状況なのになぜ、(世界の)国々は黙り続けているのか」ガザ出身のシアム・ハニンさん(27)(12月13日)
・「ここは地獄だ」(ガザ住民) ・「1歳半の息子は恐怖と寒さで毎日震えている」ガザ中 部に避難中のムハメド・マーディーさん(37)(1月8日)

【パレスチナの歴史】

 「パレスチナとイスラエルの問題は宗教が絡んでいてとても難しい」と言われる方があるが、そうではない。分かりやすい政治問題である(解決は難しいが)。国際法上違法な占領、人権侵害は止めよう、というだけの話である。理解するのはそんなに難しいことではない。私は本紙号外1号で、〈パレスチナがイスラエルの占領下にある〉という大前提をメディアが伝えないまま、「ハマスのイスラエル攻撃」ばかりを連呼する姿勢について批判をしたが、今回、パレスチナとイスラエルの問題を考える際の前提となる「占領の歴史」について簡単にまとめてみた。
  
・19世紀末、ヨーロッパでは反ユダヤ主義が吹き荒れたため、旧約聖書で約束されたパレスチナの地にユダヤ人国家を造ろうというシオニズム運動が起こる。

・1915年、イギリスはオスマン帝国の支配下にあったアラブ人に、戦争に協力することを条件に独立を約束する(フサイン・マクマホン協定)。
 ⇔
・1916年、イギリス、フランスはオスマン帝国分割案を策定し秘密協定を結ぶ(サイクス・ピコ協定)
 ⇔
・1917年、第一次世界大戦中、イギリスはシオニズム運動を利用し、パレスチナの地 にユダヤ人居住地を建設することに賛同する(バルフォア宣言)。
 
★このバルフォア宣言と、フサイン・マクマホン協定との矛盾、それらを無効にするサイクス・ピコ協定がパレスチナ問題を生み出した。パレスチナ問題の根は、このイギリス植民地政策の三枚舌外交にある。
 イギリス陸軍少尉であったロレンスが、歴史の流れに翻弄されながら、アラブの大義のために戦い失意する映画『アラビアのロレンス』は、この実話に基づいている。

・1922年(第一次世界大戦後)、パレスチナの地はイギリス領となる。アラブ人(パレスチナ人)50万人、ユダヤ人2万人が共存。 

・1924年頃、ロシア革命により、ユダヤ人排斥運動「ポグロム」が起こる。14万人のユダヤ人がパレスチナへ。 

・1933年頃、ドイツ・ナチス政権によるユダヤ人迫害「ホロコースト」が起こる。44万人のユダヤ人がパレスチナへ。
   
・1937年、イギリスはパレスチナの地の80%をアラブ国家に、15%をユダヤ国家、5%がイギリス委任統治に分割する案を提案するが、アラブ側が拒否(ピール報告書)。

・1947年、国連はアラブ国家43%、ユダヤ国家56%の分割案を採決。アラブ側が拒否。 当時の人口は、アラブ人123万7千、ユダヤ人60万8千。  

★1948年、イスラエルが建国を宣言。(パレスチナでは「ナクバ(大厄災)」と呼ぶ)
 アラブ諸国が反発して侵攻し、第一次中東戦争へ。停戦協定により、アラブ人地域22%、イスラエル国家78%に。パレスチナ難民が発生し、70~80万人が中東各地へ。 
・1964年、パレスチナ解放機構PLOが設立、アラファト議長)

★1967年、第三次中東戦争。イスラエルが6日間で圧勝し、パレスチナ人が住んでいた西岸、ガザ地区などはイスラエルの軍事占領地となる。国連安保理は撤退を求めるがイスラエルは拒否。その後、パレスチナゲリラの活動が盛んになる。

・1970年代、西岸、ガザ地区へのユダヤ人入植が進む。

・1982年、レバノンのパレスチナ難民キャンプ(サブラとシャティーラ)でイスラエル軍、レバノン民兵による大虐殺が起こる。二日間で犠牲者数3500人。国連はジェノサイドとして非難決議。

・1987年、イスラエルの占領に対して、パレスチナ人の民衆蜂起(第一次インティファーダ)が起こる。戦車に対して投石で抵抗するパレスチナの子どもたちの映像がネットで世界中に流れ、パレスチナに注目が集まる。イスラム抵抗運動ハマスの設立。

★1993年、オスロ合意(イスラエル・ラビン首相、パレスチナ・アラファト議長、アメリカ・クリントン大統領)により、ヨルダン川西岸地区、ガザ地区が返還され自治区となる。自治区はパレスチナ人の土地の9%。

・2000年代に入っても、イスラエル軍のパレスチナ自治区への侵攻は繰り返され、多数の死傷者を出している。
 2003年以降、パレスチナを囲い込む全長700㎞に及ぶ巨大な分離壁(アパルトヘイトの壁)の建設が始まる。国際司法裁判所は違法勧告をするが、イスラエルは無視。

☆現在、パレスチナ自治区人口は約550万人(西岸330万、ガザ220万)、難民640万人(西岸110万、ガザ165万、他365万人は中東各地に離散)。 

 この号を書いていたところ、一冊の本が緊急出版された。岡真理(早稲田大学教授)の『ガザとは何か(パレスチナを知るための緊急講義)』(大和出版)である。昨年10月20日、23日の京都大学、早稲田大学での緊急学習会での講演をまとめたもので、この問題の歴史的文脈、根源が分かりやすく説明されている好著。京都の学習会で挨拶した西岸出身のパレスチナの方の言葉が心に痛い。「パレスチナ人が、祖国を喪失して七十五年、ガザと西岸が軍事占領されて五十年、そして、そのガザが完全封鎖されて、今年で十七年目に入る。なのに、いまだにパレスチナ人が犠牲者である、ということを世界に向かって説明しなければならないことに胸が潰れる思いだ、恐ろしくすら感じる」。岡さんも言う。「ナチスによるホロコーストと同じようなこと、ジェノサイドが、今、本当に、起きている。私たちの目の前で。私たちは、それをテレビで見て、知っている。世界が注視している中で、ホロコーストが起きている」。岡真理は、私が最も信頼するアラブ文学、パレスチナ問題の研究者であり、間違いなく現代が求める〝知性〟の一人だと思う。『アラブ、祈りとしての文学』(みすず書房2008)、『彼女の「正しい」名前とは何か(第三世界フェミニズムの思想)』(青土社2019)などがある。

※写真は2003年、ヨルダンから西岸地区に向かう途中。タクシー運転手と。
※詩の個人誌「CASTER」号外4号、2024.2.10より転載、

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