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「二十七、二十八、八」

8歳になった話



僕は歳を1つとった。27から28へ。

Twitterの僕は28歳になった日に8歳になり、使う言語や単語が減らした。
歳をとったのに20もの数が消えた。


え?

って思う方だらけだと思う。

ぼくはよこもじやむずかしいことばをつかうことにつかれました。
みんなブロックチェーンだの、NFTだのdefiだの、難しい言葉を使えば賢いと思い、周りもいいねでちやほやして、それをみて、ぼくは疲れたんだと思う。

だからひらがなとカタカナと小学2年生が使う漢字ぐらいでツイートをすることにした。僕じゃない僕がツイートするからすごく気持ちが楽になった。


1年ぶり28回目の今年こそは。


今年こそはって思って生きてるけど、

今年こそはなんなんだ、ぼくは目指す場所も分からずさまよっていつかは報われるって言ってるだけのつまらない人間になってしまった。

夢は?目標は?今は生きてるだけ、日々を流してるだけ、あの時見た夢の居場所はどこへ?今年の僕はどこへ?夢に終着点はあるのか。
そんなことを深夜に考えては眠りにつき、朝になる、朝になると昨日飲んだヤクルト1000のおかげかせいか、目覚めがすこぶる良い今日も日差しが眩しく、生きてる事を再度実感する。

終わりが決まってるならそれに向かうだけなのに僕らは終わりを知らされずに進んで止まって進んで生きてく。ただそれだけなのに僕はずっと止まっている。
常に隣り合わせにある自殺の選択肢を選ばないだけまだマシなのかもしれない、息吸って吐いて生きてるそれだけで僕たちは立派なのだ、成果とか実績とかいらないからどうかどうか生きて、好きなものにしがみついてでも、どうか生きて。

僕がやってることが将来誰かの1日でもこの世に留まる何かになればいい、それだけを目指す、1日だけでも誰かの何かになりたい、なっていたい。

僕は逆に、週刊のマンガ、あの監督の次回作、大好きなバンドの主催フェス、ロックバンドの次のアルバム、なかなか終わらない海外ドラマの結末、オープンワールドのハリポタのゲーム、毎朝のラヴィット、お決まりのベタ芸etc
楽しみにさせてくれていつも留まらせてくてる。すごく尊敬してます。


死を選ぶなんてせこいぞ。でもどうかしっかり休んでください。ヤー!!


奢ってもらったチャーハンの味を僕はまだ覚えている



28にも27にもなる前の話
僕は芸人として舞台に出てた。
その日は下北沢の小さい劇場、優勝には1万か5千だかの賞金があった。
相変わらず優勝なんてできるわけなく、優勝したのはお世話になってた芸人だった。
その人は同じ養成所に入ったにも関わらず、芸歴は10年をゆうに越してた。

その先輩が優勝した流れで下北の中華料理屋に連れて行ってくれた。
お世辞にも綺麗とは言えない店構えではあったが僕の経験上、この風貌のお店はうまいと確信していた。

店内に入り、対面に座りこの店をすぐスマホで調べた。
びっくりすることにここはブルーハーツの甲本ヒロトがよくきていたのだと、店内を見渡すとサインがびっしりあった、そこには甲本ヒロトのサインもあり興奮したのを今でも覚えている。

頼んで出てきたチャーハンは赤かった、悔しさとか忘れて食べた、顔に米がへばりつくほど
すごくおいしかった。

「まー今日は賞金あるから」と封筒から出して頂いた風景は、
すごくやさしかった。


何を食べるかじゃなく誰と食べるかだからとよく言うが、何を誰と、その両方が思い出になることもあった。

あの時賞金で奢ってもらったチャーハンの味とその人のことは僕は忘れない。




思い出とヤクルト1000と読んでくれるあなたのおかげで僕はまた書き始める、始めれる。ありがとう。

生きて生きて生きようぜ!







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