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帰りますかと言われ文学への讃歌

ともこさんを学校に送り届け、私は美野島に行きカウンターの塗装をする。
お盆であるにも関わらず電器職人さんが空調工事をしており、また階下では坂本さんと中牟田さんがトラックで作業をしており、しばらくすると東京から作家さんが場所の下見に訪れる等、別に私がいてどうこうということはないけれど現場の人たちの顔を見れたおかげで出向いて作業した甲斐があったように思った。

お昼には作業を終え、汗でびっしょりになった作業着を着替えて電器屋さんにお先に失礼しますと声をかけると、帰りますかと言われ何か引き留められる思いがした。
職人さんたちの仕事は坂本さんや前田くんにお任せしているので普段あまり皆さんと関わることがないが、一応依頼主の一人である私なので現場で人を見かけた際にはお疲れ様です等と声をかけるようにしており、先方からは誰だお前といった顔をされながら挨拶を返してもらったりする。
件の電器屋さんは何度も見かける方で時々作業について言葉を交わすこともあるので、何となく仲間と思ってもらえているような気がして、大学を出て以来職人仕事ばかりしていた私はとても嬉しい。
すみませんよろしくお願いしますと電器屋さんに返答して、帰宅し、洗濯をする間に仮眠を取る。

夕方ともこさんを学校に迎えに行き、業務スーパーに行ってすりごまと強炭酸レモン水を箱買いしておうちに送り届ける。
帰り道にここは牛の屠殺場であると教えられた建物があり、確かに精肉店が併設されているが近代的な工場でしかないその建物が普通の街中にあって何の違和感も感じさせなかったが、時折動物の鳴き声が聞こえて怖い思いをしたという話を聞いてからそのような世界が確かに普通と呼ばれる暮らしの裏にあるということを感じることができる。
いずれ何も隠さなくていい世界が来る。

帰宅してコーヒーを淹れて「私はゼブラ(アザリーン・ヴァンデアフリートオルーミ著、木原善彦訳、白水社エクスリブリス)」の続きを読む。
思いついた時に少しずつ読み進めている本だが、表紙になった自作「積み木あそび」はコロンビアでの「Layover」展に出品するため発送されており、SNSで展覧会告知をしたのであらためてまた読み進めてみようとしおり紐が差し挟まれている頁を開いて読むとこれまでと違いするすると文章が入ってくる。

今まで読みづらかった本書を読みながらこれはさらけだすzineピクニックで読んだzineたちの持つリズムに通じるものを感じて、著者のアザリーンが1983年生まれのイラン系アメリカ人女性であることと繋がる気がした。
さらけだすzineピクニックは初回を女性物書きたちが集って、普段の暮らしでは人に言いにくいことをzineのかたちにして吐き出してみることを試みたイベントだったそうで、しかし女ばかり集まってはさらけだしが足りないのではないかという意見の元、二回目のイベントに召集された男のうちの一人に私は加わっており、若い女性たちの普段接することのない内面世界と明け透けなイベントの雰囲気に大変刺激を受けた。
あのピクニックの姿を借りた明け透けさは福岡らしいイベントの形であって、井戸端会議やスーパーでの立ち話等に通じる見知った女達の心やすさかもしれない。
別にそこにおっさんが加わっていてもいい。

文学にはあらゆる悲劇、トラウマ、不寛容、悪意、軋轢、不理解、妄想、虚構を内包して単なる読み物にしてしまう解毒作用がある。
これはとても強烈な変換装置で、著者にとっては身を焼かれる思いで綴ったものでも、読者にとっては数多ある物語のひとつに過ぎず単なる紙の上のインクの染みであって、恐らくこれは恐怖や不安と向き合うために適度な距離を保ってくれるものだ。
映画や演劇はもっとドラマチックで人の時間と精神ごと巻き込む力があるが、その点書物は読者に委ねられている部分が多いし、読み物である以上は著者も多少なりと読み手を想像することで自己を客観視できるはずである。

そういった文学・文章の特性は過去にもまた未来にも識者によって十分に吟味されるだろうが、さらけだすzineピクニックで仲良くなった人たちに読んでもらいたい気になりながら、まずは私が読破せねばとゼブラの一人語り、文学への讃歌を目で追っていく。

歩きながら次々に部屋の明かりを点けると、目の前で暗闇が退却していった。硬く安定した壁が目に入った。キッチンの壁には、紐でつないだトウガラシが釘からぶら下がり、カウンターの上にはコーヒー豆の容器が置きっ放しになっていた。冷蔵庫を開けると、中身が半分だけ残ったマヨネーズの容器、ニンニク三片、生ハム一パック、マンチェゴチーズ、古いフランスパンがあった。私はパンを少しちぎり、ほおばった。そして思った。"パンより明白なものはない"。ドストエフスキーの言葉(『カラマーゾフの兄弟』からの引用)だ。

 大地の匂いに慰めを求める動物のように私は手の匂いを嗅いだ。土とタマネギの匂いがした。私はぼんやりと独りごちた。「ここはバルセロナ。"亡命の大旅行グランドツアー"が始まった!」と。私は夜の間に自分の体がベッドの支柱に縛り付けられ、いけにえにされる光景を思い浮かべて、ヒステリックに笑った。そして服を着たまま眠った。唇にはワインの赤色が残り、手のひらには古いパンを握ったままだった。その姿を空襲の後にヘリコプターから見下ろしたら、自分でもきっと死体と見間違えただろう。

コーヒーを飲み過ぎてヨガや瞑想をしても眠くなく、蒸し暑さはあるが山から来たであろう涼やかな風が開けた窓を通して入り込み続け天国の寝床に寝そべりながら闇夜に白く浮かぶ雲の早い流れを眺めて眠りについた。

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