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水汲みをやめる、チョコバナナワッフル、飯碗の米粒

水を汲みに早良に行くと、いつもの豆腐屋が休業になっていた。
他に水を汲める場所はいくつかあって、それではと別の所へ車を走らせるが、すぐにこの習慣をやめようという気になって引き返して仕事場に戻った。
昔付き合っていた恋人が水を汲むのが好きで、実際美味しい水が無料で汲めるところは案外あり、味が微妙に違っていたりして楽しくてやっていたのだけれど、一生懸命大事にしていたはずの彼女も去り、いまだに一人でペットボトルを何本も積んで車を走らせる習慣を続けているのが何だか馬鹿らしくなってしまった。

ギャラリーを見て回ってすでに日は落ち、人と話して少し疲れて土居町のシャポーでチョコバナナワッフルを食べた。
いつ食べてもふかふかで、甘すぎず、クリームが大量でとても好みだ。
以前、フルーツワッフルを食べたときにバナナがワッフルから跳び跳ねて床に落ち、店員さんたちが総出で処理してくれたことがあって、その時はされるがままにニコニコしていたはずで、今思い返すと幼児期の食卓というものはああいうものだったかもしれない。
その幼児返りした客だと覚えていたのかどうか、今日も至極丁寧に給仕会計をしてもらい、去り際お気をつけてと言われてやはりニコニコしていたはずだ。

昼は豆腐屋に行く前に、通り沿いのそば屋でかつとじ定食を食べたが、盆に載せた定食が置かれた後、おかあさんが飯碗の外側にくっついていた米粒をあらごめんなさいねと拭ってくれて、その時もとても楽しくなった。

アーティストのすうひゃん。さんがご自分の名前とアイデンティティーについて書いていて、読むうちに自分のことを考えざるをえない。

私は生粋の日本人で先祖が武士であることも分かっているのだけれども、慣れ親しんだ実家周辺は宅地開発のせいで子ども時分に遊んだ田園風景の記憶とは一変してしまったし、父親の実家はすでになく、母方の実家も懐かしい思い出の旧家は更地になってしまい、故郷の景色を求めて先祖が住んだという久留米の田舎を訪ねてみても丘陵にコンクリートで山肌を固められた墓地が広がっていて、それらの景色を思い出しいなくなった人たちのことを思い、一人で部屋にいる今の私を振り返り、果たして自分の求める古里というものは何処にあるのだろうと灰色な気持ちになる。
ずっと福岡で実家の近くに暮らしているけれど、ずっと帰る場所を探してさ迷っているようで、私は何処にいても本当に親しみを覚える場所がなくこれは割合寂しいことではないかと思う。

Kさんに教えていただいて毎日楽しみに読んでいる森宮雨さんの小説を読み、悶絶して、展覧会って素敵だなあと改めて思い、いてもたってもいられなくなって、黄昏流星群をKindleで読み始めると、こちらも圧倒的な悶絶となり、夜更かしとなった。
寂しさついでの夜更かしとしてはなかなか楽しく、いい加減感情の浮き沈みに疲れて寝た。


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