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AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第2集その5『鏡像の世界』

 時刻は正午をほんのわずかに過ぎていた。部屋に戻ると、昼食が配膳されている。その配膳はリアンの不意を突くものだったのであろう、彼女は枕を端末にかぶせて、そこに映るものを他者の視線から遠ざけるようにしながら、先に食事を始めていた。
「カレン、お帰りなさいなのです。」
 扉を開いて入室してきたカレンに、リアンが声をかけた。
「ただいま。疲れてないですか?」
「はい、まだまだ大丈夫なのですよ。」
 そう言って、匙を進めながら笑顔を見せてくれる。
「私もお昼をいただきましょう。」
 カレンも自分のベッドに腰かけて食事を始めた。
「そういえば、先ほどリンダさんがここを訪ねてくれたですよ。彼女は今日日勤なのだそうです。」
「それでは、午後から夕方の病棟の動きは、彼女に訊ねるとわかりそうですね。」
「はい、なのです。担当患者さんに何か変わったことがあれば教えて欲しいとお願いしておきました。彼女はこの病院内で疑う必要がないと思われる数少ない人物なのですよ。」
 そう言いながら、リアンは『真紅の雄牛』の瓶を傾けたが、それはすでに空っぽだった。
「えっと、カレン…。」
 リアンが恥ずかしそうに横目でカレンを見る。
「大丈夫、わかってるわよ。飲みすぎないって、約束できる?」
 その言葉に、リアンはいつものようにこくこくと頷いて答えた。
「じゃあ、今回は特別サービスです。」
 そう言って、カレンは『ある南の勝利』と呼ばれる高価な栄養剤を1ダース、リアンの前に差し出した。それを見てリアンの美しい瞳が一層輝きを増している。
 『ある南の勝利』とは『真紅の雄牛』や『怪物栄養』といったいわゆるエナジードリンクよりも高い体力回復と維持機能を伴う覚醒効果の大きい水薬で、1本当たりの内容量が少ないにもかかわらず、価格は倍程もする非常に高価なものであった。魔法社会において継続的な集中力や連続的な徹夜を求められる魔法技師などが、その肉体と精神の状態を少しでも良い状態に保つために好んで飲用するもので、効果の高さと引き換えに、その栄養価の高さから過ぎた飲用は少々身体に負担をかけることが心配されるものでもあった。カレンが買ってきた『ある南の勝利』や「24時間戦える」を宣伝文句にする『再充湯』が市場で人気を博していた。高価で手を出しにくいのは確かであったが、今朝方からのリアンの頑張りを見たカレンが、思い切って奮発したのである。
「ありがとうなのです、カレン。これでますます頑張れるのですよ!」
「くれぐれも飲みすぎてはだめですよ。あなたが頼りなのですから。」
 そう言って、二人は互いに笑顔を向けた。

「それでは、食器を下げて来るわね。リアンは監視を続けていてください。」
 食事を終えて、カレンは二人分のトレイを持って部屋を出ると、廊下に配置された配膳車のところに返却に向かった。ふと、マーク氏の病室の方を見やると廊下にストレッチャーが用意されている。どうやら何らかの患者の移動が午後に予定されているのだろう、そんなことを思いながら部屋に戻っていった。

 秋の陽は少しずつ、しかし夏の時期よりは足早に西へとかけていく。夜勤が割り当てられた二人には、勤務に拘束されるまでの間、自由に調査を実施できる時間がまだまだ残されていた。部屋の中では、リアンが端末上の魔法地図に視線を釘付けにしている。カレンが外に出た数分もあったかどうかという短時間の間に、『ある南の勝利』は早くも2本が空になってリアンの足元に転がっていた。

* * *

 午後病棟に大きな動きがあった。それは部屋の外の喧騒を知らせる聴覚情報としても察知できたし、リアンの手元の端末でも確認できた。
 ちょうど14時を回った頃であろうか、問題のシン医師、アブロード医師、エヴリン師長の三人が、マーク氏の部屋に一堂に会したのだ。おそらく、午前中に師長の言っていた、新しい治療の適性を見る検査のための3階への移動がまさに行われるのであろう。リアンとカレンの二人は、魔法地図上の光点を一心不乱に見やっている。精神科のアブロード医師とエヴリン師長はマーク氏の部屋を出た後、5階に留まり、シン医師は3階へと向かったようだ。彼がマーク氏を伴っていることは間違いない。二人の少女は互いに顔を見合わせ、頷いた。その後、シン医師は検査室のある2階へと移動した。何事かが確実に胎動を始めたようだ。カレンはその動きについて、つぶさにネクロマンサーに連絡する。彼女の側でも、マーク・ヘンドリクソン氏の、脳神経外科での検査のための移動については、カルテの回付を介して事前に把握できていたようであり、今後一層の監視を強めるよう求める旨の返信を二人によこしてきた。俄かに緊張が高まる瞬間である。

 それからしばらくして、15時を少し回った頃であろうか、少女たちの部屋をノックする音が聞こえた。リアンは慌てて端末を枕の下に隠す。その所作を確認してから、カレンが声をかけた。
「どうぞ。」
 扉が開き、入室してきたのはリンダ看護師だった。
「今朝リアンちゃんに頼まれていた、マークさんのことについてお知らせに来たわよ。夜勤の申し送りの時には二人にも正式な伝達があるだろうけど、先に伝えておくわね。先ほどアブロード先生のご指示で、マークさんが3階に移ったわ。これから検査で夕方には結果が出揃う予定よ。その内容次第では、即日3階に転科となりそうね。退院を挟まないのは珍しいケースだけど、前例が全くないわけでもないから、先生方に何かご事情があるのでしょうね。まあ、アブロード先生は副院長でもいらっしゃるから、その辺りはきっと問題ないのだと思うわ。そんなわけで、今日の夜勤から新しい患者さんがお二人には割り当てられるかもしれないわね。えっと、こんなところでお役に立てたかしら?」
 そう言って、リンダは二人に笑顔を向けた。
「はい、なのですよ。マークさんには元気になって欲しいのです。」
「本当にそうね。それじゃあ、私はまだ勤務中だからもう行くわね。」
 そう言うとリンダは部屋を後にした。これで、マーク氏をめぐって精神科と脳神経外科の両方の点がしっかりと線で結ばれた。彼女たちが睨んだとおり、両科の間に何か秘密の連携があるとすれば、早ければ今夜にも劇的な動きがあるはずだ。二人は魔法地図に一層集中した視線を注いでいく。1ダースあったリアンの秘薬はもう既に半分の栓が開こうとしていた。

 秋の陽が大きく西に傾く。赤みを帯びた光線が窓から室内に大きく斜めに差し込んできた。この時期の夕日の赤さは美しいが、それが沈む速度もまた駆け足で、天頂から瞬く間に濃紺の帳が降り始めていた。室内がどんどんと赤くそして暗くなる。それでもなお、二人の少女たちの視線は揺らぐことがなかった。

* * *

 せっかちな秋の太陽に触発されたのか、時計の針までが駆けていくようで、瞬く間に夕食の時間となり、それもつつがなく終わった。その間も二人は監視に余念がない。シン医師はしきりに2階の総合検査室と3階の詰め所、脳神経外科の診察室、それから自分の執務室を行き来している。マーク氏の検査が着々と進んでいることは間違いなかった。だが、まだ肝心の魔法拡張された秘密の空間に関する情報は得られないままでいた。ネクロマンサーが話していた、シン医師の執務室にある開かずの書類庫の中身を、使い魔経由で確認できないか、二人は地図と、常時刻々と表示されるその視覚情報の両方に食い入るように視線を注ぐが、肝心の動きはようとして確認できずにいた。疲れとともにいらだちが鎌首をもたげてくる。そうこうしているうちにも夜勤のための申し送りの時間が近づいて来た。カレンは、気分転換にシャワーを浴びようと提案し、リアンもそれに乗った。順にあたたかいお湯にその身を預け、日中の疲れを癒していく。室内にシャワー室が付いていたことは僥倖であった。シャワーを浴び終えた後、病院指定の看護の制服に着替え、その上にめいめいのローブを羽織って勤務に備えていく。時計はすでに22時15分を回っていた。
「少し早いけれど、そろそろ行くですよ。」
 端末を注意深くローブのポケットに仕舞いながらリアンが言った。それと反対のポケットはお気に入りの薬瓶で膨れていた。昼には一杯だったその箱にはもう2本しか残っていない。
「仕事はなるべく私がカバーしますから、リアンはできるだけ監視を続けて下さい。ただし、詰め所にいる時は気取られないようにくれぐれも気を付けて。」
 その言葉に、リアンは大きく頷いて答えた。二人は部屋を出て詰め所に向かう。そこには既に、申し送りの為、準夜勤の看護師と夜勤の看護師が揃いつつあった。今晩の夜勤は、リアンたち二人の他に5人の計7名で担当する。夜勤においては、定期的な各病室の見回りと患者からの緊急呼び出し(いわゆるナースコール)に備えるのが主な役割であり、一同が詰め所に集まる状況は稀であるため、監視の継続は日勤帯の勤務中に比べれば難しいものではなかったが、それでも細心の注意を払う必要があった。

 やがて、22時30分になり、申し送りが始まった。案の定、リアンとカレンの二人には、検査の為にマーク氏が3階に移動していることが伝えられ、今晩は5階に不在であるため、別の患者1名の見守りと看護をするよう仕事が割り当てられた。リアンは、病院が用意したカルテ記入用の魔術式電算装置の上に、一見して魔術動力を切った状態に見える端末をさりげなく置いていた。彼女の話では、以前リリー店長が見せてくれた『ハングト・モックの瞳』の仕組みを応用したとのことで、一見すると動力を切っているように見えるが、端末をある特定の角度から覗き込むと魔法地図を視覚に対して直接投影できるようにしたのだとのことであった。彼女は魔術的な機器の操作だけでなく、そうした機器を錬金術的に改造する知識と技術をも備えているようだ。誰しも意外な特技をもっているものだ。そうした分野をあまり得意としないカレンは、驚くとともにリアンをとても心強く感じていた。

 担当する5名の患者の様子を見て回る間、地図にこれといった変化はなかった。今朝方リアンが仕掛けたアラートにも反応がない。24時過ぎに、一度目の見回りを終えた二人が詰め所に戻ると、他の5人の看護師たちも同様そこに戻っていた。しばらく7名が揃って事務仕事などをすることになる。

 そんな時だった。

「来たですよ!!」
 はた目には事務処理用の魔術式電算装置を操作していただけに見えていたリアンがいきなり大きな声を上げた。周囲の視線が一斉に彼女に注がれる。
「あの、あの、お手洗いの時間が来たのです!とにかく行ってくるですよ!」
 そう取り繕うようにして、リアンは速足に詰め所を後にした。その不自然であどけない滑稽な様子を見て、看護師たちはくすくすと笑っている。もちろん、彼女の言う「来た」というのがもよおしなどでないことはカレンには明らかであった。
「様子を見てきます。」
 そう言って、リアンの後を追った。彼女は、人目の少ない廊下の突き当りを目指しているようだ。やがて、詰め所から容易には確認できない死角へと二人は至る。
「リアン、動きがあったのですね!」
「はいなのです。見てください。」 
 そう言うと、リアンは魔法地図をカレンも見ることができるように端末上に展開した。
 そこに表示されていたのは本来あるべきこの病棟の立体地図ではなく、一見それと同じように見えるが、全体を鏡に映したように反転した鏡像の世界であった。
「すごいわ、リアン!お手柄よ。」
 そのカレンの言葉に、ほんの少しだけ動く視線で応えつつもなお、その美しい瞳は鏡像の世界とその脇に同時に表示される使い魔の視線をとらえた魔術映像に見入っている。
「1、2、3…。」
 リアンは、記録されたその視覚映像の特定の場所を何度も見返しながら、何やら数を数えている。それを何度か繰り返した後で、
「わかったのですよ!!」
 ふたたび大きな声を上げそうになるリアンの口を慌ててカレンがふさいだ。そして彼女の耳元でささやく。

詰め所から死角の位置にある廊下の突き当たりで情報を確認するリアンとカレン。

「侵入方法が分かったのですね?」
「はい、なのです。」
 いつものようにこくこくと頷いてリアンが応える。
「総鏡張りの行き止まりの廊下で、一度背を鏡に預けてから、そこから遠ざかるように5歩進むです。その後、左回りに180度、鏡の方に向きを変え、それから一気に鏡に飛び込むのですよ!そうすればこの魔法空間に侵入できるのです!」
 その発見はまさにお手柄であった。しかし、あまりにも長時間二人そろって詰め所を空けるのは不自然だ。あくまでお手洗いに行く体でそこを離れたことになっていたからだ。先に出たリアンをまずは戻さなければならない。
「リアン、本当にすごいわ!びっくりです。でも、とにかくまずは先に詰め所に戻ってください。私はこのことを先生に伝えます。」
「わかりましたですよ。」
 そう言ってリアンは地図の表示された端末をカレンに預け、何事もなかったかのようにして詰め所に戻っていった。その背中を見送りながら、カレンは侵入方法を既述した文字通信に最新状態の魔法地図の静止記録とリアンの大発見を示す動的魔術記録を添付してそれをネクロマンサーに送った。数分のうちに彼女から返信がもたらされる。


 連絡をありがとう。お見事です。さすがですね。
 私はこれからすぐにその方法で3階の魔法拡張領域に侵入を試みます。添付してくれた魔法地図を見る限り、シン医師は鏡像内に位置する検査室に留まっているようですから、その隙に私は彼の私室を調査します。こちらでもシン医師の動向を常時把握できないのが残念ですが、とにかく細心の注意を払って調査を行いますから、シン医師に顕著な変化がある時はすぐに教えてください。
 それから、アカデミーの教授にもこのことをすぐに伝えてください。また、私がいいと言うまで絶対に二人だけで魔法拡張空間に侵入してはいけません。とにかくまずはアカデミーへの連絡を最優先し、私の指示を待って待機していてください。頼みましたよ。


 カレンは、了解した旨の返信を行った後で、ネクロマンサーに伝送したのと同じ内容に、今の彼女からの返信を添えてアカデミーで指揮を執るウィザードにそれを転送した。ウィザードからも、了解の旨と同様の注意を促す返信がすぐにあった。

 秋の夜が静かにその深さを増していく。ついにこの病院に潜む謎の空間がその口を開けた。高まる緊張を胸にカレンは詰め所へと戻っていった。

* * *

 その空間は、いつもの病院と同じと言えば同じであったが、その構成は左右が完全に反転した文字通りの鏡像の世界で、何とも言えない薄気味悪さとこの季節にしても寒すぎる不自然な冷ややかさに包まれていた。
 今、ネクロマンサーは周囲に細心の注意を払いながら、その鏡像の世界を進んでいる。先ほどカレンを通じてリアンが教えてくれた方法を実践すると、この領域に侵入するのは容易であった。それは一種の簡易的な道順暗号ともいえるもので、単純ではあるがよく考えられていて、日常の状況の中で偶然ここに迷い込むということはまずありえないような慎重な構造になっていた。しかし、ここが鏡像の世界であるということさえわかれば、探索自体はそれほど難しいことではない。はじめネクロマンサーは死霊を召喚して、それらに周囲を警戒させようかとも考えたが、この秘密の魔法拡張空間内で魔法を行使することが、どのような影響を及ぼすかが未知数であったため、敢えて自分の脚で探索を敢行することに決めたのだった。
 幸い、カレンが送ってくれた最新の魔法地図の情報では、シン医師は鏡像世界の中の検査室にいることが分かっている。そこは彼の執務室からはいくぶん距離があるから、そこで彼が何事かを成しているうちに、まずは彼の私室を調べよう。そう思い定めて毎日勤務しているのとは左右逆のその部屋を目指して進んで行った。
 周囲を警戒しながら扉を静かに開けると、室内も完全に鏡像で、すべてが左右あべこべだった。しかし、赴任初日からずっと気になっていた開かずの書類庫は健在である。ネクロマンサーは巧みに足音を殺してそれに近づく。表の世界のそれは『不触の鍵:Invisible Keys』の術式には全く反応を示さなかったが、彼女は今、鏡像の世界のそれに対して、出力を最大にした『不触の鍵:Invisible Keys』の術式を試みていた。

『錬金の力を司る者よ。我にその技巧を授けよ。閉ざされたものを開き、開かれたものを閉ざせ!(最大級の)不触の鍵:- Maximized - Invisible Keys!』

 表の世界では何の反応も示さなかったそれは、カチャリという小さな金属音を奏でて、今度はその戒めを解いてくれた。どうやら、表の世界に見える書類庫は鏡像の世界にあるそれの投影に過ぎないようで、簡単に言えば存在を認識できるだけで、そこに実態はなかったのである。どおりで、あらゆるレベルの開錠術式が全く効果を発揮しなかったわけだ。

 ネクロマンサーは、周囲の警戒を一層慎重にしながら、静かにその扉に手をかけた。見事に左右が反転しているそれは、現実世界にあるのとは逆の方向にその重い口を開けていく。

 その中を覗き込むや、ネクロマンサーは俄かに信じられない驚きと衝撃に襲われた。なぜなら、そこに仕舞われている最も大きな書類束の背に、P.A.C. の文字列を発見したからである。もちろんそれが、かのマークス・バレンティウヌの呪われた狂気の実験、すなわち Production of Artificial Creatures を直ちに意味しているとは限らない訳である。しかし、あまりにも奇妙な一致にその美しい黒い瞳には不安と動揺の色が浮かんでいた。

ネクロマンサーがついに開錠に成功したシン医師の執務室の開かずの書類庫。

 彼女は、最も主要であろうと思われる、書類束を静かに引き出してそれに目を通した。幸いそこに記載されている文字は鏡文字ではなく、そのまま読むことができた。しかし、その瞳に浮かんでいた不安と動揺は、読み進めていくうちに、追憶によってもたらされる、ある種の輪郭を伴った不穏を彼女の心の内に惹起していった。


崇高なる計画の継受と実現
― 大いなる存在の復活と再臨のために ―

創世年紀2322年6月18日
崇高な志を同じくする親愛なる同志諸君
概 要:途絶えた P.A.C. 計画の継承と新しい人工生命製造の可能性

 諸君が知る通り、我々は大いなる悪辣の魔手によって尊い存在を失ってしまった。しかし、かの偉大なる我らが先生の意思と研究をこんなところで潰えさせるわけにはいかない。すなわち、人工の魔法生命体の製造とそれを戦力とした魔法社会の新しい支配秩序の実現である。偉大なる指導者を亡くしたが、幸いにして先生の崇高なる残滓は今なお我々の手中にあるのだ。喜ばしいことに、先生はその精神を魔術記録として保存しておいでであった。そこから、生前の先生の御記憶に実体を取り戻してこの世界に引き戻す手段は着々と整いつつある。それを収めるための器もまた、我が研究によって既に現実のものとなった。失われた先生を再臨させ、再び我らが至高の夢を紡ごう。以下は、我らの悲願実現のために私と同志たちが編み出した術式の概要である。

1 脳髄を人為的な生命制御装置に応用すること

 人間の脳髄は医学的にはその体躯と一体不可分である。しかし、自然科学的に客観視して分析すれば、それは張り巡らされた神経組織から構成される一種の高度な計算装置であり、神経伝達物質を介した電気的作用によって情報を制御している一種のシステムであると見做すこともできるのだ。
 私は実にそこに着目した。すなわち、生体から脳髄を摘出し、それに蓄積された情報を外的に操作して、身体制御のための中央演算処理装置として魔術的に仕上げることができれば、我々はタンパク質等から形成される脆弱な肉体に縛られることなく、錬金的あるいは機械的に構成された遥かに高性能かつ高機能な体躯を意のままに操る強力な生体兵器を製造することができる。否、生体兵器と呼ぶのは不適当であろう。それはまさに人機一体の全く新しい生命体であって、演算制御装置として搭載された人為的脳髄が破壊されない限り、無限にその体躯における能力と機能を拡張し、兵器としての応用性の範囲を拡張することができる。また、魔術的に記憶を複写することによって、人為的に存在を永続化することさえできる。これは、実に素晴らしいことであって、体躯的には人間を遥かに凌駕する破壊力と耐久性を持ちながら、同時に人間と同様の高度な身体制御機能を可能にする人工生命体の完成に導かれるのだ。従来のアンデッドを基盤とする人工生命体とは、隔世の性能を発揮することが期待できる。
 私はすでに、人体から摘出した健康な脳髄を魔術的かつ錬金術的に外科操作することで、『人為の脳髄』とでもいうべき体躯制御装置の開発に成功した。

【資料1】完成した『人為の脳髄』のテストタイプ。既に十分な性能が確認される。

2 人為的な体躯を構築・生産すること

 先生の御意思を継ぐにふさわしいこの崇高なる計画を実現するためには、人間、とりわけ厄介極まる魔法使いどもの身体的または魔法的特性を凌駕して、その脅威に十分に耐え得るだけの屈強極まる人工の体躯を構築・生産できなければならない。先生の研究に唯一の弱点があったとすればこの点である。アンデッドを素体とする限り、どれほど魔術的に優れた体躯の制御装置を組み込もうとも、根本の問題として体躯がもろすぎるのだ。この点にはもちろん先生もお気づきで、さまざまの工夫を凝らされてきたが、完成には今一歩及ばずにおられた。しかし、このままでは、この魔法社会を不当に統治する忌々しき魔法使いどもの手から奪取することは非常に難しいと言わざるを得ない。魔法という一種のインチキによって、社会の支配が独占され、あらゆる名声と富が彼らに集中する現状に私は耐えかねるのだ。しかし、かの素晴らしき先生は、残った課題を明確に示すという形で、それらを克服する機会を我々に与えてくださったのだ。その慧眼はまさに敬服に値する。
 以下が、私とその協力者たちが、錬金術的に開発に成功した『人為の体躯』のプロトタイプである。まだ試作段階であり、兵器としての十分な能力を発揮することはできないが、しかしコンセプトとしての完成度は既に極まっており、あとは錬金術の更なる発展と、より優れた錬金素材の登場を待つばかりである。しかし、奇しくも、愚かなる魔法使いどもの研究熱心さによって、それらの諸課題は次々と解決に向かっており、事実、資金の問題を度外視して法石を多量に用いれば十分な魔法特性をもつ『人為の体躯』を製造可能であることがシミュレートから確認されている。

【資料2】『人為の体躯』のプロトタイプ。課題は多いが、可能性は十分に確認されている。
【資料3】錬金術の粋を集めて製造した『人為の体躯』の実戦テスト・モデル。

3 人為の脳髄に人為的に叡智をさずけること

 更に、我々の協力者の一人が、『人為の脳髄』に対して情報を入出力する方法と、その制御を魔術的・自動的に行う装置としての『人為の叡智』の開発に成功した。これは極めて画期的なことであり、私はシアノウェル医師への感謝を忘れることはできない。この技術とその器としての『人為の脳髄』を融合することによって、自律的思考と判断の力を有しながらも、なお我々の命令を従順に遂行する素晴らしい『人為の生命体』、いうなれば究極を越えた P.A.C.『Far-Beyond Production of Artificial Creatures』の製造がついに現実のものとなるのだ。その時期はもはや遠くなく、もはや我々の現下の課題は、神経回路の集合体としての器質に優れる健康な脳髄の数を如何にして確保するかという問題に集約しつつある。これは計画の前進と言う点でいえば、根本障壁となる諸課題はもはや解決されており、現実的で物理的な課題だけが残されているに留まるという極めて明るい見通しを示すものであるのだ。
 私は、我らの最終目標である最強の兵器生産になぞらえて、これらの素晴らしい技術の総合体として導かれる『人為の生命体』を W.A.C. すなわち、Weapons of Artificial Creatures と命名したいと考えている。これは先生の御意思を正しい方向に拡張し、その大望をいよいよ実現するものであると確信している。

【資料4】『人為の叡智』の基幹部分。これにより自律思考と自律制御能力を賦与できる。
【資料5】『人為の叡智』と『人為の脳髄』の融合体。我々の技術の粋であり結晶である。

4 先生の再臨に関すること

 我々が遂に到達したこれらの技術を総動員することで、先生をこの世界に再臨させることができる。それは人工生命体の創造であると同時に、人為の手段による生命の超越的復活という奇跡の技ですらあるのだ。先生が復活され、この世界に再臨される日のことを思うと、私の全身は興奮と激しい振戦に襲われる。全てはもうすぐなのだ。
 人工的精神の器である『人為の脳髄』、そこに新しい人工生命を吹き込む『人為の叡智』、そしてそのうちに形成される人工的意思を物理的・魔法的に実現する『人為の体躯』、これらが三位一体になる時、先生はこれまでと全く異なる存在性と絶対的な力を有する、いうなれば『人為の神』としてこの世に再臨なさるのだ。その約束の時は近い。
 我々は再臨された先生に永遠の忠誠を捧げ、この魔法社会の腐敗し切った誤った倫理秩序を破壊して再構築し、我々の卓越した自然科学と錬金術が支配する新しい社会構造を実現しよう。そこではついに魔法などという呪わしい軛から人類は解放され、優れた力の持ち主に愚民が従うという理想的な社会が誕生するのだ。私はその瞬間を同志諸君とともに迎えられる日を心待ちにしている。

5 結語

 大望の実現まであとわずかである。これまで多大な労力を投下し、貢献してくれた同志諸君とともにこの社会の覇権を掌握しよう。まもなく我々の時代が到来する。

作成者:シン・ブラックフィールド


 美しい黒い瞳に明らかな動揺の色が浮かぶ。この著者はいったい何を言っているのか?「魔法社会の秩序の転覆と再構成、そして新しい支配」どこかで聞いたことがあるような追憶が脳裏を巡るが、しかし、この記述にはかつて経験した神秘性や人間の根源に通じる思料が全く感じられない。先のそれも十分にいびつでゆがんだものではあったが、それでもそこには縁や愛といったような、魂と人の存在を巡る神秘が確かに輝いていた。しかし、目前のそれからは、悪意と欲望、そして邪悪な狂気しか感じられない。その資料を持つ手が激しく震える。それは怒りを通り越した一種の恐怖から来るものでもあった。「先生」とは果たして誰を指すのか?まさか、かのパンツェ・ロッティ教授を邪悪な方法によって復活させようと目論む勢力がいるというのだろうか?しかし、それにしては…。彼女の心は、動揺と同時に強い違和感に支配されていた。
 乱れる心を必死に自制しながら、ネクロマンサーは自分の端末を取り出し、ウィザードに連絡をとって、今見知ったことをつぶさに報告した。彼女は、危険が差し迫っているから、学徒達を連れてすぐに病院を離れるように指示を送った。ネクロマンサーは直ちに同意し、その呪われた鏡像の世界に広がるシン医師の部屋を立ち去ろうと立ち上がったその時だった。

「おやおや、これはまたずいぶんと手癖の悪い先生もいらっしゃったものだ。」
 聞きたくなかった声が背後から響く。その声はもはや取り繕うことをせず、その音律のうちに邪悪な響きを存分に載せていた。
「他人の留守中に勝手に書類を盗み見るなど、そんなことではかわいい学徒達に示しがつきませんよ。困ったお方だ。」
 おぞましい笑い声を伴って言葉が伝わる。
 恐る恐る振り返るとそこには豹変したシン・ブラックフィールド医師がたたずんでいた。
 ネクロマンサーは固唾を飲む。その手に握られた端末の通信はまだ途切れていない。そこから、「おい、どうしたんだ?返事をしろ!!」というウィザードの声がこぼれている。
 鋭い緊張が、鏡像の世界に張り詰めていた。

to be continued.

AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第2集その5『鏡像の世界』完

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