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AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第2集その6『鏡の中の狂乱』

「まあ、先生、そう固くならずに。」
 一触即発かと思われたとき、悪意を全面にたたえたその相貌は思いがけない言葉を発した。対峙するネクロマンサーの体には一層の力が入る。
「どういう意味ですか?」

深夜の胸像の世界で不意の邂逅をしたシン・ブラックフィールド医師。

 訝しがるネクロマンサーに対して、男は不気味な色を放つ瞳を少し上目遣いにして言った。
「私がこんな小細工に気づいていないとでもお思いでしたかな?」
 そう言うとシン医師は、それまで自分を監視していた、頭上に揺らめく空間の歪みを乱暴に鷲掴みにして、リアンの放った使い魔の姿をあらわにすると、いまいましくそれを床に打ち捨てた。おそらくその一連は、監視を続けるリアンにも伝わっていることだろう。
「こうまでして、我々の秘密に関心を寄せてくださる方がいるとは。」
 そう言って、彼は口元を不気味に歪めた。ネクロマンサーに一層の緊張が走る。
「どうですか、先生?そこに記されたことをお読みになって、どうお感じになりますかな?」
 シン医師は奇妙なことを訪ねてくる。ネクロマンサーはいまいちその意図が読めないでいた。
「これまでとは全く異なるあり方の、完全に新しい生命体の製造、及びそれによる魔法社会の新しい秩序の樹立。すばらしい計画だとはお感じなりませんか?」
 ネクロマンサーは眉をひそめる。
「と言いますのもですね。こんな小細工を弄してまで私をつけてくるあなたには、私の方でも興味がありまして。というより、私はその実あなたの極めて洗練された高度な画像診断技術を高く買っているのですよ。」
 意外な言葉が展開される。
「我々の計画をよりよく完遂するためには、魔術と医療の両面に精通した人材が渇望されます。その点、あなたは実に理想的な能力と適性を備えておいでだ。だから、あなたがたに何らかの意図があるだろうということは承知で、敢えてここにお招きしたのですよ。」
 その声が狂気の色彩を増してくる。ネクロマンサーは全身に一層の緊張がもたらされるのを感じていた。
「どうでしょう、先生。せっかく先生も我々の素晴らしい研究の一端をご覧になられたわけです。あなたほど聡明な方ならば、これから先の展望について建設的な発想と発見がきっとお出来になるはずでしょう。悪いことは言いません。これも何かの御縁(えん)ですよ、我々と手を組みませんか?」
 こともあろうに、目の前の存在は、懐柔と協力の要請を試みているのだ。もちろん、ネクロマンサーにそんな意志は微塵もないが、敢えてこう聞いてみた。
「その計画書の中に記載されている『先生』とはどなたのことですか?」
 それを聞いたシン医師の瞳に不気味な光が乗る。
「『先生』のご存在に着眼されるとは、実にお目が高い。しかし、それを明かすより前には、あなたが我々の味方であることを先に示してもらわなければなりません。」
 真剣味と狂気が同居する歪んだ瞳が迫ってきた。
「いかがですか?あなたのお返事次第では、すべてをお話しましょう。私としては是が非でもあなたのその卓越した才能と技能が欲しいのです。計画成就の暁には、あなたにもきっとこの社会の覇権の一端を担わせて差し上げましょう。決して悪い話ではないと思いますよ。」
 そう言って口元を歪めた。

 深夜の静けさと、その鏡像の空間を支配する異様な寒さが緊張に一層の拍車をかける。あたりは薄明るい不気味な魔法光の間接照明に照らされ、その只中に、秘密を暴露してその用を終えた書類庫だけがぼんやりと大口を開けていた。

* * *

「お断りします。」
 静かに、しかりきっぱりとネクロマンサーは言い放った。さもありなん、という、ある種得心のいった表情でシン医師は言う。
「そうですか。まあ、そうでしょうな。しかしなんとももったいない。あなたほどの才覚と能力があれば、新しい社会をよく治め我々とともに素晴らしい未来を見ていただくことができたでしょうに…。まあしかし、我らが先生の崇高なる御意思は、そうそう簡単に理解できるものではないと、そういうことなのでしょうな。」
 落胆とはまた違う独自の感想を述べながら、シン医師はその瞳の色を一層邪悪な色に染めていった。
「これ以上の問答は埒もない。仕方ありませんな。ここを知られたからには、あなたには消えてもらうより他ない。」
 リアンの放った使い魔を無慈悲に足で踏みにじりながら、その声は語った。二人の間の緊張が一気に高まりを見せる。
「あなたの卓越に対する、私のせめてもの誠意と敬意ですよ。我々の計画がいかに深遠で崇高なものであるかをその身に刻みながら、この世の役目を終えられるがよろしい。」
 そういうと、シン医師は執務室内に置かれた作業机の上から1本のシリンジを手に取り、おもむろにそれを自分の脇腹に注射ると、同時に呪わしい声で詠唱を始めた。

『偉大なる人智よ。奇跡の枷を超克せよ。我らは新しい世界の開拓者なり。人の可能性を具現化し、大いなる力を我が身において実現せよ。人の革新:Realize W.A.C. on my physique!』

 その声とともに、彼の足元には大きな魔法陣が展開し、その全身をまばゆい魔法光が包んでいく。その光の塊はみるみるうちに大きくなり、それを巨躯の魔物へと変換していった。やがて翳(かげ)るその魔法光のなかから、おぞましい存在が姿を現す。

* * *

シン・ブラックフィールド医師が転身した姿。錬金的で頑強な肉体に包まれている。

「どうですかな、先生。すばらしいとは思いませんか?我々とともに来れば、あなたもこの力を手にすることができるのですよ。」
 重く人工的に輻輳する声で語る錬金術的で機械的なその巨躯は、ゆうに3メートルに迫ろうかというもので、膂力に優れるのみならず、高い魔術的特性を有しているのであろうことは一見して明らかであった。その瞳は妖しい魔術光を煌々(こうこう)とたたえている。
「もう一度だけ、機会を与えましょう。こう見えて私は実に慈悲深いのですよ。またあなたの才能と能力は実に惜しい。どうですかな?考えを改めませんか?あなたのかわいい学徒たちの安全のために賢明を要する、ということもありますしな。」
 右手に、攻撃的な魔術光を滾(たぎ)らせながら、説得とも脅迫ともつかない調子でその巨躯は決断を迫ってくる。
「答えは同じです!」
 そう言うと、ネクロマンサーは彼から距離を取った。それを追うようにして電磁的な力がシン医師の手からほとばしる。それは轟音とともに室内を無分別に破壊していく。非常に強力なものではあったが、それは魔法ではなく魔術的な力の発現であった。身を翻しながら防御障壁を巧みに展開することで、その第一陣を退けることはできたが、まともに組み合うにはあまりにも分が悪い。彼が行使する力が魔法ではなく本当に魔術なのであるならば、継戦能力に圧倒的に差があることになる。加えて、彼は物理的な攻防の点でも、人間の力を遥かに凌駕していることは一見して明らかだ。ネクロマンサーのうちに色濃い焦りがこみ上げてくる。

* * *

 シン医師はよほどその力に自信があるのか、一気に畳み掛けてくることはせず、威容をたたえまたまま静かに佇んでいる。その瞳だけが一層怪しい輝きをたたえていた。

「これを使うのはあまり気が進まないのですが…。」
 そう言うと、ネクロマンサーはフードの下に身に着けていた髪飾りを右手で取り外した。それは相当に高位の魔法具のようで、彼女の髪を離れてその手に移るや、伸展拡張して小ぶりの短刀に姿を変えた。

ネクロマンサーの髪飾りが姿を変えた短刀。

「そんなもので、この私と渡り合おうとおっしゃるのですかな?なんとも無謀なことを。」
 シン医師はそう言うと重く低い笑い声を響かせた。
「この素晴らしい体躯、洗練された力、圧倒的な存在感、それを目の当たりにしてなおも抵抗を試みるとは、その心意気だけはお見事と言わねばなりませんな。実に惜しいことですよ、先生。」
 不敵な笑みはなおも止まらない。

「買いかぶっていただいても何も出ませんよ。もっとも、あなたの力が脅威なのはどうやら事実のようですから、私の方ではこうさせていただきます。」
 ネクロマンサーは毅然と言い放つと、詠唱を始めた。

『生命と霊性の安定を司る者よ。秘宝を介して助力を請わん。冥府の門より誘われし大いなる力を我が身に宿せ。その力を我が血肉としよう。死霊憑依:Specter Form!』

 彼女の詠唱とともに、その頭上には冥府の門が現れ、あたりに青白い不気味な光をただよわせた。そこから一筋の白い靄(もや)が導き出されたかと思うと、それは彼女の全身を取り巻くようにしてそこに乗り移る。刹那、彼女の内から膨大な量の魔力がほとばしり、その身体をいくぶんか大きく屈強なものに変容させた。なんと彼女は、召喚した死霊を自らの身体に宿すことで、その身体的・魔法的能力を霊的に拡張したのだ。錬金術と魔術によってその身体を物理的に拡張したシン医師の術式とは実に対照的な所作であった。

『死霊憑依:Specter Form』の術式によって、存在の霊性を一時的に高め全体的な能力を向上させるネクロマンサー。魔法的にだけでなく、身体的にも強化されている。

「おやおや、先生も我々とずいぶん近いところにいらっしゃるではありませんか?実に素晴らしい!その力、俄然欲しくなりますな。」
 そう言うと、彼はその手から雷撃を伴う電磁波のような力を解き放った!
ネクロマンサーは先程手にした短刀を中心に展開した防御障壁でそれを受け止める。その身体と魔法力は憑依させた霊体によって余程に強化されているのであろう、シン医師の放った力は瞬く間に霧散した。
「御冗談はもうそれくらいに。私にその意志は全くありません!」
 憑依した死霊の影響を受けてか冷たく不気味な響きを伴う声でネクロマンサーは彼の興味を重ねて拒絶した。
 今度、シン医師は錬金銃砲を打ち出してきた。しかし、半分霊体化している彼女の身体にそれが致命的な損傷を与えることはない。シン医師もその力に改めて驚いているようだ。今度は反対に、ネクロマンサーが『招来:Lightning Volts』の術式を放つ。薄暗い室内に昼光が明滅し、雷鳴とともに鋭い稲妻がシン医師の巨躯を捉えた。しかし、彼はそのほぼすべてを真正面から受け止めてなお平然としている。どうやら、その体躯を構成している法石と錬金金属によって、魔法の力を大幅に減衰あるいは無効化できるようだ。中等術式であるとはいえ、死霊化によってその基礎威力と輻輳は段違いに強化されていたが、ことほど左様に、効果はほとんど得られなかった。シン医師の瞳には余裕と確信の色が浮かんでいる。
「無駄なことですよ、先生。魔法などというインチキは、我らが卓越した技術の前ではもはや用をなさぬのです。魔法が支配する時代は終わりました。これからは、神秘ではなく人間と力の時代です。」
「愚かなことを…。」
 霊的に揺れる声でそう言っては見るものの、眼の前の力は確かに本物の脅威であった。とにかく、何か有効な攻撃手段を考えなければ!
 どのみちここには彼女一人しかいない。何となれば天使化して対抗することもできないわけではない。しかし、ここで自分が天使であることを知られることは事態を一層複雑にすることが容易に予想された。まして、あのおぞましい計画書に記された「先生」なる存在が仮にパンツェ・ロッティなのだとすれば、天使の力が実在することを教えることは敵にむざむざ塩を送るも同義だ。なんとしても、天使化は避けて目前のこの脅威と対峙しなければならない。

 ネクロマンサーの全身をなお一層の緊張が支配する。長い秋の夜は、夜明けが近づくどころか、その帳を一層暗く深く落とすばかりで、冷静な彼女の内に焦りが募っていった。

* * *

「さあ、先生。無駄なことはよしましょう。そのお力は実に素晴らしい。私はあなたをこの上なく評価しているのですよ。唯一、それが魔法などというまやかしに立脚しているのだけがよろしくない。もっと完成され、洗練された力に我々は到達したのです。活かすべきところでその力を存分に活かそうではありませんか!」
 不気味に響く声で、シン医師はなおも懐柔を試みた。まともにやりあったのでは、魔力枯渇のおそれを抱える彼女の方が明らかに不利だ。どうする?死霊に憑依され、黒とも白ともつかない霊的な輝きを放つ、しかしその美しい瞳は、矢継ぎ早に考えを巡らせていた。魔法的に対処することが難しいのならば!そう思い定めて彼女はひとつの術式を詠唱した。

『現世に彷徨う哀れな死霊たちよ。法具を介して我と契約せよ。我がもとに集い、その身を刃となせ。怨念と怨嗟に形を与え、その恨みを存分にはらすがよい!(最大級の)武具憑依:- Maximized - Possessed Weapons!』

 再び彼女の頭上に冥府の門が開くと、あたりは青白い妖しい魔法光に照らし出された。そこから無数の死霊が姿を表し、彼女の短剣の刃を覆っていく。やがてそれは、霊的に構成されたおぞましい刃をもつ長剣へと姿を変えた。

『(最大級の)武具憑依:- Maximized - Possessed Weapons』の術式によって、霊を刃とする長剣を生み出したネクロマンサー。

 どうやら彼女は霊的に強化されたその剣を用いて、物理的な白兵戦で彼と対峙する覚悟を固めたようだ!剣を構えて、慎重にシン医師との距離を測る。

「ますます素晴らしい!そんなことまでお出来になるとは。卓越した人材とはどこにでも存在するものですな。しかし、その力が適宜・適切に活かされないことほど悲しいこともまたありません。いいでしょう、そこまで死を望むというのであれば、せめて私がこの手で葬って差し上げます。もっとも、その素晴らしい頭脳さえ形を留めていてくれれば、あなたを再び、もっともっとはるかに理想的な姿でこの世界に呼び戻すことは造作もないことなわけではありますが!」
 そう言うと、シン医師はくくくと地を這うような不気味な笑い声を上げた。それは、狂気と科学的確信が結びついた、歪曲の一つの到達点であるように思えた。

 ネクロマンサーは突進的に一挙に彼との距離を詰めると、死霊の剣を力強く薙ぎ払う。それはシン医師を覆う頑健な体躯を正確に捉えた!刃と触れたシン医師の体は火花を上げて、太刀筋に沿った切断面を見せる。どうやら通用はするようだ!

「ほう、この身体に傷をつけるとは。大したものですな、先生。潰してしまうには返す返すも実に惜しい。」
 そう言うやその巨躯は拳に魔術の力を滾らせて思い切りネクロマンサーの横っ面に拳を浴びせた!
 その勢いで後ろ手に飛ばされるネクロマンサー。室内に置かれた長椅子に身を預ける形でその背を強(したた)かに打ち付けられる!霊体化しているため、直撃の場合よりは損傷が緩和されてはいるが、それでも相当の痛みと衝撃が全身を覆う。

「やりますね!」
 そう言うや、剣を構え直す。再び一気呵成に距離を詰めて、下から上に剣を薙ぎ払った。しかし、シン医師の屈強なる人工の腕は、魔術的作用を駆使しつつその刃をしっかと素手で受け止める。刃を握るその手からは、火花のようなものが飛び出していた。霊の刃とのその手の間に、何らかの魔術的な斥力を生じているようだ。
 彼は刃を握る手に一層の力を込めると、その腕を乱雑に振り回した!

 ネクロマンサーの身体は宙に浮き、放り投げられる格好で、壁面に設置されたキャビネットに激しく打ち付けられた!その場にしゃがみ込むようにくずおれるネクロマンサーの身体を、キャビネットからこぼれ落ちた書籍や書類束の類がなおも激しく打ち付けて止まない。強い!

 霊体化によって損傷を緩和できるし、魔力枯渇の心配も喫緊でこそなかったが、有効な攻撃をほとんど見いだせないのが苦しい。肩と胸を大きく上下させながら、霊的に明滅するその美しい瞳は醜くも頑強なシン医師の巨躯をなおも捉えていた。
 それは再び、雷撃を伴う電磁製の衝撃波を放った!襲い来るその波に全身を捉えられ、激しく苦悶するネクロマンサー。徐々に、しかし確実にして体力を奪われていく。確かに、これまで組みしてきた相手とはまったく方向性の違う力を、目前の脅威は有していた。魔法使いを滅ぼし、社会の中枢を破壊して奪うというその主張は、単なる滑稽や妄想ではないのだという印象をネクロマンサーは強くした。

 シン医師がゆっくりと近づいてくる。立ち上がろうとするが、痛みのために思うように体が動かない。
 彼はその丸太のような腕を伸ばすと、ネクロマンサーの胸ぐらを掴んで引きずり上げた。彼女はその手の中で、宙吊りにされた格好だ!激しい痛みと息苦しさに襲われる。

「私の先生は実に慈悲深いお方でした。私も常々師に倣ってそうありたいと思っております。どうでしょう?今しがたあなたの見せてくださった力はあまりにも素晴らしい。それは新しい社会の秩序のもとで存分に活かされてこそ輝くものだ。悪いことは言いません。負けを認め、我々に与しなさい。そうすれば、あなたにも、子どもたちにも十分すぎるほどの恩恵が与えられるのですから。さぁ、その剣を捨て、憑依を解きなさい。」
 不気味な瞳が決断を迫る。首元を締め付けられて息苦しさは一層だ。次第に意識も遠のいていく。その説得的な言葉とは裏腹に、彼はトドメを刺すべく、彼女の身体を蹂躙しているのとは反対の手に致死性の魔術の力を滾らせていた。
「どうですかな?」
 勝利を確信したどす黒い声が耳に届く。ネクロマンサーは苦悶に耐えながら、遠のきかける意識を必死に繋ぎ止めていた。

* * *

 その時だった!

 誰もいないはずの、また外界には知られてはいないはずのその鏡像の空間に『転移:Magic Transport』の術式ものと思われる魔法陣が描き出され、そこから何者かが姿を表した!

『水と氷を司る者よ。法具を介して助力を請う。我が手に数多の氷刃を成し、それらを狂乱の円舞に導かん!我が敵を切断し、それを殲滅せよ!(拡張された)氷刃の円舞:- Enhanced - Waltz of Ice-Sowrds !』

 展開された魔法陣はまばゆい魔法光を放ちながら無数の氷の刃を描き出して、シン医師の巨躯を次々と切りつけていった。それは一見『氷刃の豪雨:Squall of Ice-Sowrds』のようでありながら、一定領域に存在する敵性を集団的に攻撃するというよりは、狙いを定めた対象を幾重にも繰り返し切り裂くような、そのような術式だった!
 ネクロマンサーの胸元を掴み上げていたその右腕は、氷刃の多重的・多層的な襲来によって切断され、もぎ取られ、彼女の身体をその脅威から開放した。その切断面は、血液の流出や痙攣といった動物的な反応の代わりに、飛び散る火花と漏れ出るオイル、砕け散る金属片といった実に無機質で機械的な様相を呈している。痛みを感じるではないようだが、その突然の出来事にシン医師は驚きを隠せないでいるように見えた。

 やがて、魔法陣が放つ光が静かに翳(かげ)り、そこから見知った人物が姿を表した。彼女は、増魔のリボンで二つ結びにした美しい銀髪をなびかせ、流麗な黄金色の瞳を輝かせていた。

魔法陣の中から姿を表し、窮地を救ってくれた人物。その行使する魔法は卓越していた。

 ソーサラーだ!
 彼女は、暴力的な戒めから開放されたネクロマンサーをかばうようにして、シン医師の前に立ちはだかった。彼は、突然の脅威におののいている。

「来てくれたのですね!」
 ネクロマンサーの声に生気が戻る。
「ええ、あの子に言われてね。幸い、この座標はリアンたちが教えてくれたわ。大丈夫?」
 ソーサラーは軽やかに言った。
「ええ、大丈夫です。彼はこれまでとは違う強敵です。用心してあたりましょう!」
 そう言うと、ネクロマンサーは首元に絡みついていたかつてのシン医師の一部を振りのけて立ち上がり、霊性の剣を構えた!

「おやおや、素晴らしい!あなた方のその卓越した脳髄、我らの悲願達成のためにもぜひともご提供いただきたい!」
 片腕を失ったことなど意にも介さないようにして、シン医師はその邪悪なる欲望をあらわにした。

「残念だけど、あなたに上げられるものは何もないわね!」
 そう言うと、口元に不敵な笑みを浮かべつつ、ソーサラーは手にした氷の剣に力を込めると、それを下から上に一気に振るった。冷たく引き締まった透明の刃は美しい軌跡を描いて、シン医師の残った腕を一太刀で取りさらう。その腕の先は、掌に滾らせていた致死性の魔術の滾りを残したまま、後ろ手に飛んでいき、入り口付近の壁に打ち付けられたあと、大きな金属音を奏でながら床に転がって、それきり沈黙した。しかし、両腕を失ってもなお、シン医師には全くの怯みが見えない。

「それでおしまいかな?」
 歪んだ声が響く。
「よろしいか?我々はすでに脆弱なる人間を超越しているのですよ。もはや五体などという脆弱な存在に力を制限されるなどということはないのです。一体どう説明すればその素晴らしさがあなた方に伝わるのか…。ご理解いただけないのは実に残念です。」
 小さく首を左右に振ってそう言うと、彼は全身に力を込め、それまで自分の体躯を覆っていた人工的な装甲ともいうべきものを内側から破壊し始めた。メキメキ、バキバキというけたたましい金属音とともに、その人為の体表は剥がれ落ち、彼はついにその正体と思しき呪わしい姿をあらわにした。それは、特殊な錬金金属の骨格で形作られた骸骨様の体躯の内部に、おびただしい量の魔術的な力を光の形で滾らせた文字通りの異形で、その高い耐久性は一見して明らかだった。またおそらく、その全身を形作る錬金金属は、魔法の威力を存分に退けるのであろう。

* * *

シン医師の体躯から、錬金性の外装が剥げ落ちた姿。失われたはずの右腕が再生している。

 そのおぞましい口から、あたりの空気全体を振動させるかのような大きな鬨(かちどき)の咆哮が発せられた。喉の奥には、禍々しい魔術光の滾りがのぞいている。秋の深夜の静けさが、轟音によって一層際立つ!

 これまでに組みしてきたのとは全く異なる類の邪悪な存在を前に、二人の美しい魔法使いは震戦の止まらない身体で身構えた。その全身には自ずから力がこもる。

「私にこの姿をとらせたことは褒めてあげましょう。実に可能性に満ちた素晴らしい方たちだ。しかし、こんなところで、我が大望を終わりにすることはできないのですよ。それにあなた方を屈服させるのに役立つのは何も力に限ったことではないのですから。」
 不気味な笑いを伴って不穏なことをシン医師は告げた。
「とにかくも今宵は実に有意義なひと時でした。ぜひとも欲しいと思わせる優れたマテリアルが2つも見つかったのです。大変に喜ばしい!ここであなた方を始末するのは容易いことですが、その脳髄を失うのは惜しいとしか言いようがありません。」
 不気味な笑みを浮かべたあとで、シン医師はその口元に滾る魔法光から魔術的な光弾を乱雑かつ多重に繰り出し、ソーサラーとネクロマンサーの二人を牽制した。あたりの調度品は音を立てて壊れ、散乱し、その破片と舞い立つ埃が彼女たちの視線を遮っていく。
 一連の喧騒のあと、静けさを取り戻したその鏡像の室内には、もはや先程の驚異的な姿は見られなかった。彼にはどうやらまだやることがあるらしい。

* * *

 ネクロマンサーの身体から、憑依していた霊体がすっと抜け出る。その身体は幾分小さくなり、その場にしゃがみこんだ。
「大丈夫?」
 ソーサラーが彼女を気遣い、その両肩を抱きとめる。
「ええ、大丈夫です。危うくやられるところでした。ありがとうございます。」
 申し訳無さそうにネクロマンサーが言った。
「なによ、今更他人行儀なことを。」
 そう言って、笑顔を向けるソーサラー。
「あんな化け物が相手だもの。天使化すればよかったのに?」
「ええ、それは考えたのですが、彼らの計画を読むに、天使の実在を今のタイミングで知らせるのは悪手であるような気がして…。」
 そう言って、ネクロマンサーは、先程の書類郡をソーサラーに手渡した。
 その狂気の行間を読み勧めていくうちに、彼女の美しい黄金色の瞳は、次第に濃いくもりに覆われていった。
「これって!」
「はい、詳細はまだ明らかではありませんが、マークスかパンツェ・ロッティの残滓が確かな胎動を始めたようです。」
 締め付けられて思うように声の出せない喉をかいくりながら、ネクロマンサーが話した。
「とにかく由々しき事態であることは間違いないわね。何にせよ、このままここに留まるのは危険すぎるわ。学徒たちと合流してすぐに離脱しましょう!」
 ソーサラーの促しを聞くが早いか、ネクロマンサーは端末を取り出してカレンに連絡を取り始めた。端末からは呼び出し音が漏れ聞こえる。

 おかしい。普段ならすぐにあるはずのカレンからの応答がない。二人はお互いを見やった。
「どうしたの、出ないの?」
「はい、呼び出しはするのですが、応答がありません。」
「この鏡像の世界に私達がいることが原因かもしれないわね。」
 しかし、ネクロマンサーは首を振った。
「先ほど、ここからアカデミーの教授に連絡を取りましたが、そのときは通じたんです。ですから、空間の相違による問題ではないと思います。」
 その言葉を聞いてソーサラーの顔が俄に不安に翳(かげ)った。
「ということは、まさか!」
「ええ、そのまさかだと思います。残念ながら。」
 ネクロマンサーはうなだれた。
「とにかく後を追いましょう。二人だけでは危険すぎるわ。彼女たちの行き先はわかる?」
「おそらく、5階の鏡像世界だと思いますが。ただ、私の方では彼女たちの行方を覚知する方法がありません。困りました…。」
「わかったわ。とにかく私はこのまま鏡像世界の5階に行ってみる。あなたはとにかく教授に連絡して指示を仰いで。」
 そう言うが早いか、ソーサラーは『転移:Magic Transport』の光の中に消えていった。その姿を見送りながら、ネクロマンサーはウィザードに通信を入れる。
「おい、大丈夫なのか?」
 聞き慣れた声に、若干の安堵がもたらされた。
「はい、彼女を送ってくれてありがとうございました。私は無事です。」
「それはよかった。それにしても一体何があったんだ?」
 心配でならないという調子でウィザードが言う。
「あなたの懸念は大当たりでした。解決したはずの悪意がまたここで鎌首をもたげています。とにかく作戦の練り直しと綿密な対策が必要です。」
 ネクロマンサーはそう言った。
「わかった。とにかく、集められるだけの資料を集めて、一度ここに戻ってきてくれ。後のことはそれから考えよう。それより、学徒たちは無事なのか!?」
「それが…。」
 言い淀むネクロマンサー。
「先程から連絡が取れません。シン医師には我々の目論見が露見しているので、彼女たちにも危険が差し迫っています。とにかく、今彼女が心当たりを追ってくれています。私もこれからすぐに学徒たちを探しに行きます。いずれにしても相手は想像以上の強敵ですから、増援を回してください。」
「わかった。応援はすぐに手配する。」
 焦りを隠さないウィザード。
「しかし、カレンがついていてなんでこうもイノシシが増えるんだ!まったくどいつもこいつも言うことを聞かない!」
 端末越しの声は怒りに震えていた。
「ごめんなさい。もっと厳しく言いつけておくべきでした。しかし、あの冷静なカレンさんのことです。あるいは、シン医師の側から奇襲があったとも考えられないではありません。とにかく、これからすぐに探しに行きます!」
 ネクロマンサーはそう告げた。
「ああ、頼むよ。こちらからもあの出来損ない共に呼びかけてみる。とにかく今後はこれまで以上に座標が重要になるだろう。あんた自身に『魔法の道標:Magic Beacon』を打ち込んでおいてくれ。こちらからはそれを頼りに必要な支援を送るつもりだ。」
「わかりました。とにかく子どもたちの発見を第一にします。発見後は全員で脱出ということでいいですね?」
「もちろんだ。一刻も早くそこを離れて安全を確保してくれ。」
「心得ました。それでは。」
 そう言って、ネクロマンサーは通信を切った。糸の切れてしまった学徒たちは今どこにいるのか?彼女たちの身に危険が及んでいなければよいが…。そんなことを考えながら彼女は『転移:Magic Transport』の術式を展開する。薄暗い室内が一瞬明るくその魔法光に照らされたあと、静かに暗さを取り戻していった。

 今、リアンの手にある魔法地図には、シン医師とアブロード医師が、鏡像世界の2階にある手術室に会していることを示していた。息切れを伴うふたつの小さな吐息が、駆ける足音を響かせながらその光点の示す座標に向かっていた。

 秋の夜はまだ一向にその重く暗い緞帳を上げる気配を見せない。各々の心が、それぞれの焦燥に満たされていた。鏡像の世界の不気味な空気を、表の世界から漏れ聞こえる秋虫の合唱が彩っていた。
 めまぐるしく時が駆けていく。

to be continued.

AI-愛-で紡ぐ現代架空魔術目録 本編後日譚第2集その6『鏡の中の狂乱』完


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