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何者であるかを名乗ること

この世界は、特に日本は、自由だな。と思う。
何者であるかを名乗ることだけで言えば、国家資格や各種資格など、名称が何らかの制限を持って定められている以外、自由に名乗れるのだから。

ミッション・クリエイター
とか
パッション・マネージメント・インストラクター
とか
(実在したらすいません。思いつきです)
なんかそれっぽいカタカナでも、自分がそうなのだと、強く思い込めば、誰もそれを止めることはない。

それを起点にして、実を伴わせれば、立派にカンバンや暖簾を出し、名刺に記載して活動できるのだ。

逆に言えば、変な人だなと思われることをある程度無視していれば、ある一定の結果が伴えば、大きなビジネスチャンスが開けるのだ。

何より、言い出しっぺは強い。
今でこそあたりまえに使えている電気も、時代の一点を抜き出せば、頭のおかしな金持ちが、水を堰き止めて、でっかい意味不明な機械を取り付け、エレキテルを作り出すらしい、その機械をつけるために、海外の偉人を招くらしい。
とか、そういうタイミングがあったのだ。

前向きに言えば、今から、50年後の何かのスタンダードは、今現在地球上に無いのだ。

新しい可能性は眠っている。
だからこそ、「私は、⚫︎⚫︎だ」と名乗ることが自由な国は、きっと、未来が明るいのだ。

もしくは、有象無象の魑魅魍魎が跋扈する、意味不明な人間の巣窟か。

いや、いいんじゃないか?
変人も、関わりがなければ、ただの隣人だ。
自由を謳歌しようじゃないか。

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