見出し画像

【Q2】遺骨収集団員たちの食事は?

【回答】「これがまた、うまいんですよ!」

 硫黄島には、自衛隊関連設備の補修などを担う建設作業員たちが多く滞在しています。遺骨収集団員たちの朝昼晩ご飯は、建設作業員用の食堂で、彼らと同じメニューを食べます。

 朝食時間が5時40分と早いのは、作業員たちの食事時間と重ならないようにしているからかもしれません。定められた朝食時間は40分間。昼と晩の食事は20分間。会話をすることなく黙々と食べる収集団員が多かったです。

 ちなみに食事の味の感想を問われれば、私は「これがまた、うまいんですよ!」と答えます。炎天下の作業で汗をさんざんかいていますから、メリハリの利いた濃いめの味付けが非常においしく感じられました。体力勝負の在島建設作業員のエネルギー補給に配慮してか、ボリュームも十分でした。

 本土から1000キロ以上離れた硫黄島。食材の物流も限定的ですので、食事メニューは、サラダや漬け物以外の「ナマモノ」はほとんどなかった印象です。揚げ物が中心でした。私は本土帰還までに2キロ太りました。

「生卵がなんとおいしいことよ!」

 在島自衛隊の食習慣の影響なのか、毎週金曜はカレーでした。このカレーには、生卵が付きます。ルーに混ぜて食べるためです。私は2度の渡島中、たまたまカレーの食事に巡り会ったことはありません(少食の体質のため食事に行かないことがしばしばあったためです)。

 カレーの食事に行った団員の一人は、こんな話をしていました。「カレーの美味しさもさることながら、生卵がなんと美味しいことよ!」-。そんな感想の声が上がるほど団員の中には「ナマモノ」に飢えていた人がいたわけです。私も刺身などに飢えていた一人でしたが。

硫黄島兵士の食への思いを追体験

 ちなみに戦時中の硫黄島守備隊の兵士たちの食事はどうだったのか皆様、ご存じでしょうか。生還兵の石井周治氏が1952年に出版した回顧録「硫黄島にささぐ」には、食事に関する記述がありました。

 やはり現在と同じように物流上の理由で、食事に「生野菜などもちろんありっこな」かったといい、乾燥ワカメばかりだったそうです。「副食は大抵わかめ、朝昼晩とわかめの味噌汁、わかめのすまし汁、わかめの煮付の献立がつづ」いたとのこと。「内地から送られる副産物の大半がわかめなので、ついに兵隊は南波止場をわかめ波止場と呼」でいたそうです。

「それでもたまに大根、ほうれん草などの乾燥野菜が(南波止場に)着」くことがあり、それらが「ご馳走の部類」だったとのこと。

 ある意味、遺骨収集団員にとって、硫黄島での2週間の滞在は、ナマモノを渇望した兵士達と同様の思いを追体験する機会でもあったと言えそうです。
(了)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?