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「尖る」ということ

誰かに「あなたは自分のことを「とがって」いると思うか?」と聞かれたら、ずいぶん丸くなったと答えると思う。そんな質問をしてくる人はいないけれど。

尖る=精神的に先端が鋭利な状態

若いときは尖ってたとか、あの人の作品は尖ってるね、など。自分は他の人とは違う存在である、と強く自認していて、それを表出しているのが「尖って」いる状態と言える。

ミュージシャン

アーティストなどで考えるとわかりやすい。例えばミュージシャンでもオリジナルの音楽作品(自前の曲など)で生計を立てられている人は、皆どこかしら尖っているはずだ。

ただ、第一線の音楽家でもベテランになってくると「尖って」いるのとは少し変わってくると想像する。たとえばサザンオールスターズの桑田佳祐さんが「尖って」いるのかというと、また違った精神性を有しているような気もする。会ったことがないから分からないけど。
円熟した人間は精神の持ち様が変わってくるのかもしれない。

仮説

ここで、一つの仮説を持ち出してみる。

「精神的なベクトル(方向性)」の違いが、先のベテラン問題の答えになるのかもしれない。つまり簡単に表すと以下のようになる。

尖っている=ベクトルが自分
ベテラン=ベクトルが他人

若いときのベクトルは大抵自分に向いている。自分が他人とは違うと思っていて、それを外に向けても出そうとする。それが存在の証明になったりもする。(今の若い人は違うのかもしれないけど)

一方で、歳をかさねて落ち着いてくると、ベクトルを自分に向ける必要がなくなるせいか、外(他者)を向いてくる。

ベテランで優れた音楽家の楽曲や演奏を聴くと励まされる気がするのは、そういう部分が大きいのかもしれない。

自分の場合

自分の場合はどうだろう。今となっては作品のオリジナリティで勝負する芸術家になろうとは思っていない。それでも、ある程度は「尖っていること」が必要だと今でも思っている。

「その他大勢」でいることにはやはり居心地の悪さを覚える。そういうメンタリティというのは生まれつきの傾向かもしれない。

先行者を狙うのは「尖って」いるのか

生まれ持った傾向とは別に、「生存戦略として”希少であること”目指す人」もいる。ビジネスの世界ではアーリーアダプターとかイノベーターなどと呼ばれる。あるトレンド(流行)が起ったとき、いち早く飛びついてポジションをとった人が同じ労力でも得られる報酬が多くなる。SNSのフォロワー数も同じと言われる。

でも、それは「尖っている」とは違う気がする。イナゴの先頭になって煽動しているだけだ。
先端的なことに早く目をつけてポジションをとることで先行者利益を得よう、というのは「尖っている」とは言わない。

そう考えると「尖ること」はビジネスや商売の世界においては有効ではないのか。
いや、多少は尖っていないと差別化できないから、ある程度の尖り具合は必要だろう。でも誰よりも先鋭的である必要はない。というか、あまりに先進的すぎると多分稼げない。ビジネスの視点でみると、半歩先をいっている、くらいがちょうどいいのかもしれない。

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