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タイラーザクリエイターから学ぶ現代社会における音楽の聴き方

2021/6/25 下部追記アリ

音楽を聴いているのか、それとも聞いているのか

 何を言っているのかわからないと思う人もいるかもしれないが、私は一概に「音楽をきく」と言ってもその「きく」には2種類あると考える。1つは音楽に対して意識を集中し、積極的に音を耳に取り入れようとする「聴く」。もう1つは特別音楽に集中するわけではなく、自然と耳に入ってくる音を楽しむ「聞く」である。つまり、「ながら聞き」であるかそうでないかということである。

 現代社会では、スマホの普及や、Apple Music、Spotifyなどの音楽ストリーミングサービスの登場、動画コンテンツの充実、遊びの多様化などの様々な変化の中で、特に若者の音楽のきき方も変わってきていると考える。具体的な調査等を行ったわけではないが、私の一若者としての感覚では圧倒的にながら聞き派が多いと感じる。反対にレコードやカセットテープ、CD世代の人たちが若かった頃は今よりもながら聞き派は少なかったような印象である(これらの変化の件に関してはまた別の機会に詳しく述べていこうと思う。)。つまり、もしかすると「聞く」はどこか近代的な行動であり、反対に「聴く」は古典的な行動であると言えるのではないだろうか。ながら聞きも1つの音楽の楽しみ方であり、それが悪いと言っているわけではないのだが、音に集中し音楽と本気で向き合うことで初めて気づくことの出来るポイントが存在するのも事実である。

 では、昔と比べて多くのものが変化した現代社会において、古典的な手法である(かもしれない)「音楽を聴く」を行った場合どうなるのだろうか。従来通りの聴くなのだろうか。それともどこかアップデートされているのだろか。今回は1人のアーティストを例にそれについて分析していこうと思う。


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現代社会における「聴く」とはどういうことなのか

 先日、2019年5月17日にアメリカ合衆国出身のラッパー/ヒップホップアーティスト、タイラーザクリエイター(Tyler, The Creator)がキャリア5枚目(もしくは6枚目、実はカウントが難しい)となる新譜"IGOR"をリリースした。そしてこのリリース1時間前に彼がとある写真をインスタグラムに投稿し話題になった。それが下の画像である。

画像1

画像にはリスナーに向けたメッセージが書かれており、まさに音楽の聴き方に関する内容であった。以下がその和訳である。

IGOR。コレはBASTARDでもない。GOBLINでもない。WOLFでもない。FLOWER BOYでもない。IGORだ。読み方はイーゴアー。ラップアルバムだと思ってコレを聴くな。如何なるアルバムと一緒にするな。とりあえず聴け。初めはアルバムを全て通して聴いてこそ良さがわかるはずだ。スキップせず、隅から隅まで聴け。流し聴きはダメだ。携帯を触るのもテレビを見るのも話すのもダメだ。全ての神経を曲に向けて、アルバムに対する自分の感想や感情と向き合えるようにしろ。散歩に行くもよし。ドライブに行くもよし。ベッド上で横になるもよし。全てを吸収しろ。何であれ結局君たち次第だ。音量を上げてあとは好きにしろ。
僕が、絵を描き自分の好きな瞬間を君たちに伝えたいように、君たちにも同じことをやって欲しい。もし何かに巡り合ったとき、記憶が新しいうちに、それが自分にとってどんなものだったのか明確にしておいた方が良い。オプラ(アメリカの慈善家)の話みたいだけどな。
君ら臭うぞ、臭いマッチョめ。(ありがとう)

 タイラー曰く、やはり音楽を聴く時は携帯やテレビ、会話はご法度だ。しかもそれだけでなく、スキップすることさえ許されない。1曲目から最後の曲まで一切意識を途切れさせることなく曲順通りに再生し、再生時間が1秒たりとも前後してはならない。つまり、アルバムをアルバムのありのままの形として聴くべきなのだろう。このように禁止事項が多い中、1つだけ許されていることがある。それは「自分と向き合うこと」だ。”全ての神経を曲に向けて、アルバムに対する自分の感想や感情と向き合えるようにしろ。””散歩に行くもよし。ドライブに行くもよし。ベッド上で横になるもよし。”の部分にあるように、彼は私たちに音楽に集中しろと言っておきながらも、自分自身にも集中しなければならないと言っている。しかも、散歩やドライブといった一見ながら聞きになり得そうなことも勧めている。これは恐らく「自分と向き合うこと」を目的とした行動であれば行って良いということだと私は感じた。ながら聞きならぬ、ながら聴きといったところだろうか。

 そしてもう一つ、個人的に最も興味深かった部分が”僕が、絵を描き自分の好きな瞬間を君たちに伝えたいように、君たちにも同じことをやって欲しい。もし何かに巡り合ったとき、記憶が新しいうちに、それが自分にとってどんなものだったのか明確にしておいたが良い。”である。彼は音楽を聴いたことで得たものを何らかの形でアウトプットし共有しろと言っているのである。なぜなら、そうすることでリスナー間やリスナーとアーティスト間でアウトプットを通じた交流が生まれ、結果的にそれらの記憶を鮮明なまま印象つけることができるからだ。つまり彼の言う「聴く」とは音楽を聴き、自分と向き合い、その感情や感想をアウトプットし、さらにそれらを共有することで自分の中に落とし込むところまでを指すのではないだろうか。私はこれまでなるべく音楽は聴くようにしてきたのだが、その時、聴いた後の活動までは意識していなかった。私にとってもこの聴き方はかなり衝撃であった。


「聴く」の変化

 結論として、社会の変化とともに「聴く」のあり方も少し変わったのではないだろうか。従来の「聴く」においては「共有」といったような要素はここまで強くなかったように思える。インターネットが普及し、SNS等が登場したために現代の人々は共有することに非常に興味を持つようになった。そしてその共有というテイストが絶妙に取り入れられた結果、タイラーザクリエイターの提示するような「聴き方」が生まれたのではないだろうか。

 今回の彼の発言がどのような影響を及ぼすのか、今後が非常に楽しみである。そして、みんなはこれについてどう思っているのだろうか。ぜひとも意見を聞かせて欲しいところである。


P.S. 先日リリースされた『CALL ME IF YOU GET LOST』、ここまでアーティストの一挙手一投足にトキメキを感じるアルバムは後にも先にもなかなか無いのではないでしょうか。SNSを見てると地球上のリスナー全員で一つの謎解きをしてるような感覚がしてつくづくどこまでも楽しめる作品なんだなと感動してます。音楽の楽しみ方って本当に聴くだけじゃないんですね。記事本文にも書いたように、感想や気づきを共有するところまでを「聴く」として提示している彼の言動を逆に捉えると、彼はそれほど緻密な意思入れを作品の中に落とし込んでいるということだと思いますし、実際にこのリスナーとの掛け合いをムーブメントとして実現してしまった彼は本当に天才だと思います。


written by じょん

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