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鳥にまつわるエトセトラ

鳥が苦手である。
ハト以上のサイズの生きている鳥がダメだ。怖いのである。

直面するのを避けたい、がある。
おばあちゃんちの近くで大量のカラスがいる林を1人で抜けないといけなかった恐怖、御徒町の駅から事務所に行くまでの歩道にたくさん鳩がいて足が止まってしまったこと、ガーナで車にのろうとしたら、車の下からホロホロ鳥が突然出てきて泣いてしまったこと、などいろいろである。ヒッチコックの鳥が人間を襲う映画があるがもう恐怖でしかない。

そんなに怖いのに、柄としての鳥は平気だ。新婚時代に買ったクッション、よく身につけるストールの柄、ペルー土産のタペストリー、沖縄で買ったヤンバルクイナのTシャツなど、気づけば割と私の日常にとけこんでいる。むしろ好んで選んでいるフシさえ感じる(無自覚に)。

遠くで空を飛んでくれている分には問題ない。むしろあんな風に飛べたらいいだろうなと憧れるくらいである。近くに来られるのがイヤなのだ、しかも歩道とか、駅のホームとか、こちらが逃げ場のないスペースで直面させられることの恐怖と言ったら。

なぜこんなに苦手なのか。子どものころの体験にあるのかもしれない、と振り返ってみると、いくつか思い出されることがある。

まだ井の頭のおばあちゃんの家の近くに住んでいたので、3歳か4歳くらいだったと思う。飼っていたインコがある朝突然鳥かごの中で死んでいたこと。

おばあちゃんちの広い日本間に、ケースに入っているカモの剥製があって、その緑に光る頭がなんか怖かったこと。

小学校の帰りに道端で死んでいる雀がいて、自分のハンカチに包んで持ち帰り、空き地に穴掘って埋めたこと。

こうやって並べてみると、全部死んでる鳥の話しである。ちなみに食べる分には何の抵抗もないのだが、そうだ、これを書いていて思い出したが、以前知り合いのお料理屋さんが鳥ガラをくれて(いらない、って言ったのに)それが頭から全部ついてる皮と骨だけになった鳥で、目を合わせないようにして泣きそうやななりながら妹と格闘して鍋に入れた記憶も蘇ってきた。死んでいても形が残っているものはNGであった。

遠くを飛んでいる鳥は自由の象徴であり、自由が好きなわたしは無意識に鳥柄を集めてしまう。
でも原体験として鳥は「死」を連想させるので、直面するのは恐怖なのかもしれない。

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というようなことを、今週火曜ぐらいかな?朝ベッドで目覚めてから頭に浮かんできたのでつらつらと携帯でnoteに書き起こし、いまその下書きを誤字脱字を修正しつつパソコンで打ち直してるわけなのですが。

実は今日(土曜日)この数時間前、スーツケースを買いまして。来週からのNY出張に、以前みて気になっていたACEのスーツケースをアウトレット価格で売っているお店に再度行ってみたんですわ。もしもう売れちゃってたら諦めよう、でもまだ売っていたら、やっぱり買おう、と。で行ったらありまして。前回は外見しか見てなかったんで、中も見せてください、っと中身をひらいてもらいましたら、なんとそれが、、、、鳥柄でした。一面の鳥。

鳥柄なんですね・・・・!!!! と驚いている私にお店の方が「お嫌いですか?」と気にしてくださったので、鳩サイズ以上の鳥は苦手なんですが、でも鳥柄は好きみたいで持ち物に多いんです、実はちょうどそういうことを文章に書いてたばかりだったんで驚いちゃって、、、と私の驚きのワケを説明し、もはやこれは運命、と観念?して買ってきたところです。

お店の方に「じゃあぜひ今日のことも書いてください(笑)」と言われたので、このスーツケースの中の模様の写真をアップして、この記事をあげます!

以上、鳥にまつわるエトセトラ、でした。




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