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福島のこころの支援 現場ルポ(仮)④ スーパー保健師の助手席から

第2章2 スーパー保健師の助手席から

 ここからが実際の訪問になるのだが、ここまで書いてきて、実は、大きなジレンマに行きあたっている。本来、このジレンマを解決して話を進めていくべきなのだが、ここで読者と最低限共有しなければいけないことがあり、それを正確に記しておきたい。
 臨床心理士・カウンセラーはクライエントの話の秘密を守る守秘義務がある。たとえそのような契約を取り結ばなくても、それは自生的に発生する。臨床心理士は専門家として話を聴くとき、数少ないいくつかの例外を除いては、その話を墓場まで持っていく覚悟で聴いている。実際、いったい誰が話したことやその秘密をべらべらしゃべるカウンセラーに本当のことを話すだろうか?個人のプライバシーを徹底的に守らなければならない一方で、私はこの出来事を事実として記し、伝えるべきことを伝えたいと思っている。それでも守秘義務は、その書きたさを上回る私たちの職務であり、事例を伝えるにあたって重要なことなのだ。それでも書くとするならば、ジレンマを越えるための道は2つある。一つは事例の方に改めて出会って、一人一人に本に記すことの許可を得ることである。もう一つは、事例の内容をプライバシーを守るように改変を加えることである。この2つの努力をして、これからの実践を書き記していく。
 要は、これ以降の事例は事実そのものに必要な改変を加えていることを断っておきたい。

「Zさぁーん、保健師ですぅー」
Kさんが控えめに、しかしよく通る声であいさつをしながら、仮設住宅の呼び鈴を押す。プレハブよりはややしっかりしているが、仮住まい感は否めない建物の雑然とした空気の中、Zさんが顔をだす。
「Zさん、おはようございます。あ、この人心理士さん、東京からきたの。今日連れてくるって言ってたよね。」
一瞬、怪訝そうにこちらをみているZさんに、私はすでに汗をかきはじめながら、
「あ、おはようございます。臨床心理士のIと申します。あ、カウンセラーです。」と舌足らずな自己紹介をする。
 外を気にして、私とKさんはもう一歩玄関のたたきへと歩を進める。靴や新聞や灯油缶がひしめいていて、2人は肩を寄せ合ってZさんと向かい合う。
「すみません、狭いでしょ」と気づかいしながら、Zさんはやや警戒心が緩んだように見える。
「その後どう?ほら、ご近所さんにいろいろ言われているってこまってたじゃない?」
立ったまま話がはじまる。私はKさんの少し後ろで耳を傾ける。Zさんは80代、会津地方の仮設住宅から今年のはじめにいわきのここに移ってきた。会津の仮設にいた2年前に病気でご主人を亡くされて、今は一人でいわきの仮設に住みはじめた。住んで間もなく、仮設の連絡員から、Zさんが近所の音がうるさいとなんども訴えていると連絡があったらしい。
少し声を潜めながら、Zさんは続ける。
「最近はすこしいいのよ。来たときはね。おとなりがね。いつも喧嘩なのよ。夫婦喧嘩ね。夜になるたびに怒鳴り声が聞こえてきて私もうノイローゼになっちゃって。ほら、会津はもう少し静かだったのよ。ここはほら、壁も薄いじゃない。あとおとなりは、Bでもご近所だったから気も使うのよ。」
Zさんの話は、ご近所のことからだんだんと自分の体調のことに移っていく。ご主人が亡くなってからは不眠があったが、最近は少しましになったこと。心療内科には通っていること。すっかり足が悪くなって買い物にいくのに不自由なこと。そして、話は自然と帰還の話に移っていく。
「ここはいつまでいられるのかしら。あの人もいないじゃない。夫が亡くなるまではBに帰ろうとおもっていたんだけど、今はどうするか迷っているのよ。」
Kさんが仮設の期限があと2年はあることを手短に説明する。この頃、多くの住民は仮説からB町に戻るかどうか、このままいわきに住むかどうかという選択を迫られていた。
「どうしようかしら。やっとね。ここにも慣れてきたところなのに。娘はね。家にきてもいいっていうのよ。でもね。それも気づまりで・・・。あ、すみませんね。立ち話で。うち散らかっているから。玄関先だけど座って。」
私とKさんは玄関に座り、Zさんが麦茶をもってきてくれる。私はそこから見える家の雰囲気と空気に身を浸し、いくつか質問をする。玄関先での3人の面接は40分続いた。次回また来ることを約束し、私たちはZさんお手製のお菓子サーターアンダギーをいただいて次の家へと向かう。

「先生、どう思います?」
Kさんが尋ねる。
「いやぁ。正直これだけではなんともなんですが、認知症の初期という可能性についてはまだ注意は必要でしょうね。ただ、仰っていることはよくわかる印象でしたね。避難生活でご主人を亡くされて、こちらに一人で移ってきて足も悪くなって、それでさらに帰還というのは、80代の身では辛いでしょうし。ご主人の話もたくさんでていましたが、きっと本当はZさんだって夫婦喧嘩しながら、そういうこと決めていきたかったしょうし。ご主人が亡くなって楢葉に帰るかどうかも難しい選択ですよね。いろいろ一人で決めること自体がしんどい、という訴えのようにも感じました。」
「そうなのよねぇ。ZさんのBの家はけっこう立派な大きな家なのよ。でもあそこで一人で住むっていうのもねえ。でも、今日は身の回りもきちんとなさっているし、前に来たときよりはすこしお元気だったわ。クレームも少なくなっているみたいだし。実際ね。喧嘩はあったみたいなの。だからあながち妄想とかでもなさそうなのよね。」
「そうですね。帰還の選択とかいろいろ悩ましいことはあるようですし、お話したいことはたくさんあるように思いました。また行きましょう。」

 その後、私たちは〇仮設の連絡員さんにZさんについて報告する。保健師さんは短い時間でも可能な限り仮設の連絡員と会ってコミュニケーションをとり、訪問の様子や見立てについてやりとりをする。連絡員からは、仮設の現在の状況やZさんの訴えの正当性についての情報を得て、私たちの見立てと照合する。案の定、Zさんの出身は南の島で、Bに嫁入りした人だということだった。サーターアンダギーをくれたように、本来面倒見がよくて、人とつながることが好きなZさんについて共有し、「足もきつそうだし、買い物とかお手伝いしたり、なんか買ってこようかとか声をかけてみようと思います。」連絡員さんの現実的な適切な反応に私たちも少し安心する。そして、すべての人に人生がある、と当たり前のことを実感する。

 このように、各仮設住宅には、仮設に住んでいる住民の中から選ばれた連絡員が住民の生活の問題や相談に乗り、対処し、役場との連絡をする役割として配置されていた。回を追うごとに、この連絡員さんとの情報共有と理解の共有がとても重要な時間であることが私には実感されていく。私たちの訪問は限られた時間と限られたサポートにしかならない。面接を通して得たものを連絡員さんに伝え、日常のきめ細かいサポートにつなげるのだ。連絡員さんにとっても、専門家が一緒に問題に取り組むことは心強いし、もし、緊急の事態が起きたときには、連絡員さんからすぐに連絡があり、適切な介入や病院や相談機関などへのつなぎを行うこともできるのだ。連絡員は、避難生活で分散・分断されたコミュニティをつなぐための工夫と努力の結果なのだ。

(尚、事例については必要な改変を加えてあります。)


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