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特別

それは、自分自身を強く高揚させる魔力のある言葉でもありながら、
自分自身を迷子にさせる言葉でもあるように思える。

辞書で調べてみると、このように示されていた。

”他との間にはっきりとした区別があること。そのように扱うこと。”
”広く通用する状態とは異なる状態、即ち例外となる状態のこと。”

つまり、パンピー(一般people)じゃない存在だったり、
モノだったりのことを言うのだと理解できるでしょう。

最近だと、テレビ・YouTube・Twitter・Instagram・TikTokなど。
あらゆるメディアを駆使し、不特定多数の人たちに影響を与えている人を多く目にするようになり、いつしかそんな人たちのことを特別視するようになってしまっている。

「すげぇ〜なぁ。」

「面白いことやってんなぁ。」

「俺もやってみようかなぁ。」

特別視すること自体を否定するわけではないが、
不特定多数の人たちにとっての特別な存在であることを目指そうとしている自分がいつの間にか現れていて、自分が本当にやりたいことだったり、本当に大切にすべき目の前にいる人とのコミュニケーションを蔑ろにしてきた気がして、不安になった。

多分、勘違いしていたのだろう。

特別視の対象となってしまう人たちは、
きっと目の前にいる人にとっての特別な存在になろうとしていたのだろう。
もしくは、そんなことも考えず、
自分にできることを精一杯やっていた結果、
誰かにとっての特別になっていたのかもしれないが。


最近の事例だと、Niziプロジェクトとか。

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「アイドル」という職業は、表舞台では歌って踊る輝かしい姿しか見られないが、その裏には壮絶な努力がある。
彼女たちも、彼女たちなりの野望を持っていただろうが、まずは新メンバーとして選ばれる特別な存在として認めてもらうために、J.Y.Parkさんに日々成長した姿を見せようと練習に練習を重ねていたのだろう。知らんけど。

ヒカキンとかも。

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「YouTuber」という職業が職業とも認識されていなかった時代に、ヒューマンビートボックスを武器に動画配信を続けてきた彼も、最初は、誰か特別な人に褒められたことが嬉しかったり、勧められたことをきっかけに、好きを突き詰めていったのだろう。知らんけど。

どちらにせよ、誰かにとってのたくさんの「特別」の積み重ねが、いつの間にか不特定多数の人たちの心をも動かす力を持つようになっていった。

そう考えると、目の前にいる人だったり、同じ境遇の人に寄り添ってあげることこそが、一番大切なことなのかもしれないですね。

当たり前なことを言ってますよね。
でも、そんな当たり前なことができず、
高望みしてしまうのが人間なのかもしれませんよね。

特別な人間にはなれないかもしれない。
けれど、誰かにとっての特別にはなれる。

わたしは、誰かにとっての特別になれるのだろうか。
それもこれも、自分次第ではあるのだけれど。
そんな人が増えるような人付き合いをしていきたいものです。


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