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【岩田温大學】『反核運動の真実』

反核と核兵器廃絶は同義語にあらず

 日本人本来の美徳ゆえであろうか、日本人は根本的に他人を疑うことを忌み嫌う傾向がある。国際政治における日本人の楽天的な姿勢を批判してきた保守派にも、人の良い日本人が多く、左翼はこれを悪用してきた。

 「平和憲法を守れ」、「核廃絶は人類の悲願」などと愚昧なスローガンを目にして、多くの保守派はその幼児性を笑い、「左翼は頭が悪い」と批判してきた。だが、彼ら左翼は本当に愚か故に数々の奇行・愚行を繰り返して来たのだろうか。左翼は単純に愚昧な人士のみで形成されてきたのであろうか。一部左翼には更なる真意・悪意があったのではなかったか。祖国を売り渡そうとする、あるいは滅ぼそうとする狂える情念に基づいて周到に謀られた大謀略、それこそが憲法の護持、核廃絶運動の根本に存在する動機ではなかったか。 

 ここで反核運動の経緯を確認しておこう。

 反核運動は日本が唯一の被爆国であることを強調し、核兵器の廃絶を求めることを目的とした。

 中心団体として活躍したのが原水爆禁止日本協議会(原水協)である。一九五五年九月に結成された。発足当初は何とも嘆かわしいことに保守系議員までもが名を連ねていた。

 分裂が始まるのが一九五九年。第五回大会において核問題とは全く関係のない日米安保改定を議題としようとしたことに対して、保守系議員が疑義を呈し、離脱。ここにおいて反核運動は左翼の独壇場となる。

 反核を目的とするならば、アメリカの核兵器、ソ連の核兵器にそれぞれ反対するのが本旨である。だが、核とは本来全く関係がないはずの「日米安保改定」を云々しようというのである。常識的に考えて異常である。八百屋にラーメンを注文する類いの奇行といってよかろうう。ここからも彼らの心の奥底に存在する野望が垣間見える思いがする。

 次いでの分裂が起こるのが一九六二年の第八回大会である。

 一九六一年八月にソ連が核実験を再開したことに対し、社会党系勢力が「いかなる国の核実験にも反対する」と抗議を主張したのに対し、日共系勢力は、「『米帝国主義』の核兵器は侵略的であるが、ソ連の核兵器は防衛的である」との詭弁を弄し、激しく対立した。ついで翌年、部分的核実験禁止条約(PTBT。一九六三年米英ソ間で調印。核兵器の一部実験を禁止。仏・中は不参加)の評価を巡り、中共の核武装を推進したい日共系勢力は、これを「社会主義勢力の核は防衛的」として意味不明の中共擁護論、PTBT批判を行う。そして「いかなる核実験にも反対する」との立場の社会党系勢力との間に再び激しい対立を起こす。ここで社会党勢力は原水協を離脱して「原水爆禁止日本国民協議会(原水禁)」の結成へと至る。これが現在にまで引き継がれている反核運動の分裂の歴史である。反核運動は決して一致団結して核兵器の廃棄を願うことはないのだ。

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