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シュレディンガーはたぶん猫。[第5話]

第5話


「さっきの光り方……三沢も……」

 その青白っぽい光は、俺にとっては初めて見たものだったが、片山には既に覚えがあるものらしかった。呟きは実感に満ちたもので、奴は完全に呆然としていた。突然、仲間の完全なる死を突きつけられた形になったから。

 コイツのさも不良っぽい見た目は軽薄にも見えるが、意外と情には篤いタイプだったらしい。

 俺自身も、たった今実感として理解した。身をもって理解させられた。確かに、ミサワは「食い殺された」のだと。

「三沢はあの時、俺の横にいて。俺はちょうど口がおかしくなって、公園のトイレに駆け込んだ。あいつは外のベンチで待ってた、小腹すいたしラーメン食って帰ろうぜ、って話になってたからな。戻ってきて声をかけようとした途端、残像みたいに、いきなりボワッて光ってから、消えたんだ。ただその時、少し血が、俺の顔にかかった。だからナイフで斬られたか殴られて、その隙に背後の茂みに引き込まれて拉致られたのかも、って……でも、茂みには誰もいなくて」

 その片山の説明を元にして、俺は自然と想像する。顔も知らないはずの男だから、その頭部は塗りつぶされたように闇色だ。だが、ヤンキーらしくうちの制服を崩して着ている男のアバターが、脳裏に浮かぶ。そしてその輪郭が一瞬で泡立ち、らせん状の青白い光とわずかな血痕のみを残して消え去るさまを、まざまざと脳に投影してしまう。

「あの時、俺は、横にいたのに。クソ……」

 ボソボソと呟くように語る片山の声は重かった。横にいたはずなのに何もできなかった、という強い無念が伝わってきた。俺も少しだけ、責任を感じる。片山の「口がおかしくなった」というのは、タイミングを考えると、まさしく俺のせいじゃないのか。もしその時に片山が目を離さなければ、助けられたのかも……。

『分解は一瞬で終わる。それはこの星の人間が対応できる速度ではないから、例えお前がいたところで何もできなかっただろうな』

 しかし「猫」は指摘した。別に俺たちを宥めようとしたわけでもなく、ただ事実として指摘した。人間の無力さを。

『ひと噛み目で血が散ったんだろう。液体の分解時は時にそう見えるようだ。襲われたその場には、何も残っていなかったか?もしそうだったら、食い尽くされたんだろうな』
「そんな……」

 残酷な現実に、片山は眉を寄せて斜め下を見る。

「そう、か……。まだ、信じられねぇ。けど……いるんだもんな、実際に、目の前にその虫が」

 いよいよ片山も、この現状を信じるしかないと飲み込んだようだった。いまだ納得できない、こんなことがあってたまるか、と表情は語ってはいたが。

「んなこと……あいつの家族には、言えねぇけどな……」

 つい先程、極まったオカルトを見た驚きで一度はテーブルに放り出していた保冷剤を、改めて意識してぐっと握り直して、片山は自らの左頬にあてた。それは殴られた部分を冷やすためのものだが、今の手の動き自体は、俺の位置から自分の目元を意識的に隠す手段にも思えた。

 突然、失踪理由として「素粒子と虫が」とか何とか言われても、あまりにも突飛な展開過ぎて、納得できる遺族や警察がいるとは思えない。つまりミサワのことは、全く理由も分からないまま謎の失踪をした、どうやら不良同士の抗争に巻き込まれたようだ――などという、どこまでも「分かりやすい話」で今後処理されるのだろう。

 俺は立方体の中の虫を見る。よくわからない、気持ち悪いし怖い生き物だが、不思議と注目してしまう。

 生まれて初めてのことだ。こんなふうに凝視して、しっかりと「虫」と呼ばれるものを観察できているのは。

 この手で触れていないから、殺さないで済んでいるのかもしれない。触れた瞬間に分解されると知ってしまったからこそ、弄り倒す真似もそうそうできない。

 ――そうだ。俺はあの時、小学生だったあの夏、本当はこんなふうに、蝉を観察したかったのだ……。

 当時の同じクラスの友達がカブトムシを親に買ってもらったと自慢していて、たまたま夏休みにソイツの家に遊びに行った時に、宿題の日記帳に観察日記を書くんだと、それを見せてくれたんだ。つやつやと赤みを帯びた黒に光り輝く、長い角の立派な雄のカブトムシ。滅茶苦茶かっこよかった。以来、羨ましい、自分も何か飼いたい、と思っていた。

 だからその直後、父さんが田舎の山に虫取りに連れて行ってくれた時は、俺はすごく嬉しくて、楽しくて、そして――

 弱いものには、優しく。けれど、きっとこの虫は全く弱くない。人を食えるような存在なのだ。弱くないなら、俺が殺す心配はきっとなくて、だったら……。

 いけない。俺は今、とても危険なことを考えている。それを悟って、俺は意識的に虫から視線を外した。

 謎の虫が、謎の吸引力を俺に向かって発している。まるでついさっき見たあの青白い光のらせんのように、俺の気持ちを強烈に引き付けようとしている。それは絶対に「人間が飼える虫」ではないはずなのに。

 狂った欲求を散らすために、俺もしばらく黙った。虫の方を見ないように、あえて保冷材で冷やされている片山の左頬なんかを、見るとはなしにただ見続けていた。そうして、メンタルがいくらか整うまで、少し待つ。

 保冷材は俺の後頭部のたんこぶも冷やしている。少し痛みに沁みる気がするが、変にざわめいていた気持ちも落ち着けてくれている。そのキンとした冷たさがありがたい。左目の視界の方も、片山が首にぐるぐると包帯を巻いてくれているので、こちらも何とか吐き気は収まっている。ただ、片山に引き倒された時に飛んで落ちた眼鏡は、その衝撃のためか少し歪んでしまっていて、微妙に顔への収まりが悪かった。

 今、俺は「早めに眼鏡屋行かなきゃな」などという、あえて最優先で解決すべき現状とは全く関係ないことを考えている。軽い現実逃避だと自認しつつも。

 だが、しかし。

 状況は無情だった。いつまでもこのままの沈黙を保っているわけにはいかないらしい。この必要な沈黙は「人間ではない存在」には、いまいち退屈な時間だったようだから。

 一体、何やってんだ、コイツは……。

 本当はあまり見たくはなかったのだが、俺はそちらの方向にも、チラリと視線をやることになる。

 例の「猫」は今、中空に浮いた状態で存在していて、体と言っていいのかは不明だが、その黒い霧状の集合体の粒子の集まりをゾワゾワと動かしてみたり、時にはパチパチと静電気のような音を発生させたりしているので、こっちは完全に気を散らされてしまう。未だ深めに絶賛後悔&落ち込み中らしい片山とは違って。

 そんなわけの分からんことを好き勝手放題に目の前でされると、また知りたくなるだろうが……!!

 昨日の夜の出来事も大概オカルトな展開で驚いたが、今日も朝から引き続いて大変なことになってしまっている。俺だって少しくらい、自分のメンタルを整えたいんだよ。というか、整えさせてくれよ……。絶え間なしかよ。頼むわ……。

 そうも思うが、結局は目先の好奇心に弱すぎて、俺は完全敗北してしまう。どうしても、この「知りたい」という強い気持ちを抑えられなかった。我慢できなかった。

 また、だ……。あの蝉、片山の口、それから謎の虫に、謎の「猫」。俺はいつも目の前に大きな謎が現れると、この手で中身を弄り倒さないと気が済まなくなる……。

 それは俺にとって、いっそ性欲より我慢しにくいものなのかもしれない。強烈でとめどなく、一度生まれるとどこまでも溢れてしまう、本質的な欲求なのかもしれなかった。

 そしてそういうある種の暴力的な追究心が自分の中に確かにあると知ってしまったからには、もう逃げきれない。いい加減に見つめないといけない。夢にまで見るくらいだというのなら、なおさら。

 例えいつか「その好奇心で殺し殺される」としても……。

 完全に逃避を諦め、初めて覚悟を胸に持って、俺は強く謎に踏み込むことにした。そろそろおセンチな気分にどっぷり浸っているらしい片山にも、正気を取り戻してもらう頃合いだろうしな。精神安定に必要な時間はしっかり確保するべきだろうが、こっちとしては「猫」にも奴にも、聞くべきことは大量にあるのだ。

「――あのさぁ。何やってんだよ、『猫』。さっきから」

 単純な興味、そして会話の糸口を探るように、俺から話しかける。すると「猫」は思案顔の気配を伝えてきながら、やはりパチパチと軽い電気音を立てた。

『いやなに、この星の理に馴染まねばとお前たちのように物質的に存在してみようと試しているのだが、どうにも上手くいかんだけだ。まぁ、気にするな。星間ガイドの翻訳アーカイブを覗いてみるか……この星、地球では固体・液体・気体という状態が基本か。現状だと厳しいな。あとは……プラズマか、ボース=アインシュタイン凝縮?ふむ、その辺りならまだいけるか……?』
「すまん。全然分からんから、やっぱもう説明いいや」

 尋ねたものの全く俺に理解できる内容の回答ではなかったので、聞いておいて申し訳ないが、スルーすることにした。

 本気で分からんが、ただそれは奴なりにこの場に馴染もうとした、試行錯誤の結果だったらしい。ついて来いと言われて大人しくついてきたわけだし、先程から会話もギリギリだが成立しているっぽいので、「猫」の側にもまともに交流する気は一応あるようだ。なので、ひとまず「こっちが分かりたいこと」から選んで訊くことにした。

「まずお前さ、宇宙にいる虫を追ってきた、ってさっき言ってたよな?てことは、宇宙から来たのか?宇宙人とか、宇宙猫?仲間はいるのか?名前とか、種族は?あと、俺らに何かが『混ざった』とか言ってたな。今、俺らの体がおかしくなってるのは、そのせいか?一体何が起こってる?」



[つづく]

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