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シュレディンガーはたぶん猫。[第6話]

第6話


 虫のことは先程、片山から切り出したことでザッと聞けたわけだが、「猫」自身のことと、俺らのこの「異常」については、まだ何も分かっていない。今知りたいのはそこだ。

 すると奴はようやく謎の作業を終了して、つい先ほどまでの「猫」の形にゾロリと戻っていく。

『うむ。まずは吾輩のことから説明しようか!』

 しゃん、とその長めの尻尾らしきもの?と背中を伸ばすような雰囲気で口走った「猫」だったが、結局は猫背でしかなかった。まさしく「猫」らしく。

『宇宙から来た、というのは正しいが、もはやそのどこで生まれたかは、とんと見当がつかぬな。我々は、何百光年前のことかはもう忘れたが、お前たちが持つ肉体と言えるようなものから脱却し、素粒子体の姿で集合と離散を繰り返しながら星から星へと流れて生きてきた』

 体育館裏で語っていた「物質的に存在していない」という話の詳細を、俺は今聞いているらしい。人間の「肉体」に対応するらしい「素粒子体」という表現も、また全く聞き慣れない言葉だ。その黒く蠢く霧こそが、ソレなんだと思われる。

 脱却した、って言ってるってことは、もしかしたら、元々はこいつらにも俺たちと同様の「肉体」があったのかもしれない。とっくに失ってしまったようだが。そして現在は母星があるわけでもない「流民」のようだ。

『しかしある時、たまたまこの虫が飛んでいくのを見つけたのだ。虫に浮かれた吾輩は、つい母集団から遠く離れてしまってな。その上、そんなタイミングで磁場嵐に巻き込まれてしまったのだ。ふと気が付くと、吾輩はこの星にいた」
「何だよ、ただのドジっ子じゃねーかよ……」

 思わず俺は小声で突っ込んでしまう。

 一見、かなり知能が高そうなくせして、やってることはちょっとアホっぽい気がする。母集団を含めた種族全体がそうなのか、それともコイツだけがそんなノリなのかは不明だが。

『薄暗いじめじめした所で、ニャーとも泣かずに活動を停止していた、小さきものが目の前にいたことだけは記憶している。吾輩はここで始めて猫というものを見、そしてその素粒子情報を失敬した。そして星間アーカイブで調べた結果、この小さき生物の形態を猫というのだと知り、今の姿を得た』

 たまたま活動停止――つまり死んでいた猫を見て、その場で見様見真似で、自らの素粒子体を改変して形作ってみたようだ。だからコイツはこんな半端な、幽霊さながらの「透けた猫」だったのだろう。

「――何だって?」

 俺は何となくふわっと把握できたような気もするが、口走った片山の方は、大きくその首を傾げていた。何が何だか全く分からないんだが、と言いたげに。

 どうやら、おセンチ片山も、ようやく俺たちの会話の中身に口出しできるメンタルまで持ち直せたようだ。

「えーと……ちょい待て片山。ちょっと頭の中整理して、片山にも分かるように俺が翻訳してみるから」

 なので、俺は今の説明内容を、再度しっかりと理解し、解説しようと心がける。見るからに俺よりも理科が苦手そうな片山ではあるが、そんな男にも何とか伝わるようにと。

「お前は宇宙空間からやって来た、人間みたいな肉体じゃなくて、素粒子体?を持つ宇宙生物?ということか?そして宇宙の虫を追いかけて母集団からはぐれて迷子になって、この地球に到達した。その猫っぽい姿は、たまたま死んでいた猫の遺伝子情報を借りて作ってる?でいいか?」
『おお、ちゃんと分かっているではないか。その通りだ』

 しっかりまとめられていたようだ。俺の説明文に、いいぞいいぞ、とばかりに「猫」は満足そうにしている。

『つまり、だ。吾輩は迷子である。名前はまだない。吾輩は一部であり我ら全体でもあったから、個別の名はない。必要ならばお前たちの好きに呼ぶといいだろう。そしてアーカイブが示す状況的に、この星においては、吾輩は『シュレディンガーの猫』である。生存しており、同時に死亡しているとも言えるようだ。『シュレディンガーの猫』とはそういうものを指すのだろう?』

 だろう?とか、「当然お前も知ってるよな?」みたいなノリで言われても、普通に困るんだけどな……。

 正直、理系じゃない俺には上手く説明できないネタだ。聞いたことくらいはあるけど、ええと、何だっけ……。何となくのイメージしか記憶にないけど、確か猫を箱に閉じ込めて隠したら、開けて確認するまで生きているのか死んでいるのか分からないし、「生きているのと、死んでいるのが、同時に起こってる」かもしれなくて、みたいな、シュレディンガーさんという人が言い出した実験の話だったような――

「今のお前の状況は、生きているのか死んでいるのかもよく分からない状態。で、名無し。迷子の迷子の仔猫ちゃん、おうちを聞いても分からない、ってことか?」
『うむ。その通り。……しかし不安定であるな、ああ、誠に残念なありさまである。早く主人の箱に戻りたい……」

 深く頷いて、ブツブツと愚痴っている「猫」。頑張って脳からひねり出したこの説明文も、何とか合っていたようだ。

 先ほどからコイツが妙に物質的に存在したがったり、モゾモゾしたり、パチパチしたりの試行錯誤を繰り返しているのは、異星での慣れない不安定さを、どうにかして解消したいと考えてのことなのかもしれない。

「そっちの状況は分かった。で、次は俺らが一番に優先して解決してほしいことなんだけど。この星――地球に住む人間は、その顔に目がふたつ、口がひとつある、ってことは、お前は知ってるか?」

 まず、宇宙からの流れ者が「地球産の人間の基本構造」を理解しているか、そこから尋ねなければならない。

『おや?それだと、数がひとつずつ多いではないか?その布の下にまだ隠してあるだろう?』

 案の定、「猫」は不思議そうにしていた。

「つまりそれが、俺らが困ってる、解決したいことだ。この片山の口が俺の左手に、俺の目が片山の首に、ひとつずつ余計に増えてるって状況な。これを消したい」

 俺らを通り過ぎたせいで、「猫」の素粒子が俺たちの中に混じった、それがこの変異の原因だと、先ほど言っていた気がする。そもそも「混じり」とは何なのか。俺たちの体の中で一体何が起こっているのか。

『それが困りごとだったのか。だったら、対消滅させればいいだけではないか』

 こっちはこれこそが死活問題だからと緊迫感に溢れているのに、「猫」の方はなーんだ、そんなこと、と言いたげだった。

「対消滅……?」

 呟いたものの、よく分からなかったようで、片山が視線だけで俺に解説を求めてくる。俺に訊かれても正直困るな、分からん。なので、改めて俺から「猫」に問うことにした。

「それって、具体的にはどうするんだ?」
『余計に増えたものと、元からあるものを触れ合わせてみればいい。そうすれば消えるはずだ』

 余計に増えたものと、元からあるもの。

 つまり「俺の左手に増えた口と、元からある片山の口」、もしくは「片山の首に増えた俺の左目と、元から俺の顔にある俺の左目」。それぞれを合わせるように触れ合わせれば、いらないものは消える、ということだろうか。

「やってみるか」

 左手の包帯を、ついついはやる気持ちで解く俺。だがしかし、途中であることに気付いてハッとする。

「え、待てよ、てことは、まさか……」

 ついつい、やっぱりやめようか、と提案したくなったわけだが、その瞬間、片山が俺の左手首を取った。

 ぐい、と強く引っ張られる。遠慮の欠片もなかった。そのため、俺は全くためらいなく自分で自分の唇にキスをやってのける男の姿を、至近距離で見ることになってしまった。

 ……ぶっちゃけ、少しはためらいを見せて欲しかったわけだが、相手は片山だ。どうしようもない。

 ちょっとどうなんだ、と俺は眉間にしわを寄せたが、気付けば、片山の方は驚きにその両目を見開いていた。

「本当だ。き、消えた……」
「えっ」

 俺も急いで左手を確認する。

 見慣れた生命線が、そこに在った。片山の口が存在していたはずのゾーンは、異変が起こる前の何の変哲もない、平穏なありさまに綺麗に戻っていた。まるで何事もなかったかのように。

「すげぇ、ちゃんと消えてる……」

 触って確かめてもみたが、問題なさそうだ。成功だ。ぽっかりと消えていたその部分の触覚も、完全に戻っている。

 となると、次は俺の左目を、片山の首元の目に触れさせなければならない。

 なので、俺は目の前の男の首から、ぐるぐる巻きの包帯を手早く取り去る。視界のぶれが戻ってきたので、気持ち悪さを軽減するために左の目を閉じて、ウィンク状態になる。片山は「次はお前の番か」とばかりに、俺にされるがままだった。抵抗されないのをいいことに、俺は顔を寄せた。

 ……寄せてしまい、そこで「おい、ちょっと待てや、何だこの体勢は……」と正気に戻りかけた。が、思わずサッと身を引こうとしたところを、逆にガッと肩を抱かれる形で引き寄せられる。そのため、俺は片山の首筋に顔を強く押し付けるはめになった。思った以上に酷い体勢だ。

「っ、おい、お前なっ……!!」
「こらっ、保健室に来てまで乱闘するのはやめろ!!全く、お前たちは!!」

 何しやがる、と俺がキレかけた瞬間、ドアがガラリと乱暴に、勢いをつけて開いた。学年主任の先生が、そこにいた。

 その背後には、さっき逃げ出したはずの保健室の主が、オドオドした表情でこちらを覗き込んでいる。つまり、突如不良に占拠された保健室を取り戻すために、一番偉い人に泣きついたらしい。

 遠く鳴っているチャイム、つまり俺たちは二限をフルでサボった、ということになる。サボりと乱闘騒ぎ、その二本立てでガミガミと叱ってくる学年主任の前で、黙ってこの首を垂れつつも、俺はこっそりと吐息をついたのだった。

 やべぇ、ギリギリだった、危なかった……。もしあの増えた口と目をこの教師たちにうっかり見られていたら、もう一巻の終わりだった。

 そしてあの、下手すると男ふたりが抱き合った形に見えかねない体勢を、上手いこと「掴み合って喧嘩しようとしている状況」と勘違いされたという意味でも、まあ、助かったかもしれない。不純同性交流などという不名誉な疑いまで追加されて、三本立てで怒られてしまう展開は、さすがに俺としてもお断りしたいので。



[つづく]

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